2 藪枯 1




「またこんな仕事取って来たのかよ。

ただの地方CMか。」


マンションの一室の小さな事務所だ。

昔は結構な人数の社員がいた新進気鋭の映像企画会社だった。

若手も何人もいたがいつの間にか皆は辞めていた。

残っているのは最初からいた者だけだ。


「でも藪枯やぶがらし、こういう仕事もしないと

資金が無いと映画は撮れんぞ。」


小車が企画書を差し出した。


「あちらはこれでいいと言うから明日から撮影だ。

菫ちゃんが演じるからな。」

「クソ田舎の店だからな、菫ならちょうどいいな。」


藪枯はにやにやと笑いながら菫を見た。

彼女は引きつったように笑う。


「バカ野郎、菫は立派なタレントだぞ、

機転が利く。大事な才能だ。」


と小車が言った。


「ただのCMだ。

簡単にちゃっちゃっと撮れよ。

さあ、俺は映画の脚本でも練るかなあ!」


当てつけるように藪枯は大声で言うと

バアンと音を立てて部屋を出て行った。

それを見て小車がため息をついた。


「小車、いつまで藪枯にあんな事言わせるんだ。」


ずっと黙っていた野竹が呆れたように言った。


「昔から映画と言っているけど

立派なのは学生の時に撮ったきりだ。

確かにその時賞は獲ったけど……。」

「あいつは確かに才能はあるんだ。

だからこの会社を立ち上げる時にも色々な所から支援を貰った。」

「だがそれからさっぱりだろ?

数本小さな映画は撮ったが。

支援者と飲むのが仕事だとか言って出て行くけど、

今はもう誰もあいつを誘わない。

むしろお前が頑張って仕事を取ってる。」

「そうよ、いつまでも藪枯さんにあんな事言われて……。」


菫が怒って言った。

怒りからだろうか少しばかり目が潤んでいる。


「菫ちゃん、藪枯にあんな事を言われて悔しいよな。

俺は菫ちゃんは才能があると思っている。

あいつの言う事は気にするな。」

「違うのよ、私があんな事を言われて悔しいんじゃないの。

こんなに小車ちゃんが頑張っているのに

藪枯さんが偉そうにしているのが悔しい。」


野竹がちらと菫を見る。


「俺もそう思うよ。

俺はたいして仕事を取って来られないから

小車は凄いと思う。」

「いや、野竹の耳は職人だよ。

お前しか出来ない事は沢山ある。」


そして三人は大きくため息をついた。

しばらく何もしゃべらない。


「まあ、明日CMを撮ろう。一日で済ますぞ。

藪枯には大した仕事じゃないかもしれんが、

CMは毎日何度も見る映像だ。

手抜きをするとすぐ飽きられる。

知恵を絞って作らないとダメなんだ。CMは怖いぞ。」


小車が空気を変えるように明るく言った。


「そ、そうね、大事な仕事よね。朝の6時集合ね。」

「そうだな、早起きしないと。」

「野竹ちゃん、奥さんにまた起してもらうの?」

「あ、はは、頑張って目覚ましかけるよ。

まだ子どもが小さいからな。」

「赤ちゃんは大変よね。」


とその日はそれで皆部屋を出た。


その次の日の朝だ。


「朝4時はさすがに寒い。」


と菫がぶつぶつと呟きながら事務所にやって来た。

撮影の準備のためだ。

誰に言われたわけではないが、

彼女はいつも仕事の時は一番にやって来る。

部屋に近づき彼女は扉にカギを差し込んだが感触が違う。


「開いてる?」


彼女はそっとドアを開けた。

中は真っ暗だ。


「前の日、鍵をかけ忘れたのかしら。」


と彼女は言うが鍵をかけた覚えはあった。

彼女はそろそろと中に入り電灯のスイッチに手を伸ばした。


その手を誰かの手がむずと掴む。


彼女はぎょっとする。

そして口元を手で抑え込まれた。


男の力だ。


彼女は暴れるがそのまま抑え込まれた。

大きな体が彼女の上に乗る。

全く身動きできなかった。


「菫……菫……。」


それは藪枯の声だった。

不快なアルコールの臭いがする。

彼は酔っている様だった。


「お前、小車が好きなんだろ。」


彼は菫の口を押えたまま言った。

菫はもう恐ろしさで体が硬直していた。


「俺は……、」


と言うと彼は乱暴に菫の服をむんずとつかんだ

その時、部屋の電気がぱっと点く。


「藪枯!お前!」


そこにいたのは小車だった。

彼も早めに来たのだ。

藪枯は菫に馬乗りになったままぎょっとした顔で小車を見た。


「恥を知れ!藪枯!」


彼は藪枯の胸倉を掴むと彼女から引きはがし

部屋の奥に押した。


「う、うるせえ!いい気になるな!小車!」

「それはこっちのセリフだ!

仕事もろくに獲って来ないくせに菫を襲うとは

お前は一体どうしたんだ!」


それを聞くと藪枯はへなへなと座り込んだ。

まだかなり酔っているようだった。


「うるせぇ、本当にうるせえ。

俺には才能があるんだ、お前らにはない……。」


俯いて呟くように藪枯は言った。

小車は急いで菫を起した。


「菫ちゃん、大丈夫か。」


菫の顔は真っ白だった。

だが気を取り直すように首を振ると小車を見た。


「うん、もう、平気。」


小車が心配そうに菫を見た。

藪枯は座り込んだまま何かぶつぶつと言っている。

すると野竹が事務所にやって来た。

彼は驚いたように皆を見た。


「な、何があったんだ。」


異様な気配に彼も何かを感じたようだった。

だが菫がにっこりと笑った。


「何もないわ。

藪枯さんが酔っ払っているのよ。

だから藪枯さんはこのままここにいてもらって、

私達は仕事に行きましょう。

早く行かないと。」


小車が複雑な顔をして菫を見た。

だが確かに早く撮影に行かなくてはいけない。

今は仕事一つ一つがここを続けるための命綱だ。


「あ、ああ、そうだな。」


少しばかり戸惑いながら野竹が機材を運び出した。

小車と菫も一緒に機材を運ぶ。

その間藪枯は座り込んだままぶつぶつと呟いていた。


「藪枯、俺達は仕事に行く。

夕方には帰るからそれまでに酔いを醒ませ。」


小車は座っている藪枯に言ったが、

藪枯は返事もしなかった。


その日一日かけて彼らは撮影を続けた。

小車はちらと菫を見た。

彼女の様子はいつもと変わらない。


だが彼は今朝の事を思い出していた。

藪枯に馬乗りにされていた菫の姿だ。


あの瞬間頭が沸騰するかと彼は思った。


元々穏やかな性格の小車だった。

人に手を上げた事は無かった。


だがあの時初めて人の胸倉をつかんだ。

そしてその相手はあの藪枯だ。

明るい顔で夢を語り合い、切磋琢磨した藪枯だ。


どうして藪枯はあのような男になったのか。

泉の様に才能溢れる男だった。

一緒にいるだけでこちらも何かが起こせそうな気がした。


そんな男が女を襲っていた。

その女は今ここにいる菫だ。


男性が多い業界で必死に頑張っている女だ。

菫は機転の利く有能な女だ。

それに何度助けられたか。

彼女に励まされて微笑みかけられるとこちらも楽しくなる。

こんな女性に彼は初めて出会ったのだ。


そして彼はまだ彼女に告げていない。

彼の心には菫がいる事を。


その女に藪枯はひどい事をしようとしたのだ。


「小車ちゃん。」


撮影が終わり機材をまとめ始めた時だ。

菫が小車のそばに来た。


「あ、お疲れ。大変だったな。」


菫の顔が少しこわばる。

仕事中はにこやかに笑っていたが、

さすがに疲れたのだろう。


「あの、野竹ちゃんには言わないでね。」


真剣な彼女の顔だ。

菫は未遂とは言えショックで傷ついているはずだ。

だがそれを押し殺し、しなければいけない仕事をこなした。

大変な精神力だ。

小車は菫を見た。


「菫ちゃん、このまま帰るか?片付けは俺がやるよ。」


だが菫は首を振った。


「ううん、私も片付けるよ。

小車ちゃんは戻ったら編集するんでしょ。」

「うん、相手に持って行くのは三日後だけど、

早く編集してクライアントに渡したいからな。」

「それより野竹ちゃんに帰ってもらった方が

良いんじゃない?

野竹ちゃんのとこ赤ちゃんがいるし、奥さんは大変でしょ?」

「そうだなあ。」

「それに……、もう藪枯さんは事務所にはいないと思う……。」


なにかしら含みがある菫の言い方だ。


「……、一人になりたくない。」


それはとても小さな声だ。

小車はドキリとする。


「……分かった。」


マンションに戻ると野竹は事務所に行くと言ったが二人は彼を帰した。

そして事務所前に二人が行くと室内には電気が付いていた。

早朝のあの時のままだ。

もしかすると藪枯がまだいるのかもしれない。


「菫ちゃん、帰った方が良い。」


菫は青い顔をして小車を見た。


「ダメ、一人になりたくない……。」


絞り出すような声だ。

それを見て思わず彼は彼女のそばに寄りぎゅっと抱き締めた。

彼女のこんな我儘は聞いた事は無かった。

一瞬菫の体が止まる。

だがすぐに彼女の手は彼の背に回された。


そして二人の体温が交わった。


「分かった。俺が先に様子を見るよ。

藪枯がいたら帰ってもらう。」

「うん。」


彼の胸に顔を寄せて菫が頷いた。

そして扉から離れた所に菫が立つ。

その様子を見て小車はそっと扉を開けた。


中は朝のままだった。

そして藪枯が座っていた所には誰かが倒れている。


その瞬間小車はぞわりとしたものを感じた。

それは本能だ。

人には抗いがたいものがそこにあった。


小車は恐る恐る倒れている藪枯に近づいてその顔を見た。

口元には泡が付いている。

そしてその目はかっと開かれているが生気は無かった。

胸元の動きはない。


「菫ちゃん!救急車!」


藪枯の顔色は死を表していた。




結局救急車は来る事は無かった。

その代わり警察が来て現場検証と事情聴取が行われた。


藪枯の遺体を調べると頭部に打撲の跡があった。

またマンションの住人が

夜更けに藪枯は入り口で転んで大騒ぎを起したらしい。


「入り口の階段から落ちたんだよ。すごく酒臭かった。

転んでもずっと騒いでいて本当にうるさかった。」


警察が防犯カメラを調べると確かに

一人で歩いていた藪枯はふらふらと階段から落ちた。

その時に頭を打ったのだろう。


もう小車と菫は編集作業どころではなかった。


藪枯の死因には事件性はないのは明らかだが、

二人は警察署まで行き、話を聞かれた。


多分彼は頭を打ってそれが原因で死んでしまったのだろう。

明け方の彼の態度もおかしかった。


警察署を出るとタクシーが止まっていた。

そこを出る時に若い警官がタクシーを呼んだと二人に伝えていたのだ。

それは警察側の好意だろう。


小車と菫はそこに近づく。

二人とも疲れた顔をしていた。


「あの、菫ちゃん、」


小車がちらと菫を見た。

菫の顔色は悪かった。

彼はそれを見て菫を一人には出来ないと思った。


「菫ちゃん、あの事を言わないでいてくれてありがとう。

あいつの名誉は菫ちゃんが守った。」


菫は警察の事情聴取に明け方に仕事場に向かうと、

そこに藪枯がいて暴れた後座り込んでぶつぶつと呟いていたと言った。


「その時、様子が変だとは思わなかったの?」


聞き取りの警官からは少しばかり意地悪な質問をされた。

だが真実を知るための必要な質問なのだろう。


「変だと思いましたが藪枯さんは酔うと

いつもそんな感じだったので……。」


と菫は答えた。

小車はその横にいて同じように答えた。

確かにいつもそうだったのだ。


小車は菫の肩を持ち車に乗り込んだ。

そしてその耳元で囁く。


「俺の家に来る?」


菫が俯いて無言で頷いた。

涙がぽたぽたと下に落ちる。


「俺んち汚いよ。覚悟してよ。」


それを聞いて菫が鼻をすすった。


「一緒だったらどこでもいい。」


小車は運転手に行先を告げると、

泣いている菫の手をしっかりと握った。






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