15 店 1
母親の
白高から受けた暴力の痣は消えたが
黒高はしばらく何もする気になれず、
ただぼんやりと日々を過ごしていた。
鶴丸のシャツ店にも顔を出していなかった。
鶴丸からは数回電話はあったが、
彼も相当落ち込んでいた。
やがて電話も来なくなる。
だがしばらくすると黒高はこのままでは
自分が動けなくなる気がした。
「白は僕をいつも優等生って言ってたな……、」
と彼は呟いて鏡を見た。
落ち込んでいると言いながら毎日ひげは剃っていた。
身なりはそれなりに整えていたのだ。
性格的に我慢出来なかった。
黒高はため息をつく。
そう言うところが緋莉や白高は
つまらなく感じていたのかもしれない。
そして満知も。
だが今更それを言っても何も戻らないのだ。
何ヶ月か黒高は一人で考えていた。
やはり自分の店が持ちたいと。
とりあえず資金はある。緋莉の遺産だ。
まず外に出ようと黒高は思った。
ここのところほとんど歩いていない。
まずこの近くの街を見よう、
そして少し離れた所も。
どこかピンと来る場所があるかもしれない。
そして良さそうな所があったら
その地域の不動産店に行くのだ。
何軒か回ればどこか良い所があるだろう。
自分の人生がすっかり変わるほどの出来事の後で、
そんな事を冷静に考えられる自分は
やはり冷たい人間だと黒高は思った。
優等生と言った白高は間違っていないのだ。
だが彼は生きているのだ。
生き続けるためには働かなくてはいけない。
「僕はそういう人間なんだ。」
割り切るしかない。
彼は靴を履くと扉を開けた。
午前の明るい光だ。
平日でほとんどの人は動き回っている。
彼は家の鍵をしっかりとかけて外出した。
黒高は一週間程色々と歩いて回った。
そして彼はある商店街から少し離れた一つの店を見つけた。
どうもそこには古い洋品店があったらしい。
「あー、あそこは何だか続かなくてねぇ。」
通りがかった年寄りに黒高は聞いた。
「元々着物を売っていたんだよ。
でも今時着物なんて売れないだろ?
その息子が洋品店を開いて店構えも変えたんだけどさ……、」
その年寄りは声を潜めた。
「やっぱりだめでさ、四人家族、一家心中。
その後一度建て直して別の人が服屋を始めたけど
やっぱりだめで。
何回オーナーが変わったかな?」
「最初の方々はここで亡くなったんですか?」
「いんや、別の所でむごい事になったんだよ。
破産していたから没収されて競売にかけられたんだ。」
黒高はちらと店を見た。
大きなウインドウの向こうにはカーテンがかかっている。
中は見る事が出来なかった。
何年か閉めたままらしい。
黒高は商店街の中にある地元の不動産店を訪れた。
そこで物件を見ながらさりげなくその店舗を聞いてみた。
「あー、あそこですか。」
優しげな顔をした中年の男性営業マンが
少しばかり複雑な顔で言った。
「3年程ですか、前のオーナーさんが手放されてね、
それからなかなか買い手がつかなくて。」
「昔、持ち主の方が心中されたと聞きましたが。」
黒高はずばりと聞いた。
営業マンは苦笑いをする。
「その話はどなたから聞かれました?」
「その店舗の近くにいたご老人に聞きました。
でも事件は別の場所で起きたらしいですね。」
「そうです。
ですからあの店は事故物件ではありません。」
営業マンは黒高が自らある程度調べている事と
本気で店を探しているのを悟ったのだろう。
彼は奥から書類を出して来た。
「これがあの店舗の概要です。
一階は店舗と奥に生活部分があります。
生活部分は仕切れるので店からは
見えなくすることもできます。
二階もあるのでそちらで寝泊まりできますね。
まあ店舗兼住居です。」
「悪くありませんね。」
「そうです。」
営業マンは立ち上がった。
「この店をご覧になりたいですか?」
黒高は頷いた。
「はい。」
少しばかり奇妙な感じはする。
だが何故か黒高は気になった。
それはいわゆる「直感」だ。
営業マンに連れられて黒高は閉鎖されている店舗に来た。
中は思ったより綺麗で
しばらく手入れされていない様子は全く無かった。
「思ったより綺麗ですね。」
黒高は室内を見た。
床はナチュラルなカラーの無垢木で天井はクリーム色だ。
壁沿いに棚が仕付けてあり、
反対側の壁には洋服がかけられるバーがいくつかある。
中央にはものが並べられる大き目な
床と同系色の木のテーブルがあった。
「何だかそのまま服を入れたらすぐに店が開けそうだ。」
全ては新品ではないが程々に使い込まれて良い感じだ。
営業マンはバックヤードから移動式のハンガーラックを出して来た。
「これも以前の方が置いていかれたのですよ。
綺麗に拭けば使えます。」
「……すごいですね、至れり尽くせりだ。」
「バックヤードをご覧になりますか?」
営業マンがそちらに誘う。
そこにも棚が沢山あり、在庫倉庫として申し分ない広さだった。
そこには客用だろう水回りもあり、
その横には階段が二階へと続いていた。
そちらをあがると住居部分でキッチンなど
生活に必要な設備があり、
程々の広さの部屋もあった。
どの場所もとても清潔で窓から明るい光が差し込んでいた。
黒高はため息をついて営業マンを見た。
「どうしてこんな良い物件が売れないのですか?」
「どうしてでしょうね、
まあオーナーが次々と変わった事に
皆さん引っかかっていたかもしれません。
それに最初に悲しい出来事がありましたから。」
彼が言う事はもっともだ。
「ところでお客様はどのような商売を始めるおつもりですか?」
彼は黒高を見た。
そう言えば彼には物件は見せてもらったが、
その目的は話していなかったと黒高は思い出した。
「その、服屋です。」
話を聞いた男性は驚いた。
「服屋さんですか、びっくりですね、
この店ならほとんど買いそろえなくても開けますよ。
あ、服は仕入れないと駄目ですがね。」
と彼はははと笑った。
黒高は腕組みをしてしばらく考えた。
確かにここなら条件は破格に良い。
だがあまりにも話が旨過ぎる。何か裏がある気がした。
だが目の前の男性はにこにこと笑い、とても感じが良い。
「でもすぐに決める必要はありませんよ、
しばらくお考えになると良いのでは?
一週間ほどならお待ち出来ますよ。」
と彼は黒高に名刺を渡した。
「一度お店に戻って詳しくお話しましょうか。
ここは賃貸でなく買取となりますので。
分からない事などお聞きした上でご判断下さい。」
黒高は店に戻り店舗について詳しく話を聞いた。
店は緋莉の遺産でどうにかなりそうだった。
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