第4章 #14

 私は、夜空を眺めていた。


 暗くて狭い穴の中に落ちていったと思ったら、自分の眼前に広がっていたのは満天の星空だった。夢と現実が曖昧になった感覚の中で、ああ、この夜空は前にエイリと見た空なのだと思い出した。自分の記憶が再生されていることを不思議に思いはしなかった。


 しかし、記憶の中にはない人影が、ここにはあった。


 ふと、左隣へ振り向く。そこにはランが座っていた。そうか、この夜空はランに見せたかったのだから、ここにこうして彼女がいることは、とても自然なことのように思える。


「なるほど……これが、私に見せたかった夜空だったのですね」


 見慣れた銀髪ストレートのランに「そうだよ」と私は応える。


「あれ……でも……ランはたしか、前にマナプラントに来て、その時に……」

「ナギカは、死者と何処でなら会って話せると思いますか……?」


 唐突に変な質問が来た。なぞなぞだろうか。


「うーん……夢の中?」

「ではこれは、夢の中ということにしましょう」


 そう言って、ランは私に身を寄せてきた。


 拳一つ分だけ空いていた間隔がさらに狭くなる。今日は魔法少女の活動で嫌な事でもあったのだろうか。私には明日も会えるというのに。


「私は、貴方とエイリに、不義理を働いてしまいました」


 ランが彼女と私の膝の境に手を出した。私はそこへ指を絡める。


「なにか謝りたいことがあるの?」

「はい」と沈痛な面持ちで、ランは頷く。ランはそんなことしてないと思うんだけど。


「私はエイリを置いて、一人で神鳴市のマナプラントへ趣きました。貴方がここにいると知っておきながら、声を掛けることもなく……そして、星蓋樹に敗北しました……」


 ランは地平線へと目を向けた。遙か遠くにある、自分の記憶を見通すように。


「史上最強の魔法少女……などと持て囃されているうちに、私はこの街の魔法少女がどのような辱めを受ける定めにあるのか、それを早期に知ってしまったのです。だから、街から出ることを計画し、エイリを連れて逃げ出したのです」

「私に声を掛けたのは」

「貴方が街のシステムに組み込まれ、徳を失った歯車に変えられる現実を、受け入れられなかったからです……いいえ、ナギカに非はありません……これは私の……エゴですから……」


 俯き、空いた手を膝の上で握るランへ、私は「ねえ」と無邪気に話しかける。


「ねえ、ラン。私も話したいことがあるの。いっぱい」


 明日また会えると思いながらも、矛盾する言葉を彼女に投げ掛ける。そのこと自体には何も感じなかったけど、「どうしましょう」と思案顔になったランを見て、彼女を困らせてしまったことには焦りを覚えた。


「私もお話を楽しみたい……と思ってはいるのですが、時間がありません」

「どうして?」

「だから、一つだけなら……できる限りお答えしましょう」


 ランの言うことだから、嘘ではないと信じられた。残り時間がないことも、一つだけなら応えてくれることも。


「じゃあ、一番聞きたいことを聞くね」


 夜空を見上げながら、彼女に尋ねる。


「どうして私を頼るようにエイリに言ったの?」

「あら。そんな質問に貴重な機会を使うのですね」

「そんな質問って。ずっとそのせいでずっと悩んできたのに!」

「正直……愚問ですね。もっととんでもない質問が来るかと身構えておりましたが」

「とんでもない質問って?」ランへ振り向く。


「秘密です……」とランは顔を背けた。ほっぺが少し赤い。


「それで、質問の答えというのは」

「貴方が私の友達で居てくれたから……です」

「えっ。そんな理由で――」


 私の言葉は、思わぬトコロで途切れた。


 急に、ランに抱きしめられたからだ。


 彼女の左手が、私の右肩を引き寄せてくる。


 突飛すぎる出来事に、心臓が早鐘を打っている――と思いきやそんなことはなかった。でも、瑞々しい唇が近い。近い。つい、喉を鳴らしてしまう。


「あの日、あの公園で私に会って、魔法少女の私を受け入れてくれたから、私は貴方にあの子を託すことにしたのです。あの出会いは……特別なものでしたから」

「ランが魔法少女だったからだよ。あの日の出会いが、特別なものになったのは」

「いいえ。特別な出会いだと、思わせてくれたのは貴方です。貴方がいたから、私は自分が魔法少女であることに誇りを覚え、魔法少女を取り戻そうと考えるに至ったのですから」

「取り戻す……?」

「魔法少女は、皆に希望を振り撒いてくれる存在……その概念を」


 ランは、さらに私の身体を引き寄せてきた。


 そして、唇が近づいてきた――ところで、私から手を離し、再び拳一つ分の距離を作った。


「ここまでに留めておきましょう。今の私には相応しくありませんから」

「相応しくないって、何がさ」

「……嫉妬しちゃってますけどね、本当のところは」


 そんな風に悪戯そうに笑うランの顔を、私は初めて見た。


「そろそろ終わる頃ですね。あちらの授業も、ここでの逢瀬も」

「授業?」

「後で弟子に訊くと良いでしょう。カトレアホワイトの弟子に」


ランは私と絡み合っていた右手を解き、立ち上がった。


 彼女は私に背中を向けた。その背には、どこか余所余所しさと淋しさが感じられた。


「ナギカ。この時間のことを夢だと思っているのだとしても、一つだけ、覚えて帰ってもらいたいことがあります」

「改めて? なあに」

「古来より、人は死んだら星になると言い伝えられています。だから、もしも」


 そして、彼女は私に背を向けたまま、夜空を見上げた。


 ランの瞳には今、どんなに綺麗な星空が映っているのだろう。出来ることなら覗き込みたいと思ったけど、身体が動かない。


「今後、このような夜空に出会ったら、空を見上げてみてもらいたいのです。その中に、私という星を探してもらえると嬉しいのです。できれば、あの子と一緒に」

「分かった。探すよ、ランのこと」

「何卒よろしくお願いします。私もまた、お二人のお姿を空から探しますから」


 そして、ランは彼方へ向かって歩き出す――かと思いきや、足を止めた。


「最後に一つ、よろしいでしょうか」

「うん」

「ナギカは今、生きたいですか」

「そうだね……ランが居なくなってからは、そうでもなかったけど」


 そのとき、誰かが私を呼ぶ声が聞こえてきた。記憶に刻まれてまだ間もないけど、きっとこれから忘れられないほど聞くことになるその声を。


「呼んでもらっているから。私も呼び掛けなきゃいけないから」

「よかった……」


 ランは振り返り、顔を見せる。


 彼女の顔は、微笑みに満ちていたけど涙で濡れていた。淋しさと嬉しさが同居した笑顔。


「ではさようなら。私の……いいえ」


 最後に見た親友の慈愛に満ちた相貌は、私達の旅路を祝福してくれているように感じられた。


「エイリの大切な、貴方」



◇◇◇◇◇


 目が醒める。


 ぼうっとしながら起き上がろうとする。


 手と両膝をつけて四つん這いになるのがやっと。


 泣きじゃくるエイリの顔がある。


 けれどもすぐに破顔した面持ちへと煌めいて。


 飛び付くように抱きしめられる。


 ちょっと痛い、と言っても彼女は離れなくて。


 じゃあお返しに、と私も彼女を抱きしめる。


 呼んでくれてありがとう。そう伝えながら。



【第四章 魔法少女とエグゼクター】 了

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