第3章 #14

「ほう。まだ創造局に籍を置いているつもりか。実に嬉しいよ、法雨ナギカ」


 ホクト局長は普段と変わらない厳とした面持ちだった。


 しかし、この異常な場所のせいか、陥った状況のせいか、彼の声音からはどこか下卑た愉悦が滲みでているように感じられた。この再会を楽しんでいる様子にも見える彼を、AEの内側から睨んだ。


「おっと」


 発砲音がした。


 局長の側面には、いつの間にか砲台が設置されていた。エイリが呼び出したものだ。


 徹甲榴弾は命中した。しかし、彼は煙の中に倦んじ顔で佇んでおり、傷一つ負ってはいなかった。まるで、魔法少女に備わっているマナの身体防護機能が働いたかのよう。


「ふむ。かつて存命していた蚊というものは、これぐらい煩わしいものだったのだな」


 彼が指を鳴らすと、砲台は物理法則を無視して捻じ曲がり、やがて粉々に砕け散った。


「我は魔法少女ではないが、これぐらいの機能は搭載されて――なるほど、そう動くか」


 涼しく解説していたホクト局長は、エイリの真意に気づいて感心した風な素振りを見せる。


 エイリはSCARを構えたまま黒い大樹へと接近し、幹へ銃口を押し当て、自身をカバーする障壁を展開した上で引き金を引いた。そうして、彼我の距離がゼロに近い状態での射撃を試みた。銃弾だけでなく、銃器から発せられる衝撃波や熱風までもが黒い大樹へ襲いかかる。


「先の説明を聞いて、マナに依らない実弾なら望みはあると踏んだのだろう。大した判断力ではある。しかし、無意味だ」


 ホクト局長が冷笑するとおり、弾倉の中身を撃ち尽くしてもなお、依然として黒い大樹は傷を負っていなかった。


「気勢の良い叛魔法少女だ。良い師匠だったのだな、カトレアホワイトは」


 エイリの足下に大粒の雫が落ちる。「ふざけないでください……」という声が微かに聞こえてきた。


「局長、どうして貴方がここにいるんですか。この黒い樹はいったい……いえ――『マナプラント』とは、いったいなんなんですか!?」

「なるほど。多大な犠牲を払い、ここにたどり着いた君たちへの報奨だ。それくらいの情報開示は特例として認めよう」

「大勢死んだんですよ……報奨とか、そんなのどうでも……」

「二度と無い機会だ、静聴を推奨する。おあつらえ向きの教材もあることだしな」

「教材……?」

「そこにあるだろう。寿命を迎えた魔法少女の骸が。この樹には、残り寿命僅かな魔法少女の生命を吸い取る役割もあるのだよ」


 局長の視線の先には、樹木と化したルピナスパープルがあった。いや、彼はこれを、「寿命を迎えた魔法少女」だと言ったのか?


「さて、講義の導入部が始まる。刮目しろ」


 その一言が合図か、黒い大樹の幹の一部が盛り上がり、それは人の腕――否、蛇の口のような枝を形成した。


 その口が大蛇のようにルピナスパープルだった樹木に食らいつき、丸呑みする。そして、するすると黒い大樹のもとへ戻り、幹に取り込まれるように再び同化を果たす。


 その後、樹冠に伸びているいくつもの枝から細い枝が無数に分かれていく。それぞれの枝は膨れ上がっていき、やがてそれは黒く丸々とした果実のようなものへと膨れ上がっていった。


「寿命を迎えた魔法少女の骸は、あのようにせいがいじゅの一部となる」


せいがいじゅ』――それこそが、この邪悪な樹木の名前か。


「そして、星蓋樹は果実をつける。この果実は君達にも馴染み深い構造をしている。九十九パーセントのマレフィタールが一パーセントのマナシードを抱合している」


 その説明で、否応なしに憎らしくて不快な答えが導き出される。


「……マレフィキウム」

「その通り。枝から落ちてしまうほどに熟れて肥大化した果実こそが、マレフィキウムとして地表に放たれることになる」


 じゃあ、魔法少女達が倒していた怪物は、他の魔法少女から生まれたもので。


「魔法少女を作るために、我々は一つのマナシードを未成熟な人類の個体へ与えなければならない。しかし、見事成長を果たせば、見返りとしてこれだけのマナシードを得ることができる」


 そして、私達の日常に欠かせなくなっていたマナは、少女達を犠牲にすることで得られたものだった……?


「そうだ、人類にとっても安価なコストで万能物質たるマナを獲得することができるのだ、これほどに費用対効果に優れた手段は他にあるまい」

「費用対効果……少女達を食い物にすることが安いって……?」

「見知らぬ人間が一人犠牲になることで、君達の生活が安泰になるというわけだ。我々に従えば痛くも痒くもない日々を送れる。自身を苦役へ捧げるよりは楽であろう」


 吐き気がした。


 私がこの世界で生きてきた日々は、誰かの、それも幼い少女の献身と犠牲によって成り立っていたなんて。啜る水も、口にする食料も、夜を照らす明かりも、全て、全てが――


「だから師匠は……これを壊すためにここに来たんですね」


 これまで沈黙していたエイリが振り返る。涙に濡れた顔を私達へ向けた。


「わたしを巻き込まないために一人で来て……ここまでたどり着いて……そして……」

「そうだ。カトレアホワイトもここに来た。彼女もまた、自らを捧げにな」


 エイリの膝が崩れ落ちる。局長の言葉で力が脱けたのだろう。


 瞳を揺らし、絶望に喘ぐ。彼女の心は、折れる寸前だった。


「エイリさん! 真に受けないで! ランは……ランが死んでるわけ――」

「わたし、さっき分かっちゃったんです……SCARを幹に突き立てたときに……」


 エイリの泣き顔は、幸福感と喪失感の絡み合う歪な色をしていた。


「師匠の声が……頭に聞こえてきたんです……もう、この中にいるんですよ……師匠は……」


 ――「寿命を迎えた魔法少女の骸は、あのようにせいがいじゅの一部となる」


 ついさっき説明されたことだ。つまり、ランは……絹綾ランは死んだ……?


「さて、叛魔法少女や、信頼のできなくなったエグゼクターに極秘事項を話したのは、どういう意味か理解できるか」


 私とエイリの中に渦巻く感情を無視して、険とした顔つきの男は口を開く。


「君達をそのまま帰すつもりはない、ということだ」


 白い靄の中から、いくつもの人影が現出した。エグゼクターだ。


 彼らは私達を取り囲んだ。全員スタンロッドを構えている。そのうちの一人はコキコキと首を鳴らし、私の首筋ギリギリにスタンロッドを近づけた。


「自分の手足が来るまでの時間稼ぎだったってことね……」

「本来はこのような手筈ではなかった。これは少々イレギュラーな事態なのだよ。君達は、我々が用意した怪人に屠られて終わるはずだったのだから」

「怪人……?」

「マレフィタールを取り込ませた、あの叛魔法少女のことだ。ようやく実用にこぎ着けられそうだったのでね、アレに白羽の矢が立ったわけだ」

「あの子は……ザンティウムビリジアンは魔法少女だ……そんなものなんかじゃ……!」

「怪物と人間の混成体、あるいは怪物に堕した人間のことを、君達は『怪人』と呼ぶのだろう」


 ホクト局長は腕を組み、「しかし、だ」と言葉を続ける。


「実験は成功したかと思ったが、兵器として用いるには調整が甘かったようだ。そのエビデンスを示してくれたことには感謝する」


(実験……もしかして、前に遭遇した小型のマレフィキウムは……その実験の過程で生み出されたもの……?)


 アレが産み出された経緯は……材料となったものは……邪悪な仮説に思い至る。しかし、今はそんな妄想をしている場合じゃない。


「エイリさん! 動いてエイリさん!」


 エイリは、明らかに戦意を失っていた。


 お守り同然のSCARも手元から消え失せ、開かれたままの口からは唾液を垂らしている。彼女は動けない。今この場で助けられるのは、私だけだ。


「せめてエイリさんだけ――は――」


 彼女の元へ駆けつけようとした、そのときだった。


 ホクト局長が指を鳴らす。取るに足らない音でしかないはずなのに、何故か私の脳を揺さぶった。


 すると、身体の覆っていた外骨格が前触れ無く消失した。私はバランスを崩して倒れ込み、生身の肉体を、硬い地面へ自ら叩き付ける羽目になった。


「脳に展開されているモジュールに対し、強制解除コマンドを実行した」

「ベルト……壊れているはずなのに……」

「そのような状況下でも発動できるよう、我々のAEのモジュールにはこのコマンドの受容処理が組み込まれているのだよ」


 ホクト局長がそばにやってきて、私の顔を持ち上げた。


「このような装飾品まで無断で着けて」


 エイリの作ってくれたマフラーが粗雑に引き千切られ、放り投げられる。


「君が拠り所にしていたAEは我々のものだ、返してもらう」


 そう囁くや、彼は私を突き飛ばした。


「やれ。ただし殺すな。法雨ナギカにはまだ使い道がある」


 命令を受け、銀色のエグゼクター達が、私へスタンロッドを叩き付けた。全身に電流が流れ、神経の焼き切れそうな熱が走る。


 意識が朦朧としていく中、空気の中へ融けてゆく赤いマフラーの末路を、何も出来ずに見届けることしか出来なかった。



【第三章 輝く希望と荒ぶ絶望】 了

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