第4章 #9

 赤黒い部屋の中に、煌々とした光が灯った。


 エイリを中心に放散した白い光は、群がる粘体を吹き飛ばす。


 そして、逃げるように部屋の端へ這いつくばる粘体から水気を奪いカラカラに乾かしていく。干からびた彼らは直ちに砕け散り、一切の残骸を遺すことなく消えていった。


 彼女の身体にも変化が現れた。顔の上半分を覆っていた仮面は砕け、肌も衣服も元の色へと戻っていく。そうして私の腕の中には、よく知る姿のエイリがいた。


「おかえり」

「……ただいま」


 魔法少女姿のエイリは、私の腕の中でプイとそっぽを向いた。頬から熱がじんわりと漏れている。


 彼女の身に着けているとんがり帽子とクラロリ服は、よく見慣れた綺麗な青色だ。


「なんなんですか、さっきの口上。思い出すだけでわたしの方が恥ずかしくなります……」

「でも、言わないと分からないじゃん。想っていることなんて」

「よくあんな恥ずかしいこと言っておいて、涼しい顔をしていられますね」

「却ってスッキリした。良い機会だったかも」

「はぁ……」


 エイリがこちらをちょんと押し返す。


 一旦離してほしいのだと捉えて、私は彼女との抱擁を解いた。


「その、お礼はちゃんと言います。助けてくれて、ありがとうございました」

「ううん。戻ってきてくれて、ありがとう」

「言いたいことは山ほどあります。けど、それは後回しにします」

「そうだね。まずはここから脱出しないと……」


 そうして周囲を見返したときに、「あれ」と気づく。


「この部屋、エレベーターがあるんだ」


 さっきは部屋中が粘液に覆われていて気づけなかったけど、壁にはどうやらエレベーターが一基設けられているようだ。


 これが動けば移動時間を短縮できるかも。そう考えて近寄ってみる。


「あー……でもこのエレベーター、下にしか行けないんだ。これ以上奥に行ってもなぁ」


 脱出には使えなさそうだと分かり、肩を落とす。


 ズルしないで来た道から戻ろう。そう考えたとき、「待って下さい」とエイリが声をあげた。


「叛魔法少女集会からの情報が確かなら、マナプラントにもエレベーターが備わっているという話でしたよね。前は使いませんでしたけど」


 言われて、「あ」と思い出す。


「じゃあ、もしかして、このエレベーターって」

「マナプラントへの直通エレベーターかもしれません。確証は持てませんけど」


 たしかに、この研究施設はマナプラントの真上に位置している。決して突飛な発想ではない。


 ふと、エイリの顔を見た。


 彼女はエレベーターへ未練がましい視線を送るや、私のことをチラッと一瞥し、自分の考えを追い払おうとするかのように、目を伏せてふるふると首を横に振る。その一連の所作がどうしても気になって、私はエレベーターのボタンを押しつつ、ある提案を持ちかけた。


「もう一度、マナプラントへ行っちゃう?」

「え」とエイリは目を白黒させる。


「あの黒い大樹……星蓋樹だっけ。あれを壊したくてたまらないんでしょ」


 エイリは逡巡のうちに、「はい」と頷いた。


 彼女が返答を迷ったのは、今マナプラントへ踏み込んだら私も巻き込んでしまうと考えたからであろう。「大丈夫」と軽く告げる。


「私も同じ気持ちだから。ランのために……ううん、魔法少女みんなのためにも、アレは壊さないといけないから」

「あなたは魔法少女じゃなくて、創造局の人なんですよ」

「でも、私が行かないって言っても、一人で行くつもりでしょ」

「う」とエイリはばつが悪そうに口を歪める。


「それに私、辞めることにしたから。創造局」

「えっ」とエイリは更に驚いた。「じゃあ、今はなんなんですか」


 少し考え込んでから笑って答える。


「ヒーロー、かな」


 エレベーターが到着する。扉が開ききり、「いいんですね」とエイリは確認を求めてきた。


「一緒に行くから、大丈夫」と私は手を差し出す。


 エイリは「むむむ」としばらく唸った後、「じゃあ、行きますよ」と握り返してくれた。


 そして、二人で境界を踏み越える、エレベーターはゆっくりと閉じ、自動的に下降を始めた。


 やはりこのエレベーターは地下深くにあるマナプラントへの移動用なのか、数十秒経過しただけでは目的地に着くことはなかった。


 狭い密室に沈黙の帳が降りてしばらく経った頃、「あの」と小さな声が帳を破った。


「二つ、お願いしたいことがあるんですけど」


 繋いだ手から、緊張が伝わってくる。


「ナギカさん、さっきわたしのこと、『エイリ』って呼び捨てにしてましたよね」

「えっ、本当? ごめん」

「本当です。というかなんで謝るんですか。そういう風に言われると、逆に困るんですけど」

「困る、って……」と聞き返すと、彼女は「うー」としばらく唸ってから言葉を紡ぐ。


「これからずっと、それで呼んでほしくなったから……です」

「いいの?」と尋ねると、エイリは内股で自分の膝小僧を擦り合わせる。


「はう……とても良かったんです。だから……」

「良かったって」

「ああもう! 二つ目のお願い行きます! 二つ目!」


 私の回答を聞かずに、エイリは繋いだ手をぶんぶん振りながら勝手に話を進めた。


「いいですか。これは戦略的にとっても大事な話であって、わたしの欲望を優先しているわけではありません……と、予め告げておきます」

「前置きが長い」

「じゃあ本題行きます。わたしを、抱きしめて下さい」


 私から顔を逸らし、エイリは頬に紅を散らす。


 なんでそういう話になるんだろう、という顔をしていたのか、彼女は「あのですね」と弁明を始めた。


「あなたに会ってから、体内保有マナの計算が狂う時が何度もあったんです。その理由について考えてみたところ、どうもあなたが密着してきた後に限って、マナが増えているみたいなんです。それも結構な量です。身体防護機能が有効になるくらいの。だから、不本意ですけど、わたしが魔法少女らしく戦うには、あなたの抱擁が必要なんです」


 そんなバカなと笑って流そうとした。けれども、私はふと、自分の体質について説明するときにリコが少しだけ触れていた内容を思い出した。


 ――「たまに意味わかんないタイミングで急降下してるけど」


 もしかして、リコが言ってた『意味わかんないタイミング』とは、エイリにくっついていた時のことかもしれない。


(だとすると……エイリに触れることによって、私の中に溜まっているマナが、彼女に移される……ということ?)


 私自身、思い当たる節があった。


 例えば、エイリがマーケットで倒れたとき、私は彼女を背負って自宅まで運んだのだけど、帰り着いたときには身体の気怠さが回復していた。


 もしもその気怠さが、人並み以上にマナを溜め込んだことによる作用なのだとしたら、エイリへマナが移ることによって解消していたのかもしれない。だとしたら。


「本当にそうかもしれない」

「いきなり納得されるのは正直少し引きますけど……理解が早くて助かります」

「そりゃあ、公然と抱きしめる理由ができたからね」と笑う。


「なんか、言おうか言うまいか悩んでいたのが馬鹿らしくなりました」とエイリは苦笑する。


 お互いの手が離される。


 手の中が冷たくなって寂しくなるけど、今度はまたすぐに満たされるから大丈夫だ。


 エイリは変身を解いた。魔法少女衣装から紺色のワンピースへ変わる。そして、こくりと愛らしく頷いた。私は屈み込んで腕を広げた。


「おいで、エイリ」

「はい、ナギカさん」と彼女は楚々に微笑んでから、ゆっくりと私の腕の中へ身を寄せた。腰に腕を回して優しく包み込む。


 彼女の形をして漂う熱が、エイリがここにいるのだという事実を実感させてくれる。サラサラとした黒くて綺麗な髪が鼻筋に当たると、なんだか甘酸っぱい香りがした。


 二人ともずっとそのままの体勢でいると、エレベーターが垂直方向に少し揺れた。最下層に着いたのだろう。


 名残惜しいけど、きっとこれは最後ではない。私達は互いに離れた。


「マナは充填できた気がします。もう何が来ても平気です」

「私も身体の疲れが取れたような気がする」


 互いに再び変身する。今、このエレベーターにいるのは、魔法少女とエグゼクターであった。


「AE、新しいのに変えたんですね」

「型としては旧式みたいだけどね。おまけに捨てられてた試作機のようだし」

「マフラー、似合ってます」

「当然。エイリが選んだマフラーだもの」

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