3 藪枯 2




「藪枯さんのお葬式はどなたが?」


黒高が小車に聞いた。


「別居していた奥さんがいたので、

俺達が警察に向かった後に連絡が行ったようです。」


彼が黒高に話したのは大筋だけだ。

小車と菫の話は二人の秘密だ。


「あの後奥さんの希望で詳しい死因を調べたのですが、

やはり頭を打って脳内出血をしたのが原因だと聞きました。」


小車は大きくため息をついた。

その様子を白高が見る。

そして彼の隣には藪枯がいるが、この二人は撮影隊には見えていない。


白高は藪枯を見た。

その顔は空っぽだった。

目は開いているが白く濁っている。

多分小車の話は全く聞いていないだろう。


「藪枯さん。」


白高が彼に話しかけた。

するとすっと彼の瞳が戻った。


「だから、映画だよ、映画。俺は脚本を書いているんだ。

忙しいんだよ、俺は。」


彼は同じ言葉を繰り返した。

白高は腕組みをして藪枯を見る。


「お話は聞きましたよ。

あなた、もう死んでいるんじゃありませんか。」


それを聞くと彼の瞳がぐるんと白くなり動かなくなった。


「ほら、自分の都合の悪い話はそうやって無視をする。

そんないい加減な事ばかりしているから、

今どっちつかずなんですよ。」


藪枯は目が白いまま怒ったように言った。


「どっちつかずってどういう意味だ。」

「未練たらたらで死ぬに死ねないんですよ。

死んだって認めたくないんですね。

バカみたいにプライドが高いから。」

「うるせえ、俺には才能があるんだ、なんでも作り出せる!」

「死んだら才能なんてただのゴミです。」


それを聞いた途端藪枯の顔がどす黒く変わり、

顔に奇妙な皴が現れた。


「ほら、よこしまになりかけてますよ。恐ろしい顔だ。

このままならあなたは悪霊となる。

この世に不幸をまき散らす、ね。」


それを聞いて藪枯が自分の顔を押さえた。

その手がすりすりと顔を撫でる。

顔に現れた皺を確かめているのだろう。


「お、お前は一体何者だ。

ずけずけと人の事を馬鹿にしやがって。」


それを聞いた白高の顔がくっきりと藪枯を見た。


「わたくしは決める者です。あなたの行先を。

決めなさい。」


それを聞いて藪枯は手を降ろしぎくりと白高を見た。

その目は元に戻っていた。


「決めるって何を……、」


白高が藪枯を見た。


そしてそれを聞いていたのだろうか、

黒高が撮影隊を見る。


「僕にはあなた方はその藪枯さんに

囚われすぎている気がする。」

「囚われている、と……。」


三人は黒高を見た。


「囚われ過ぎて全員が動けなくなっているんですよ。」


黒高が言った。

小車は彼を見る。


この西村川黒高とは打ち合わせで数回会っただけだ。

全く親しくない。

だが彼ははっきりと物を言う。

ある意味言い過ぎなぐらいだ。


それになぜ彼に過去を話したのか。

それは小車にはあまりにも深い痛みを伴う話だ。

なのによく知らない黒高に言ってしまった。


「ど、どうしたらいいのか……、」


少し震える声で小車が言った。

奇妙な圧迫感を黒高から小車は感じていた。

ぞわぞわとした感覚が見てはいけないものが

ここにあると教えていた。


そして藪枯も白高に言った。


「俺はどうしたらいいのか……、」


しんと空気が張り詰める。

沈黙が続く中、黒高と白高は顔を上げて同時に言った。


「「 閉じるかクローズ 契約するかクローズ 」」


それは大きな声ではない。

だが人の声とは思えない響きだ。

一重の目と二重の目が皆を見た。


撮影隊の皆は足元が無くなった気がした。

身体の力が抜ける。

そして藪枯もへたへたと座り込んだ。


白高が藪枯を見て人差し指で彼を指した。


「あなたは自分の才能に溺れて

人を人と思わず蔑み悲しませた。

そして死してなお人を苦しませている。

だがあなたはかつて希望に満ち、

人に力を与える仕事をした。その徳でここに来られた。

だから選べるのです。

じるか、契約けいやくするか。」


藪枯はぶるぶると震えている。


「閉じればすぐに然るべき場所で罪を償う事になるでしょう。

ですが契約すれば仕事をして罪を償います。

贖罪です。」

「償うって俺は何をしたんだ……、」


白高がそれを聞いて鼻で笑った。


「まだ分かっていない。

どうして奥さんと別居したのか忘れたのですか?」


藪枯の目がぐるぐると回る。


「何人もの女性を自分の好きなようにしたんでしょ?

自分の名声を見せびらかせて。

今ここにいる菫さんにも。

沢山の女性にあなたは酷い事をした。

鬱憤と自分の欲に任せて。」

「なんでそれを……。」

「そして他の才能ある若手を嫉妬で何人も潰しましたね。

ここにいる三人も潰されかけた。」

「俺は天才だ。天才に仕えるのは当たり前だろう!」


白高がため息をついた。


「あなたは分かっていない。

ならばやはり契約した方が良いでしょう。

然るべき場所に堕とすのは生ぬるすぎる。」

「うるせえ、勝手に決めるな!」


白高がにやりと笑い、どこかから紙を取り出した。


「さあ、契約書です。サインしなさい。」

「誰がするか、何がサインだ、契約書だ。」

「おや、サインしないのですか、

なら私が代わりにサインしましょう。」

「何を無茶苦茶な、人の代わりにサインなど……。」


白高の顔つきが変わる。


「いい加減にしろ、オレ様がこれほど言っても

分からんのだな、バカが。契約だ。

助けてやるんだぞ。」


白高は彼の言う事は無視してさらさらと紙に名前を書いた。

すると紙はすっと光りながら消えて、

地面から糸の様なものが無数に出て来た。

藪枯が驚いた顔になるが、一瞬にして彼は姿を消した。


それを白高が見送る。


「いつになるか分かりませんが

いつかはわたくしの決定を感謝するでしょう。

それまで贖罪の仕事を真面目に続けられるよう祈ります。」


そして白高が黒高を見た。

黒高の前には撮影隊の三人が青い顔をしている。


「閉じるって、契約って……、」


小車が震える声で言った。

黒高が目を細めて三人を見た。


「僕も考えたのですが、

あなた方は契約するより閉じた方が良い気がします。」

「閉じる?」

「終わらせるんですよ。」


と黒高がすうと右手を差し出した。

人差し指が立っている。


「あなた達を動けなくした出来事を閉じましょう。

その原因は既に契約されました。

あなた達はこれから違う場所に行き、生きるのです。」


三人は何も言わず黒高の指先を見ている。


「善良なあなた方に伝えましょう。

あなた方は今閉じました。」


三人ははっと気が付く。

彼らは事務所のワゴン車に乗っていた。


「えっ、」


小車が呟いた。

その横にいる菫と野竹もきょろきょろと周りを見た。


「し、仕事……、」


野竹が戸惑った様に声を上げた。

その時、車に近づいて来る白髪の小柄な老人がいた。

足を大きく引きずっている。

老人は車に近づくと窓を軽く叩いた。

運転席にいる小車が外を見ると

老人は手で窓を下げる様に合図をした。


小車はぎょっとして恐る恐る少しだけ窓を下げると

老人が言った。


「あんたらいつまでここに車、停めてるの?」

「えっ、いや、その仕事で……、」

「30分ぐらい停めてるだろ?

車がいないからって勝手に月極駐車場に停めちゃだめだよ。」


老人は少し怒っている。

小車はさっぱり話が分からずぽかんとした顔をした。


「恍けてもだめだよ、今ちょうど空きの場所だから

困る人はいないけど、

コインパーキングじゃないから早く動かしてよ。」

「あ、ああ、すみません、わざとじゃないんです、

すぐ動かします。」


小車は焦ってエンジンをかけて走り出した。


一体何が何だか分からない、

後ろに座っている菫と野竹もぽかんとした顔をしている。

まるで夢を見ていたみたいだった。


その時小車の目にファミレスが見えた。

彼はそこに車を停める。

皆はぼんやりとした感じで車から降りて店内に入り、

テーブルに着くと水が運ばれて来た。

それを同時に皆が飲むと大きなため息をついた。


「一体何が起きたの?」


菫がぼそぼそと呟いた。

その時注文を取りに人がやって来る。

皆はとりあえず注文をしてもう一度ため息をついた。


「あの場所に行ったのは確かだが

何をしに行ったのかさっぱり分からん。」


野竹が言った。

まるで明け方に濃い夢を見たのに

起きた途端に全て忘れてしまったみたいな感じだった。


「仕事のはずなんだが、」


と小車がスケジュール帳とスマホを取り出した。

そこには予定が書いてあるはずだった。

だがスケジュール帳やスマホには何も記入がなかった。

小車は皆を見た。


「何かがあったのは確かだが、全く分からん。

機材もあるがどうしてあるのかも理解出来ん。

事務所に戻ったら機材を一度調べよう。」


彼はスケジュール帳を見たおかげか

いきなり現実感が戻って来た。

もう一度彼は水を飲み、目を閉じた。

呼吸を整える。

そして皆に言わなければいけない事を思い出した。


「それで、みんなに話があると言ったよな。」


菫と野竹が小車を見た。


「仕事の話だ。」

「仕事、」

「ああ、大手から引き抜きの話がある。」


二人ははっとした。


「引き抜きと言うか誰か一人だけと言う話じゃない。

俺達の会社丸ごと受け入れたいと言う話だ。」


菫と野竹が顔を合わせた。


「藪枯の奥さんは知ってるよな。

あの人も映像関係の会社にいる。そこからの話だ。

あちらの会社の方が大きいから要するに吸収される。」

「でもなんで今更藪枯の奥さんが。」


野竹が驚いたように言った。


「藪枯と奥さんは別の大学だったが、

あの人も映像関係にいたんだ。

それで藪枯と知り合って結婚したんだが、

その、あいつは死ぬ前は色々と荒れていただろ。

浮気とか酷かったんだ。

それで別居していたんだが……、」


小車がため息をついた。


「それでもな、奥さんはあいつを買っていたんだよ。

いつかまた何か作るって。

だから離婚せずに別居していたんだが、

結局あんな事になって。」

「でも奥さんが私達にそんな話を?」

「実は藪枯が死んでからちょくちょく仕事を回してもらっていたんだ。

奥さんはあいつが作った会社を潰すのは忍びないと言ったんだ。

形見みたいなものだろ?

それで今あちらの会社は業務を拡大したいようで

俺達は経験者だ。だから話が来たんだ。

それにあいつが死んで一年経ったしな。」


菫が小車を見た。


「奥さんは藪枯さんを忘れられないと言うか、

やっぱり愛していたって事?」

「多分な。」


その時コーヒーが来る。

皆は何も言わずコーヒーにミルクや砂糖を入れた。

スプーンが立てる軽い音がする。


「俺も色々と考えた。

やっぱりこの会社も今のままじゃジリ貧だ。

いずれ首が回らなくなる。

それでも俺達には生活がある。

あれがしたいこれがしたいとは思うが、

やっぱり金がなきゃどうにもならん。」


二人は頷いた。


「もしかすると向こうのやり方に嫌でも

従わなければならんかもしれん。

それでも俺は藪枯みたいに才能は無くても、

何かを作り出す仕事を続けたいんだ。

石にかじりついても俺はこの仕事は辞めない。」


小車はまっすぐ二人を見た。

野竹がふっと笑う。


「小車ちゃんも相変わらず熱いな。

俺もさ、仕事しながら色々と考えるのが好きなんだよ。

どうやったら面白くなるか、綺麗に録れるか。

みんながびっくりするようなものが欲しいな。」


野竹はコーヒーを一口飲んだ。


「俺も行くよ、子どもがいるし、生活がある。

映像関係なら何でもする。」


二人は菫を見た。


「なによ、私がどう言うか見てるの?」


二人がふふと笑う。


「行かない訳がないじゃない。

私はもう若くないけどそれでも経験があるわ。

ナレーションをやらせたら多分一番上手いわよ。」

「若くないってそんな事ないぞ。

菫ちゃんは凄いと思う。」


小車が菫を見て笑いながら言った。

菫は少し顔を赤くする。

それを野竹が見て手を頭の後ろに当てて伸びをした。


「あー、見てらんねぇ。」


菫と小車が野竹を見た。


「小車ちゃん、そろそろバシッと決めた方が良いんじゃないの?」

「え、何を?」

「恍けてんなあ、それか本当に分かってないのか。」


野竹が菫を見た。


「いいタイミングだぞ、女の人から言っても良いんだぜ。」


それを聞いた菫の顔が真っ赤になり、

小車もそれを見て分かったようで彼も赤くなった。


「野竹、その、いつから……、」

「うっせぇなあ、見え見えだよ、

俺は妻帯者だからな、そう言うの分るの。

今がチャンスじゃねぇの?」


と野竹が苦笑いした。


「俺が邪魔なら席を外すよ。」

「あ、いや、その、行かなくていい。むしろいてくれ。」


小車が菫を見た。


「あの、菫ちゃん、」

「……、はい。」


小車がちらと野竹を見た。

野竹はにやにやしながら手で小車をあおった。


「その、仕事も変わるし、あの、その、結婚しないか。」

「……、はい。」


それを聞いた野竹が拍手をする。

音に気が付いた別の客が三人を見た。

野竹がにこにこと笑いながら言った。


「今ね、こいつやっとプロポーズして成功したんですよ。」


するとその客もにっこりと笑って拍手をする。

いつの間にか周りの人は二人に向かって拍手をしていた。


拍手の真ん中で菫と小車が恥ずかしそうにしている。

だが嬉しそうな笑顔だ。


「なんだよ、野竹はずっと俺達が付き合ってるの

知っていたのか。」


小車が恥ずかしそうに言う。


「バカ野郎、

お前らの様子なんてばればれだよ。」


小車と菫は驚いたように顔を合わせて

そして笑い出した。






「豊さん、ありがとう。」


クローズ・西村川の店内だ。

カウンター近くに黒高と白高が立ち、

入り口には先程、駐車場で撮影隊に注意していた老人がいる。


「あれで良かったか?」

「うん、上出来だよ、

要するに穏便に帰って欲しかったから。」

「でもなんか憶えてんじゃねぇか?」

「どーせ全部忘れてんだろ、じーさん、吸うか?」


白高が胸元から煙草を出し、その一本をゆたかに差し出した。

豊は手刀で一度拝むとそれをつまんだ。

黒高はそれをちらと見て言った。


「豊さん、別の所で吸ってよ、

それであの人達はもう忘れてるよ。

夢でも見たような感じだと思うよ。」


豊が煙草をつまんだままそわそわし始めた。


「じーさん、もう行って良いよ。

あっちで吸って来いよ。また頼むな。」


白高が苦笑いして言うと、

豊はにやりと笑って店内の奥に向かい姿が消えた。

足が悪いのでそのリズムは独特だ。


「ニコチン中毒は治んねぇのな。」


白高が煙草を一本取り出し口にくわえようとした。

だが黒高がそれを取り上げた。


「何すんだよ。」

「店内はタバコ禁止。臭いが付く。」

「オレが吸ったって臭いなんかつかねぇぞ。」

「そうだけど駄目だ。」

「ちっ、優等生の黒バカ。」


白高は忌々し気にそう言うと煙草をしまった。


「白は仕事の時はちゃんとわたくしと言うのになあ。」

「仕事は仕事、それ以外の時は何にも言って欲しくないね。

オレ様はオレ様だ。かっけーだろ。」

「黙っていれば王子様なのにな。」

「うるせえ、それを言うな。反対に黒はヤンキー顔のくせに

優等生なのも変だぞ。」

「しょうがないよ、この顔に生まれたんだから。」


二人はため息をつく。

そしてお互いにふふと笑った。


「双子なのに性格も違う。」

「仕方ねぇ、そう言うもんだ。」


と白高が背を向けた。


「じゃあ、オレは帰るぜ。」

「ああ、またな。」


白高は店の奥に行き、姿を消した。

黒高はその背中を見送る。


そして閉店の準備を始めた。


外はすっかり夜になっていた。

ぽつりぽつりと人が通り過ぎる。


黒高は今日来た撮影隊を思い出していた。


「多分何も映っていないだろうなあ。

もし本当に放送出来たら客がどっさり来るかな。」


彼は呟く。

この店で忙しくなった事は一度もない。


だがお客様がいらっしゃった時は精一杯の接客をする。

それは彼がこの店を始めた時に決めた事だ。






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