第3章 #6
約束通り、シャワールームは使わせてもらえた。
タイミング良く空いたシャワールームを、エイリは「先に使っていいですよ」と私に渡した。「毒味が必要だもんね」と軽く返すと、彼女は背を向けるだけで何も言い返さなかった。
お湯が使えたのは嬉しい誤算だった。次にシャワーを使えるのはいつになるか分からないのだから、できるだけ丹念に身体を洗い流す。
ソープ類は身体用と頭髪用シャンプーだけでなく、リンス、コンディショナー、トリートメントと至れり尽くせりだったので、鬱憤を晴らすためにも贅沢に使わせてもらった。けれども、そんなことで凍り付いた心が氷解することはなかった。
エイリと交代するとき、「トランスジュエルは持っていようか」と申し出た。けれども、彼女は少し迷った後、「結構です」と言い放ち、ぴしゃりとシャワー室の扉を閉めた。
「はぁ」
シャワールームから離れて、廊下に腰を下ろす。
心の中にぽっかりと大穴が空いた気分だった。私が思っていた以上に、この穴を埋めていたのは、とても大切なものだったらしい。
――「貴女達は叛魔法少女とエグゼクター。本来は敵同士だもの」
「……遅かれ早かれ、こうなることは決まっていたんだろうなぁ」
自分を納得させるために、敢えて言葉にする。
振り返れば、初めて会ったときはともかく、再会した時には互いに殺し合う立場だったのだ。
ランは頼るように勧めただけで、常に一緒に居るようにと命じたわけではない。利用し、利用されあう関係が続くのは、利害が一致している間だけだ。立場が違う以上、果たすべき役割や守るべき対象は異なって当然なのだから、いずれ利害は対立する。
「これからどうしていくのがいいか、ますます分からなくなってきた……」
首に提げた乳白色のガラス玉を握る。
「ラン……私……どうすればいいんだろう……ランなら……ランだったら……」
「あれ、ナギカさん」
穏やかな声がして、顔を上げる。
そこには、眼鏡を掛けた大人しそうな男が立っていた。
「ゆ、ユウヘイさん!?」
さっきの独り言、聞かれていた……?
急に羞恥が込み上げてきて、臀部が顔になった蜘蛛よろしくバタバタと両手両足を動かして距離をとる。「何も聞いてないよ」と彼は柔らかい苦笑を浮かべる。いや、その返事が咄嗟に出てくるということは聞こえてたんじゃないのか。
「随分と頭を抱えているようだね」
「別に、悩んでなんか」
「良かったらドリンクでもいかが? 君の話を聞いてあげられるのは、この中では僕しかいないだろうから」
「それは随分な御自信で……」口説き文句かよ、と心の中で吐き捨てる。
「ここのドリンク、張り切って色々取り揃えてみたんだけど、案外とみんな飲んでくれなくて寂しいんだ。出て行っちゃう前に飲んで行ってよ、人助けだと思って」
「そういうことなら」と立ち上がる。
彼について歩いていった先は、カフェテリアへ改装された教室だった。まるで、旧時代の創作に度々登場していた『学園祭』を形にしたもののように感じられた。
「好きな飲み物なんだって言ってよ。コーヒーとか、紅茶とか。特にないって言われたら、僕のオススメを出すけど」
「……ココアって、ある?」
「ココア……あ。良かった、あった。最後の一杯になりそうだ。運が良いね」
そういう運の良さは要らないんだけど……とかなんとか心の中で反論していると、ユウヘイはカウンターに入ってドリンクを淹れていく。カウンターの中を盗み見たところ、瓶に入った粉から作っているようだ。私が入手したことのあるキューブ型ではない。
そして、「どうぞ」とマグカップを渡された。不審な付着物はないか、変な匂いはないか軽く検分した後、大丈夫だと判じて口に入れる。甘くて温かい味が舌に広がった。
「良かった。気に入ってもらえて」
ユウヘイもまた、カウンターの客席側に腰掛けて、湯気のくゆるマグカップを傾けた。彼のカップからは苦い香りがした。私自身に馴染みはないが、おそらくはコーヒーという飲み物だろう。
「本当になんでもあるんですね。意地悪のつもりで言ったんだけど」
「マーケットから融通してもらっているんだよ。賞味期限の近いものなんかをね」
「マーケットから?」
「そう。あそこにはリタイアした魔法少女、君や僕の言う叛魔法少女が関わっているから。協力してくれているんだ、彼女達も」
知らなかったと関心を深める一方でハッと気づく。ここの物資が充実しているのは、マーケットが関わっているからなのだと。
「そっか。マーケットに居るその子達も期待しているんだ。この組織の活動を」
「不当な理由から叛魔法少女として扱われてしまった子もいるからね。そういう子達にとって、僕達は希望なんだ」
「不当な理由という言い方。まるで創造局が悪いみたい」
「魔法で他人に害意を成した、というケースにしても様々なんだ。冤罪、濡れ衣、正当防衛、口で語るには悍ましい脅迫だって。僕達に参加してくれている中にも、そうやって神鳴市に追い詰められた子もいるんだよ」
エイリだってそうだった。彼女は街に来てすぐ、虚偽の罪を負わされた。
そのように叛魔法少女へ仕立て上げられた魔法少女は、エイリの他にいてもおかしくはない
「ルピナスパープルがエグゼクターである君へ強く当たったのは、そういうところもあるんだ。ただ君は、上の指示に従って彼女達を処理してきただけだ。許されることではないけど、君達だけが責められることでもない」
再びカップを傾けると、甘みの他に苦みも含まれたように感じた。そして、一息つきながらカップを下ろすと、ユウヘイの左手の指に何かが着けられていることに気がついた。
ルピナスパープルが着けていたリングと全く同じ物だ。
「銀色のリング……ルピナスパープルのと同じ」
「銀じゃないよ、白金。普段は外しているんだ。他の子達を困らせちゃうからね」
照れくさそうに微笑む彼もまた、左手の薬指にリングを嵌めていた。つまり、この二人は。
「君の考えている通り、僕は婚約者だよ。相手はシオリ――ルピナスパープルだ」
「魔法少女と……って、ロリコンなの?」
「手厳しいな……プラトニックラブを貫いているから、許してくれないかな」
「それ言い訳じゃないんですか。ロリコンであることにも、愛してあげることに対しても」
「僕がロリコ……年下の女性に惹かれたことはともかく、全身で愛してあげるのは、シオリがルピナスパープルでなくなった時だ」
「愛想を尽かされないといいですね。あの子、気がとても強そうですし」
「はは、善処するよ」
そう言いながらカップを傾ける彼の顔は自身への愛情を一分も疑っていないように窺えて、なんだか無性に腹が立った。ぐい、とココアをあおって気分を落ちつかせてから、「さっき、言ってましたよね」と切り出す。
「私の話を聞けるのは、この組織の中ではユウヘイさんしかいないって。あの時は口説きに来たのかと思ったけど、そのリングが本物なら、そういうことではないんですよね」
「だいぶ辛辣だなぁ。でも、誤解が解けたなら幸いだね」
ユウヘイはカップを置いて、テーブルの上で両肘をついた。
「僕はね、元は創造局の人間だったんだ。君と同じだよ」
マグカップを取り落としそうになる。そんな私を安心させようとしたのか、彼は更に口角を上げた。
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