第4章 #2

「喚くな!!」


 ベッドを力強く叩かれる。思わず身体が身じろぎした。


 これくらいで口が閉ざされるなんて。屈辱だった。


「ココに検体として送られてきた以上、キミに人権はない。ワシが喋るのに飽きた今、キミはもう只の玩具だ。泣こうが喚こうが、誰も助けん。ワシの気分が悪くなるだけだよ」

「ふざけないで……」

「こういう邪魔の入らない環境を用意してもらった上で、切り分けるのがワシの仕事でな。まな板の上に載せられた対象を相手にしたら、要求された作業をこなすだけだよ。キミも、働いた経験があるなら心当たりがあるだろう」


 誘導され、エグゼクターだった自分の仕事ぶりを思い出す。


 私は局長からの指示を受け、送られてきた情報を疑うことなく叛魔法少女を処理していた。俎上に置かれた鯉を調理していたのは、私も同じだ。


「ただ、求められた成果を出せるなら、過程はワシの気分に委ねられる。サンプルがクソ生意気なら、麻酔なしで四肢を分解しても構わんし、個人的興味で頭部を切開して脳髄をこねくり回しても咎められることはない。楽に終わらせたいなら、協力しなさい。まぁ、四肢の切断は工程に入っているがね」


 私の顔が急速に青ざめていく一方で、男は手近に設置された端末を操作する。


「ワシは従順な女の方が好みでね、全身麻酔だけは掛けようかの」


 すると、天井からアームが伸びてきた。その先端には、薬液の詰まった注射器が取り付けられている。あれを注射されたら、次に目が醒めたときには――


 全身を使って暴れて、寝台を揺るがす。しかし、拘束が外れることはない。段々とアームが首筋へ近づいてくる。身をよじるように首を動かして、少しでも逃れる可能性に懸けるけど、私の動きに合わせてアームも追従してくる。


 注射針は眼前に迫る。それでも必死に暴れ続けて――


「――っあ!」


 急に寝台による拘束が外れた。知らずに足掻いていた反動で、私は飛び起きるように上体を起こす。注射針が真横を通り過ぎる。私は咄嗟の判断で、アームから注射器をもぎ取る。


「いったい、何が起きて――」


 そして、狼狽える男の首へ差し込んだ。


 用途として正しいのかどうか分からないけど、薬液を注ぎ込まれた男は途端に意識を失って、その場に倒れ込んだ。握られていたメスが音を立てて床を転がる。


「何が起きているのかは私も分からないけど、逃げなきゃ」


 部屋を見渡し、出入り口が一つだけあることを確認する。加えて、自分がこの部屋に運ばれてきたときに身に着けていた衣服などが、ワゴンの上にまとめられているのを見つけた。


「うわっ。やっぱ下着も脱がされてたんだ……しかも破られているし」


 悍ましさから声に出る。


 ブラとショーツもこの男に剥がされたのだろうか。手に持っていたメスで切られて。そして裸になったところでこのガウンだけ着せられて――全身がぞわぞわした。早くこのガウンを脱ぎ捨てたい。


「今ならエイリさんの気持ちが分かるな……銃持ってたら、絶対に顔吹き飛ばしてた」


 とは言え、なるべく身軽で逃走するため、持っていく物は選別しなければならない。


 下着類は切り刻まれて使い物にならないから(置いていくことに抵抗はあるけど)論外で、慣れ親しんだスーツジャケットとスラックスにワイシャツもも、既にボロボロになっているのに加え、身に着けている時間が惜しいから置いていく。エグゼクターへ変身するためのAEのベルトは、既に故障しているので荷物になるだけ。だから、持っていくのは靴とPDA、後は乳白色のガラス玉のペンダントに絞った。


「逃げるなら、目指すはこの場所の出口かぁ……」


 ペンダントを首に提げ、靴を履きながら願う。せめてここが地上で、かつ低層であることを。


 意を決して部屋から出ると、古びた案内図があった。


 どうやらここは、以前に民間病院として使われていた建屋だったらしい。私が入っていた部屋は建屋の一階に設けられた手術室だったようで、階段を昇降することなく直接出口を目指せば良いのは僥倖だと思えた。運はまだこちらに向いている。


「ガウン、やっぱり走りにくい……」


 ボロボロのスーツジャケットでも着替えておけば良かったかも。そう後悔しながら走っていると、やがて建屋の出口が見えた。ガラス戸の向こう側は、外に続いている。


 助かった――と確信するのは早計だった。


 まだまだ遠くにあるガラス戸が独りでに開く。そして向こう側から二人の警備兵が姿を現した。AE等の際だった装備はないものの、ハンドガンを構えている。丸腰のガウン一枚を相手取るなら、それで十分すぎる。


(エグゼクターに変身しないで、銃弾を躱すなんて無理!)


 とうとう悪運も尽きたかと思った、そのときだった。


 二人の警備兵の背後で、突如ガラス戸が破砕した。


 ガラスの破片が二人を襲う中、更に黒いバンが横滑りで戸を突き破ってきて、警備兵達が薙ぎ倒されていった。


 目の前で起きた事象への理解が追いつかず、呆然と眺めていると、手に握っていたPDAから聞き覚えのある声が聞こえてきた。


『乗って! 急いで!』


「ユウヘイさん!」

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