6 鶴丸




きれいにアイロンが掛けられた白い布がざっと広げられる。


清潔な景色だ。

そして胸元に『シャツ』と書かれたかなりくたびれたエプロンを付けた

初老の男性が型紙を置き、丁寧に布を裁ち始めた。


「鶴さん、毎度。」


初老の男がいる店の引き戸が開けられた。

そのガラスの引き戸には『将五しょうごシャツ店』と書いてあった。

引き戸は建付けが悪いのか少しばかりきしむ音がする。


部屋には布が沢山入れられた棚があり、

糸やボタンなどが雑多に置いてあった。

工業用ミシンも何台も置いてあり、

ここはシャツを作る店のようだ。

機能的で男の店と言う感じだろう。


黒太くろたか、今布を裁ってる。ちょっと待て。」


初老の男が手元から目を離さず言った。

中に入って来たのは黒高だ。

彼はそれを聞くと無言でほうきと塵取りを持ち

作業部屋を掃除し始めた。

しばらくすると職人が手を止めた。


「待たせたな、シャツか。」


黒高が将五しょうご鶴丸つるまるを見た。

鶴丸は白髪の痩せた初老の男だ。

頑固そうな少しばかり神経質な感じで

いかにも職人と言う様子だ。


「うん、シャツが一枚売れた。

それでそのお客さんが前に買ったシャツの

修繕をして欲しいと持って来たよ。」

「あー、いつものあの人か。

直接こっち持って来ればいいのにな。」

「鶴さんが怖いってさ。」


黒高がくすくす笑うと鶴丸がふんと言う顔をした。


「怖くねぇだろ、俺は優しい男だぞ。」

「そのべらんめぇじゃないかな。外国の人だから。」


と黒高が持って来た紙袋からシャツを出した。


「袖口が汚れてんなあ。」

「ホテルのオーナーだけどよく掃除をしているらしいよ。」

「偉いさんなのに大変だな。」


鶴丸が服を見た。


「二、三日かな、袖口以外も調べる。また取りに来い。」

「分かった。」

「それで今日は何を作る?」

「胸元にラッフルが付いているやつ。」

「貴族みたいなのか?」

「うん。作ってみたいんだ。」

「何だか豪勢だなあ、おい。普通の人は着んだろ。」

「コスプレの人は着るよ、多分。」


と鶴丸が棚を指さした。


「そこに余り布がある。好きに使っていいぞ。」

「ありがとう。

また分からなくなったら教えて下さい。」


と黒高は素直に頭を下げた。


「それは構わんがまたすごい色で作るのか。」

「うん、面白いだろ?」


鶴丸が苦笑いをする。


「まあお前は昔っから作る方が好きだからな。

俺には思いも寄らない組み合わせで作るし。」

「僕はデザインがしたいからね。

びっくりするようなものを作りたいよ。」


黒高が布を見出すと鶴丸が言った。


「その、もうモデルはやらないのか。」


黒高は布から目を離さず答えた。


「ああ、もうやらない。才能ないし。

それに僕は昔から服を作る人になりたいと思っているから。」

「ま、そうだな。」


と鶴丸が言うと彼も先程裁った布に触れた。


「でもまあ、そんなに意固地になるなよ。」


と鶴丸は仕事を始めた。

それを見て黒高も布を広げる。

それからは一切の無駄口は無かった。

店の外を時々車や人が通り過ぎる。


しばらくすると壁に掛けてある時計が鳴った。


「昼だ、飯にしよう。」


と鶴丸が言って黒高に近寄った。


「着物か。」


黒高の手には着物生地があった。


「うん、古着屋で着物を探してばらした。

それでラッフルのあるシャツを作ろうと思って。」


黒地に所々に金糸で刺繍のある布だ。


「ラッフルがあると結構くどい感じにならんか?

ラッフルだけ無地の布の方が良いんじゃないか。

地色の黒とか。」

「それじゃあ面白くないよ。

僕ならラッフルは金色にしてその縁に黒を入れる。」


黒高が少しばかり得意げな顔になる。


「派手過ぎないか、売れるのか。」

「残ったら僕が着るから。」


鶴丸が苦笑いをする。


「ま、お前は商売にならなくても気にしてないからな。

さあ、昼にしよう。」


鶴丸は奥に入り台所に立つと手際よく料理を始めた。

彼は台所の小窓を換気のために開けた。

その引き戸も少し音を立てる。


「鶴さん、入り口もなんか音がしたよね。」

「仕方ねぇよ、ここも建って60年ぐらい経ってるからな。

俺と一緒ぐらいの歳だ。がたが来てんだよ。」


食事は朝のうちに用意をしてあったのだろう、

黒高が準備をしているうちに料理が出来た。


「さすが鶴さん、手際が良いね。」

「バカにすんなよ、自炊歴40年だ。」


黒高は鶴丸が用意した料理を前に手を合わせた。


「鶴さんは結婚してないんだよな。」


鶴丸も食事を始める。

頑固そうな見た目に合わない器用そうな白く細い手だ。


「そうだよ、特に不便はねえ。」

「今の時代、職人はモテモテだよ。」

「めんどくせえよ。」


鶴丸は良い音を立てて漬物を齧った。


「まあ満知もいるし。女が二人もいると喧嘩になる。」

「満知かあ。妹さんの仁織にしきさんの子だから姪だ。」

「まあな、身内は俺しかいなかったからな。

あれから一緒に住んでたが。

でもお前らも親が死んじまったし。」


黒高が少しため息をつく。


「まあ、母さんと仁織さんは一緒に死んだからね。」

「飛行機事故だったな。

緋莉あかり西亀にしきと一緒に遊びに行った帰りに事故に遭った。」


それは7年前の話だ。


「満知は15才だった。父親もおらん。

一人にはしておけん。俺が面倒を見なきゃならん。」


むっつりしたまま鶴丸は食事を続けた。


「ま、お前らも大変だったろ、

モデルの仕事をしていたから金銭的には困ってなかっただろうが

お前達は17才で未成年だったからな。

緋莉もある程度は仕事仕切ってただろ?」


黒高は苦笑いをして首を振った。


「駄目だよ、母さんは。

子どもの頃からモデルをしていたから

確かに顔は広かったけど、

スケジュールとかそんなもの全然管理出来なかったよ。

僕が中学生になったぐらいから僕がやってた。

だからその点では全然困らなかったよ。」


鶴丸がははと笑う。


「確かにあいつは全てがいい加減だったよな。

どうしてうまく回るのかよく分からんかったが、

いつも調子が良くてな。」


鶴丸の顔が少し優しくなる。

何かを思い出しているのかもしれない。


白太しろたも緋莉にそっくりだったな。調子が良くて。」


黒高が複雑な顔になる。


「僕と白は全然似てないよね。」

「ああ、似てない。正反対だ。」

「だよなあ、性格も全然違うし、顔も違う。

でも昔からみんなは僕達はそっくりだと。」

「俺にはちゃんと区別がつくぞ。

双子だからって一緒ではないよな。」


鶴丸がそう言うと黒高はにっこりと笑った。


「だから鶴さん、好きだよ。ちゃんと分ってくれてる。」

「まあいつまでも気にするな。お前はお前だ。」


食事は終わり午後からも二人はほとんどしゃべる事なく

シャツを作り続けた。


夕方近くになった頃、

黒高が朝から作っていたシャツを広げた。


「どう、鶴さん、着物地のシャツ。」


黒地に金糸の刺しゅうがしてあるシャツだ。

胸元には控えめなラッフルがある。

ラッフルは黒の別布で縁に着物地がパイピングしてあった。


「ラッフルは控えめにしたのか。」

「ボタンで取り外しができるようにした。」


黒高がラッフルを取り外すとシャツは普通の形となった。


「渋いだろ?」

「まあまあだな。」


黒高が満足そうな顔をする。


「これは店に置くのか?」

「そのつもり。リメイク品として出すよ。」

「まあ、好きにしろ。」


黒高は鶴丸を見た。


「鶴さんも一度店に来てよ。」


だが鶴丸は苦々しい顔をする。


「やだよ、お前の店、怖いから。」

「怖いって、どこが?」


鶴丸は体を震わす。


「お前の店は絶対に行かねぇ。」

「そんな事言わずにさあ。」

「駄目だ、シャツは卸すが勘弁してくれ。」


壁の時計が時間を告げる。


「五時だ。仕事は終わり。また作りに来い。」


鶴丸は周りを片付け始めた。

彼がそう言うともう終わりなのだ。

黒高は仕方がないと言う様に道具を片付けだした。


「ああ、ホテルオーナーさんのシャツな、明日直す。」

「うん、お客さんは一週間後に来ると言っていたから、

二、三日したら取りに来るよ。」

「ああ、よろしく言っといてくれ。」

「うん。」


黒高が引き戸を開けて外に出ると

中から鶴丸が黒高に手を上げた。

そしてカーテンを引く。


薄暗くなった部屋の中で鶴丸が周りを見渡した。

そしてため息をつく。


「……満知の所に行くか。」


鶴丸は店の奥に歩き出した。

急に十も歳を取ったように背中が丸くなっていた。

先程までのしゃっきりとした様子はない。


鶴丸は仕事部屋の電気を落とした。

部屋は暗くなり、外からは車が走る音が聞こえた。






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