第3章 #12

「――ぐうぅっ!」


 咄嗟にエイリを抱え込んで、頭上へ向けてラウンドシールドを構える。それが私の精一杯だった。


 シールドから伝わってくる衝撃は尋常ではなく、外骨格を纏った腕すら砕いてしまいそうな振動が襲ってきた。受け止めてなお、ぺしゃんこに押し潰そうとする圧力には執念に近いモノを感じ取った。このままジリジリと圧されたらこちらが押し負ける――そう危ぶんだ矢先、頭上の重量は消失した。


(この重量は、マナで生成されたものだったんだ……助かった)


 シールドに備わっている魔法無効化機構のおかげで、頭上に降ってきた生成物は私達を押し潰す前に霧散した。もし、マナによる生成物でなければ、私達の四肢はひしゃげていたことだろう。


「ナギカさん! 周りが……」


 周囲を見遣るまでもなかった。


 私達の四方八方が、黒い金槌によって埋め尽くされていた。


 おそらくは、私達の上に降ってきた物もこれであろう。私とエイリは難を逃れたものの、他の金槌が床に到達していると言うことは、他の魔法少女達は凌ぐことができなかった……そう考えられた。


 答え合わせだと言わんばかりに金槌がゆっくりと持ち上げられると共に消失していく。その下には、変身を解除された少女達が横たわっていた。その上、彼女達の全身の肌は墨と見分けが付かないほどに黒ずんでいた。その凄惨な有様は、マレフィキウムの魔手から逃れられなかった人間の辿る末路――『マレ病』の末期状態と酷似していた。


 そして、視界を遮っていた金槌が消え、広間の全貌がようやく明らかになった。どうやら、ここに集った半分以上の魔法少女が餌食となったようで、白い床の上には黒ずんだ骸がいくつも転がっていた。不意打ちを逃れて生き延びた魔法少女達も、同胞の惨い死に様を目にして平静ではいられず、間を置かずして広間に悲憤慷慨の嵐が吹き荒れた。


 そこへ、眩い天井からひらひらと降りてくる人影があった。


 カボチャのように盛り上がったスカートと、王冠を大きく膨らませたような形の帽子。それは魔法少女特有の、可愛らしさを演出した意匠ではあった。けれども、黒いインクを頭から被ったかのように所々が粘体に侵されている姿は禍々しく、どこか魔法少女を冒涜しているよう。顔は目鼻口の取り払われた仮面に覆われており、当然のことながら愛くるしさから遠く懸け離れた容貌であった。衣服の間から覗かせる四肢は黒く濁っており、マレフィキウムが魔法少女衣装を纏っているようにも見える。


「あれは……魔法少女……ですか?」


 一見して、悪夢の中に現れる案内人、はたまた魂を狩る悪魔を連想させる異形。けれども、その姿を目にした私の胸中でデジャヴが鎌首をもたげる。


 魔法少女。金槌。カボチャスカート。王冠。


 もしかして、この子は。


「ザンティウムビリジアン……?」


 そのとき、異形の顔がこちらに向けられた。異形は自身の両手を黒く濁った金槌へ豹変させ、それらを私目掛けて上から振り下ろしてきた。


「なにぼうっとしてるんですか!」


 今度はエイリが障壁を展開して私を助けてくれた。両手のひらを突き出して生成された、多重障壁が二つの金槌から守ってくれる。けれども一枚、二枚と、金槌は障壁を易々と突き破りつつあった。


 その最中、異形の背中がボコボコと膨れ上がる。生理的嫌悪感を引き起こす絵面から、不揃いな大きさの歪な四本腕が作られて、その先が手から金槌へと変化する。そして、斜め上と側面から叩き付けてきた。


「これ以上はエイリさんが保たない!」


 私はエイリの身体を抱きかかえて、後方へと飛び退いた。


 六個の金槌が衝突し、凄まじい衝撃波が発せられる。宙を跳んでいた私達に為す術はなく、衝撃波を受けて壁へと叩き付けられる――には至らなかった。


 私達の身体に、黒い鞭が巻き付いてきた。壁に叩き付けられようとした直前で鞭はピンと張られ、宙を舞っていた身体の勢いはそこでやっと削がれることになった。


「生きていたのね、貴女達」


 黒い鞭は持ち主――ルピナスパープルの元へ縮んでいき、ゆっくりと降ろした後に私達の拘束を解いた。彼女は、自身の魔法を駆使して私達を助けてくれたようだった。「ありがとう」と礼を述べる。


「選択の余地がなかったのよ。貴女達を助けるしかなかった」


 ルピナスパープルは憎々しげに辺りを見遣る。初撃で生き残った魔法少女達も私達を狙った攻撃の余波に巻き込まれて、部隊は壊滅へと追いやられていた。今も戦闘を続行できるのは、私とエイリとルピナスパープルだけであろう。


「それより貴女、さっきアレを見て名前を呟いてなかった? 何か知っているのかしら」

「多分だけど、あの子は私が前に戦った叛魔法少女、ザンティウムビリジアン。でも、どうしてあんな姿になっているかは……」

「元魔法少女……それだけ分かれば、まだやりようがあるわ」


 ルピナスパープルは広間に陣取る異形を毅然と睨め付ける。


「あの化け物、どうやら貴女を集中的に狙っているようだけど、囮になってもらえるかしら、エグゼクターさん」

「そんな! ナギカさんを囮にするなんて」

「……分かった。防御手段はあるから、私は大丈夫」


 手に持っているラウンドシールドへ視線を落とす。相手の主な攻撃手段がマナの生成物であるなら、これが保ってくれる間は他の二人に任せるよりも却って気が楽だ。


「助かるわ。なら、ワタクシ達は散開して化け物へ攻撃を加えつつ、弱点を探るとしようかしら。出来るわね、アイリスブルー」

「当然です。わたしにだって、それくらい出来ます」


エイリはSCARを改めて手元に出現させ、険しい眼光を異形へと向けた。


「結構。では各員、健闘を祈るわ」


 そして、異形から私達のもとへ金槌が振り下ろされる。


 私は前に出て、ラウンドシールドで金槌を受け止めた。そのうちにエイリとルピナスパープルは、それぞれ左右へ飛び出し、ルピナスパープルへ向かって散り散りに駆ける。


 執念深く襲い来る金槌の猛攻を防ぎながら、私はエイリとルピナスパープルを目で追った。


 異形は更に背中から生やす金槌腕の本数を増やし、エイリ達を払いのけようとしていた。


 エイリは自身へ振り下ろされた巨大な金槌に対して、両手でSCARを構えたまま障壁を展開して凌いでいた。手を添えることなく作られた障壁は、普段エイリが展開するものよりも耐久性、または持続時間、あるいはその両方が劣るのか、せいぜい金槌の落下速度を遅らせる程度の役割しか果たせていない。しかしエイリは、そうして生まれた隙に落下地点から回避し、アサルトライフルによる連続射撃を行った。


 異形の本体は未だ有効射程内に捉えられていないからか、初めエイリは金槌を狙った。しかし、金槌に当てた弾丸が弾き返されるのを見て効果は薄いと判断したのか、すぐに金槌と化していない腕部を狙うよう対象を切り替えた。すると、傍目からは振り下ろされる金槌の勢いが徐々に削がれていくように窺えて、劇的ではないにせよ効果が認められるように感じられた。


 一方で、ルピナスパープルは鞭と共に宙を舞って、異形の金槌を攪乱していた。


 空中浮遊そのものはマリーピーチを始め、だいたいの魔法少女が得手としている魔法ではある。けれどもルピナスパープルは鞭を振るい、金槌の側面を打った反作用で瞬間的に加速したり、時に腕部へ巻き付け、あるいは吊って流れるように移動方向を変えるなど、さながらサーカスの曲芸にように巧みであった。こんな状況でなければ、彼女の美技を心ゆくまで堪能したことだろう。


「にしても……しつこい!」


 私は私で、四方八方十二方から飛び交う金槌の猛打を捌いていた。


 少しでも早く金槌のマナを吸収して消滅させるため、こちらからラウンドシールドで押し返してから次の金槌を受け止める。別方向から挟み込むように金槌が降られた場合はその場から跳んで回避して、追撃が来たらシールドで受け止める。まるで、モグラ叩きのマト役を一人でこなしているかのような気分だった。しかし、一点でも入ったら私が死ぬし、エイリやルピナスパープルも窮地に追い詰められる。ゲームと違い、一時でも気を抜くことは許されなかった。


 そうこうしているうちに、エイリとルピナスパープルは同胞の屍を越えて、異形へ距離を詰めていた。先に、自身への猛攻の隙を突いて動いたのはエイリだった。


「腕の根元を撃ち抜きます!」


 エイリは異形の背中へ弾丸を連射した。


 百発百中。異形の腕はボトボトと落ちて、金槌腕は両腕の二本だけに減じた。しかし、エイリが撃ち尽くした弾倉を入れ替えているうちに、背中がまたボコボコと盛り上がって、腕が再生されていった。


 そして、異形の仮面がエイリへ向けられる。私を執拗に狙っていた二本の腕がエイリのそばへ近づいていく。


「マズい! 次はエイリをターゲットにするつもりだ!」


 背中が冷える。エイリが金槌に対してとれる防御手段は、私のラウンドシールドと比べて脆弱だ。あの猛攻がエイリに向かったら、受けきることは――


「――よくやったわ! 次はワタクシが!」


 異形の周囲に、幾何学模様が幾つも展開される。そこから鞭が飛び出してきて、異形の身体へ巻き付いた。両手両足を開かれて、異形は身動きを封じられた。


 そこに、ルピナスパープルが跳び上がり、異形へ向けて鞭を振るった。


 鞭の先端は異形の胸を打ち叩いた。なぜ胸を、と私が疑問に思うや、異形は途端に身体をよじり、最早人の物ではない濁声で呻きだした。背中から生えている複数の金槌腕も、統制がとれなくなったのか、バタバタと床へ投げ出されていった。


 異形の胸を注視すると、そこには黒く濁った宝石のアクセサリー――トランスジュエルが着けられていた。


「弱点は胸よ! 胸にある、黒いトランスジュエルを狙いなさい!」


 エイリはSCARを構え、胸のトランスジュエルを有効射程内へ収められるポイントへ位置取った。私もまた、ラウンドシールドをバズーカへと変形させる。マナは十分に吸収できた。今なら相応の威力で放つことができる。


「斉射っ!」「くらえぇっ!」


 ライフル弾の五月雨と、マナバズーカ砲――必殺の火力が炸裂する。


 異形は耐えられずに悶える。やがて、その身体を破裂させ、光の柱と化した。


 バズーカが手から離れ、床へ落ちる。強敵に打ち勝ったという達成感より、後味の悪さが胸中で勝る。魔法少女姿の二人を見遣ると、彼女達もまた各々に気落ちしている様子であった。特にルピナスパープルは膝を着き、そこから動けないでいた。


「……感傷に浸っている暇はないわ」


 しかし、彼女は立ち上がった。


 彼女の背中はしばらく震えていたが、やがて両の目尻を拭い、私とエイリへと振り返った。


「この先で本懐を成し遂げることが、彼女達の手向けになる……叛魔法少女集会のみんなにも……かつて魔法少女だった彼女にも……」


 何も言えずにいる私達へ「ついてきなさい」と、ルピナスパープルは声を掛けて、重厚な扉へと近づいた。


(なぜ……そこまで確信めいて、そんなことを言えるんだろう……)


 ルピナスパープルは、両手で扉の取っ手を握り、力一杯に引いて開く。物々しい音を立てて、その中が露わになっていく。


(この先にあるのは……私が想像しているよりも、とんでもないものなの……?)

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