7 犬




黒高が店の外をウインドウ越しに見ると、

外の街路樹に連れて来た小型犬のリードを

結び付けている中年の婦人がいた。

彼女は犬をそこに置いてこの店に入って来る。


「いらっしゃいませ。」


黒高は入って来た女性に声をかけた。

彼女は彼を見て少しばかり薄く笑う。


「今度同窓会があるの。それで服をと思って。」


綺麗な女性だがどことなく胡散臭い感じがする。

だが客だ。


「はい、どうぞご覧になって下さい。」


彼女はそれを聞いて服を見始めた。

黒高はちらと外にいる犬を見る。


「お連れのワンちゃんもお店の中に入れてはいかがですか?

ペットも大丈夫ですよ。」


今日はどちらかと言えば暑い。

しかも犬がいる場所は日当たりが良かった。


「ああ、良いのよ、全然言う事を聞かないのよ。

連れて来たら悪戯するかもしれないから良いの。」


ペットを飼っている人とは思えない言葉だ。

黒高が返事も出来ずぽかんとしていると、

白高が奥から出て来て客の足元に腰を下ろした。


するとそこには片耳は立っているが別の耳が倒れた

愛嬌のある顔をした茶毛色の小型犬がいた。

雑種なのだろうか、犬種はよく分からなかった。


犬は白高を見ると尻尾を振って彼に寄って来た。

人懐っこい犬のようだ。

白高がにっこりと笑って犬の頭を撫でた。


「なんだ、お前、可愛いなあ。挨拶してくれてんのか、

良い性格してんなあ。」


犬は白高に飛びつきそうな感じでじゃれて来る。

相手にされているのが本当にうれしそうだった。

黒高はそれを見る。


「お客様、犬はお好きですか。」


黒高は客に伺うように言った。


「まあね、犬は好きだけど。

子どもの頃飼っていたから、その続きで犬はずっと飼ってるのよ。

でも最近の犬はダメねえ。」


女性は取り澄ましたように言った。

それを聞くと片耳が倒れた犬はびくりと女性を見た。


「お前さ、何か言いたいコトがあるんじゃね?」


白高が犬の頭を撫でながら言った。


「ありますよ。」


犬が喋った。


「ボクはこの人の親に昔飼われていたけど、

この人に結構虐められた。」

「虐められたのか、それでずっとついているのか?」

「うん、仲間に気を付けろと言うためにね。」

「この人、酷いのか?仕返しをするため?」

「仕返しはしないよ、虐められたけど、

この人も小さな時は可愛かったからね。

だからどうしてこうなっちゃったんだろう。」


片耳が倒れた犬は座るとしょんぼりとうなだれた。


「本当は良い人だとボクは思いたい。」


犬は呟くように言った。

その時、外に繋がれている犬のそばに一人の女性が近寄って来た。

繋がれた犬は女性に気が付くと

尻尾をちぎれんばかりに振り始めた。

女性は慌てた様子でリードを掴み犬を抱いて店に入って来た。


「どうしてうちのソラがここにいるの!」


入って来た女性はかなり怒った様子で怒鳴った。

黒高と客は驚いて入って来た女性を見た。

犬を抱いた女性は客を見て驚いた顔になった。


野漆のうるしさん、どうしてここに?」


野漆と呼ばれた店内にいた女性は少しばかり慌てた様子で

犬を抱いた女性を見た。


「その、柏葉かしわばさん、服を買いに来たのよ。」

「それはそうだけど……、」


犬を抱いた柏葉が一瞬気後れした顔になったが、

キッと黒高を見た。


「どうしてソラがここにいるの?」

「いや、ここにと言うか、このお客様、

野漆様がお連れになった犬です。」


二人は野漆を見た。


「ち、違うわよ、連れて来てないわ。

最初から外にいたわよ。」

「野漆様、違いますよね、

野漆様が連れて来られて外にお繋ぎになった。

外には防犯カメラもあるので証拠もありますよ。」


黒高がまっすぐ野漆を見て言った。

柏葉の口が強く結ばれる。


「PTAで話題になっているんだけど、

ペットが何匹も行方不明になっているのよ、

どの犬もこのソラみたいに小型犬。

みんな一度は自宅で野漆さんとお茶してるのよ。」

「それってどう言う事?

私が関係しているとでも言うの?」


野漆が怒って言った。


「第一柏葉さんが抱いているその犬もあなたが飼っている

ソラとか言う犬の証拠はあるの?

言いがかりをつけるならただじゃ置かないわよ。」

「マイクロチップが入っているわよ、

それを調べればすぐ分かるわ。」


柏葉がぎろりと野漆を見た。


「犬がいなくなったってもう警察に届けてあるのよ。

他の人も届けてるわ。」


野漆の顔色が変わる。

そして無言で柏葉が抱いているソラに向かって

いきなり手を伸ばし強く掴んだ。

ソラがギャンと鳴く。


その時、白高のそばにいた犬が野漆に走り寄り足を嚙んだ。


「止めて下さい!」


片耳が倒れた犬が悲しげな声で叫んだ。

黒高は野漆を後ろから抱きかかえてソラから離した。


「野漆さん、酷い、なんてことするの、すぐ警察を呼ぶわ。

店の人、この人を逃がさないで!」


そう言うと柏葉は外に出てスマホを取り出した。

野漆は悲鳴を上げた。

黒高はどうにか押さえているが野漆は暴れている。

そしてあの犬はいまだに野漆の足を噛んでいた。


「野漆様、落ち着いて。」

「うるさいわね、私は客よ!足が痛いのよ!離して!」


黒高は彼女の耳元で囁いた。


「足が痛いのは片耳が倒れた犬が

あなたの足を噛んでいるからです。」


それを聞いた途端野漆の動きが止まり、

ぎょろりと黒高を見た。


「片耳が倒れた犬?」

「茶色の毛ですね、雑種ですか?可愛い犬だ。」


彼女はそれを聞くと立ち竦んだ。

白高は足を噛んでいる犬に言った。


「お前、名前なんて言うの?」


犬は足から口を離した。


「サッカーです。」

「サッカー?球技の?」

「はい。足が速いからとつけてもらいました。」


そして黒高が立ち竦んでいる野漆に言った。


「名前はサッカーですね。」


野漆の顔から血の気が失せて真っ白になった。


「どうして知ってるの?

サッカーはとうの昔にいなくなったわ。」

「ずっとあなたについてますよ。

他の犬を虐めないようにと言っていました。」


野漆はそれを聞くとふらふらになり倒れそうになった。

黒高は慌てて彼女を店内のソファーに連れて座らせた。


「野漆様は一体何をしたんですか。」


彼女は俯いて額を押さえている。


「……犬が欲しかったの。」

「犬が好きなんですか?

でもさっきソラに掴みかかりましたよね。」

「好きよ、言う事を聞くから。

でもどの犬も言う事を聞かない。

だから言う事を聞く犬を探しているの。」


先程の柏葉の話ではよそで飼っている犬を

盗んだようだ。


「でもその犬は他で飼われている犬なのでは?」

「違うわ、私の所に来るためにそこにいるのよ。

どの犬も私の所に来たいのよ。

なのに家に連れて行くとみんな逃げようとする。

でもあのサッカーは逃げなかった。

だから本当はどんな犬も絶対に私からは逃げないのよ。」

「何匹、犬を盗んだのですか?」

「盗んだんじゃないわ、連れて行ったの。

でもすぐ足が痛くなるのよ。どうしてかしら。」


彼女は他人ごとのように言った。

白高がサッカーを見た。


「……逃げないって言っても

鎖に繋がれていたら逃げられないです。

ボクはそうだった。」


サッカーがため息をついた。

白高がサッカーの頭を撫でた。


「分かった、お前はあのおばさんを止めるのと

他の犬を助けようとずっとついていたんだな。」

「そうです。」


白高は腕組みをしてしばらく考えた。


「なら、お前は閉じた方が良い。」

「閉じる?」

「……わたくしは善良なあなたに問いましょう。」


白高はサッカーを見て人差し指を立てた。


「 閉じるかクローズ 契約するかクローズ 」


きょとんとした顔でサッカーが白高を見た。


「あなたのような善い方はもうじた方がよろしいと思います。」

「閉じる……。」


白高はにやりと笑った。


「ああ、多分もうお前の役目は終わりだ。

今日でこのおばさんの罪は明らかになった。

それにお前は十分な事をしたと思うぞ。

このおばさん、酷い奴でお前がどんな目に遭ったか知らんけど

お前はやっぱりこの人が好きなんだろ?

これ以上は見ない方が良い。」


サッカーは一瞬何かを思い出した。

それは白高にも見えた。


豊かな家に生まれた幼い少女と一緒に遊ぶ子犬。

だが親にお仕置きだと外に締め出されて泣く少女は

子犬と犬小屋で何度も寝た。

少女の顔には殴られた跡がいつもあった。


少女にとっては辛い状況だ。

だが子犬はその彼女の温かみを感じると

優しい気持ちになった。

仲間のような気がしていたのだ。


だからサッカーはこの子を守らなくてはいけないと思った。

だがいつの間にか少女は大きくなり、

サッカーを蹴るようになった。

鎖に繋がれた犬は逃げられない。

足の骨も折り、それが元で……。


「もう、ホント犬って忠義過ぎるよ。」


白高はサッカーの顔をくしゃくしゃと撫でると

サッカーは嬉しそうに尻尾を振った。


「行けよ、後はオレ達がやるよ。」

「でも……、」

「次生まれたらうまいコトやれよ。」


白高は店の奥を指さした。

サッカーは座っている野漆を見たが、

何かを悟ったのだろう。

静かに光に包まれながら店の奥に歩いて行った。


黒高も犬が歩いて行った方を見て野漆を見た。

座っている野漆は何かをぶつぶつと呟いている。


この野漆は犬に関して何かをしてしまったのだろう。

その理由はよく分からない。

それに見た目は裕福な家庭の主婦のようだが、

裏でこのような事をしているのでは、

プライベートも幸せではないだろう。


多分精神的にも追い詰められて

善悪の区別がついていない様子だ。

子どもの時も虐待を受けていたようだ。

暴力は人を狂わせ苦しめる。

だが彼女が言っている事は黒高には理解出来なかった。

どんな事情があろうとも罪は罪だと彼は思った。


しばらくすると店の外にパトカーが来た。

そして柏葉のそばに何人か同年代の女性が集まっていた。

みな店の方を睨んでいる。

警官が降りて来て柏葉から事情を聞いていた。


「野漆様。」


黒高が座っている野漆に声をかけると

彼女はぼんやりとした顔で彼を見た。


「野漆様、あなたは契約けいやくしなければいけません。

その契約はリアルな世界でしなければならない事です。」


彼女は聞いているのか聞いていないのかよく分からなかった。


「さあ、立って。」


黒高が彼女を促すと警官が店内に入って来た。

警官は黒高に軽く頭を下げると野漆を連れて行った。

そして柏葉達も警察に行くのだろう。

すぐに店の前から消えた。


黒高は大きくため息をついた。

すると白高が彼のそばに来た。


「ひでえ女だな。」

「まあ、ご本人も子どもの時に親に虐められていたみたいだし。」

「だからと言って犬に当たっちゃだめだよな。」

「まあそうだね。」


黒高は店のシャッターを下ろすボタンを押した。


「なんだ、閉店か。」

「なんか今日はやる気なくした。」


白高が指をパチンと鳴らす。


「んじゃ、街に出ようぜ。」

「やだよ。」

「えー、いいじゃん、遊びまわろうぜ。」

「遊んだって黒は酒も飲めないだろ。」


黒高は白高に背を向けた。


「僕は鶴さんとこに行って服を作る。」


黒高は後ろも見ずに店の奥に行きかけた。

二階の住居に行って用意をするのだろう。

ここは店舗兼住居だ。

白高が舌打ちをする。


「クソ真面目、オレは行きたくねぇ。」

「ご勝手に。」


黒高は白高を見る事無く奥に消えた。

白高は忌々し気に黒高が行った方を見ていたが、

彼も背を向けて姿を消した。






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