第48話 春の到来(2)

 雪解け水が軒からしたたりおちる晴れた朝、僕たちは駄獣車の箱型の車体にのりこんだ。

 座席は四列もうけられていて、それぞれ左右に扉がついている作りだ。扉には窓があって、ガラスではなく何かの生き物の空気袋かなにからしく少しかすんで見える半透明の丈夫なぶ厚い膜が張られている。ガラスは存在するそうだが、もろいもので揺れる乗り物につけると衝撃で砕けてしまうそうだ。

 車の先頭部分には頑丈な盾でまもられた御者席があり、御者二名がのっている。運転する一名は高いところに張り渡した板の上の椅子に座っているが、交代要員のもう一人はその下の深めの空間で休むようにできていた。一定時間でとまって上下いれかわって疲労によるミスを避ける体制になっている。

 そしてそれを牽引する駄獣。外見はコブのないラクダという感じだが、ラクダにはない短い角が生えていて、ラクダより足が頑丈でずんぐりしている。

 便宜上、ラクダと呼ぶが、これがこのあたりでは一般的な駄獣だ。

 農村では鋤をひくこともあるので牛に近い使われ方をしている。そうでなく乗用専門の馬に近い体格のものもいるようだ。

 出発前の厩舎ではまだまだ寒いので火がたかれている。そこに御者が飼い葉をくべているので、不審に思ったスルト執事がきくと、それは毒をしこまれた飼い葉という驚きの答えが返ってきた。

「商売仇にこういう嫌がらせをするやつがいるんで、念のために確認したらこの通りで、旦那、誰かに恨みでも? 」

「心当たりはあるがね、証拠になるものがあればね」

「ないですなぁ。ま、用心することです」

 豪胆だな御者さん。

 この車はラクダ二頭引きだ。四頭くらいいなくて大丈夫かと思ったが、走り出すととんでもなかった。

 速度は時速十キロ程度出てると思う。車社会出身者にとってこれは自転車程度で決して早くはないが、歩くより断然速度が出る。ただ、快調といいがたいことに路面が雪解け水でぐずぐずすぎるところ一、二か所では降りて車体下につってある丸太をかまして乗り越えさせてやらなければならなかった。

 さらにサスペンションが全然原始的で路面の石でも踏めばお尻に衝撃が来る。若干緩和されてはいるが、感触としては硬い。ちょっと痛くなりそうだ。

 小さい子供は我慢がしにくい。リドとカザンは半泣きになり、ダルドはやせ我慢していたが、まだつかないのか、と聞きたそうにスルト執事をちらちら見ていた。

 距離だけなら、この速度なら一時間かからずつくはずだが、丸太作業のおかげで四時間近くかかった。その時に新領主の手先がちょっかいかけてくるかと思ったが、それはなかった。町に近すぎるので、ならずものを伏せるのは難しかったんだろう。

 モクセイの町は、冬の間に何度も訪問したのでよく知っていた。僕、クルル、ダルドはそうだったが、小さなリドとカザンは初めてになる。あまり高くないが版築の城壁をきれいに巡らせたたたずまいは彼らを興奮させた。まあ、あの辺の村のそれは、丸太を並べただけのとか、板張りのとかでこんなきれいなものはない。

 この版築には運河を浚渫したときの泥が使われているそうだ。

 これまたぶ厚い板におおきな金具をほどこした頑丈な門扉を見上げながら入ってすぐの厩舎に車を止めると。この二人、いや四人全員が興奮状態だった。

 浚渫の泥は粒子がこまかく粘土質なので、壁を綺麗にならした端正な建物が多い。町らしい町といえた。

 がたがたの駄獣車に尻を責められ続けたのから解放されて、みんなゆるんでいたのだろう。リドが羽交い絞めされたのに少しの間気づかなかった。

 全員が油断していたら、彼女はひっさらわれていただろう。

 すばやく対応したのは隊長だった。どれだけこの人が果断だったか。足元にあったものを躊躇なくつかみ、下手人の顔に思い切りぶつけたのだ。

 ラクダの糞だった。何をつかんで投げたか、彼はちゃんと認識していた。

 アストラル体で補強された投擲だ。下手人は首こそ折れなかったが、ひどい衝撃にふらつく。取り押さえられればよかったのだが、リドとカザンを保護していたら脱兎のように街中の雑踏に姿を消してしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る