第50話 河船(2)
アンカレ領は「●●●」を排除しているので、旅人や傭兵などをのぞけば僕やクルルがそうだと気づく人はいない。もしかしたら隠れすむ「●●●」がいるかもしれないが、わざわざいいたてて自分の正体を明かすことはないだろう。
だから、リドとカザンを警戒していたが、被害にあいそうになったのがクルルだったのは意外だった。
状況を言えば、人さらいは漁師のようで、小さな幌付きの船をもやってあったのだけれど、そこを船への戻りで歩いてきた僕たちの最後尾にクルルがいるのをいいことに後ろから羽交い絞めにし、口をふさいで船に連れ込もうとしたらしい。
クルルが普通の女の子なら、屈強なその漁師にさからえなかっただろう。僕たちが気づいたときには押し込められた船は港を離れていたかもしれない。
僕たちが男の苦悶の声に振り向くと、漁師は干からびた魚の残骸だらけの埠頭の上で足をかばいながら倒れていた。クルルは構えたままステップバックし、油断なく見下ろしている。
「こいつ、いきなり抱きついてきた」
仲間の漁師が船からあがってきたのを見て、彼女は後ずさりながら言った。
「折れてはないと思うが、ひびくらいいってるだろう。連れて帰って養生してやんな」
仲間の漁師はどうやら彼女が「●●●」らしいと察したようだ。憎しみと恐れをまぜこぜにした目でにらみつけながら仲間を肩にかついだ。
ちらっと見ると、埠頭で見張りをしているアンカレ領の衛兵は完全に知らないふりをしていた。視線に気づくと、彼はこちらを一瞥もせず、手でしっしっと追い払う仕草をする。
面倒なだけと思ったのだろう。
「ルマ人のあばずれが」
腹いせなのだろう。漁師がことさら大声で毒づくのが聞こえた。クルルは気にしてないようだが、僕はなんかものすごく腹がたって、足元に落ちていた干からびた魚の頭をそいつに投げた。
悲鳴が二人分聞こえた。ぶつけられた男のものと、彼が思わず取り落としてしまった仲間の漁師の分だ。
「大人気ないよ」
クルルが苦笑しながらぽんぽんとなだめるように叩いてくる。
「あいつ大丈夫かな」
「まあ、あざくらいにはなるんじゃない? 石だったら死んでるけど」
石礫の用意は少ししてある。そっちを投げなかったのは正解だったな。
船に戻ると、船頭に一言だけ注意された。
「あんまりひどい面倒起こすとおりてもらいますからね」
船はキンシの町を離れ、運河をくだっていく。
左岸のほうに放水池がならんでいるあたりを通過した。
大雨のときなどに決壊をふせぐために水を切り放すための広い池が点々としているが、水門でしきられているはずなのにそれはもう壊れて痕跡だけ、放水池には運河と同じ水位まで水が満ちていた。その池には養殖のためか竿や網が規則ただしく張られており、さっきの漁師の船に似た船が浮かんで何やら作業をしている。そして岸には彼らの家らしいものが三々五々建てられており漁村となっていた。
あの人さらい未遂の二人も、ここから来たのだろう。
そんな風景が一時間ほど現れては消えた。
漁村風景がきれると、両岸には広々とした畑が見え始める。アンカレ領でも穀倉地帯になるところだろうか。このへんになるとびっくりするくらい同じ風景が続く。キンシのような町でもあればいいのだが、そういう町はもうけられていなかった。
空が茜色になりはじめたころ、行く手にかなり立派な城壁を備えた要塞都市が見えてくるまで、何時間もそんな風景だった。カザンは退屈そうだし、リドも最初は畑を観察してぶつぶついってたが最後には寝てしまった。ダルドはだまって山刀の刀身を磨いている。そしてクルルは僕に頭をあずけて寝てしまうものだから、僕が寝るわけにはいかず、けっこうな退屈を味わうことになった。
隊長とスルト執事は何を思うのか静かに姿勢よくすごしていた。
ただ、ダルドがぼそりとひとことだけ田園風景についてコメントをした。
「あれ、冬エンバクだな。馬鹿サトイモもある。広いけど、土地は貧しいな」
どっちも救荒作物の類で、地味のよくない土地で作られるもの。彼らの育ったハシバミ村では拓いたばかりの土地に植えて、収穫後可食部以外をすきこんで肥やしにしていたそうだ。アンカレ領にも事情はあるみたい。
到着した都市はアンカレ領ではなかった。王族の一人、ハマユウ大公の治める港町で、ハマユウという。外洋に出る玄関となる港町で、運河だけでなく、王都につながるという大きな川の河口に臨む町でもある。
運河の船旅はここまでとなり、明日の朝に川沿いの街道にはいって王都を目指すとスルト執事に言われた。そして隊長とはここまでとなる。彼は沿岸航路にのって、新しい勤務先に向かうのだそうだ。
運河が川に合流するあたり、船着き場になっているあたりには船員宿がいくつもある。どれも三階建てで幅もどっしりとして立派なものだ。そんな大きな建物が並んでいるのはここまでの町でも見たことのないクルルたちは気後れしているようだったが、スルト執事はここには泊まらないといった。
「もっといい場所にあてがございますゆえ」
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