第3章 #3

「正直ね、今でも分からないんだ。ランが本当に、私を頼るように言ったのか」

「でも、師匠はあなたの名前を」

「だったら、なんで私なんだろう。あの子は誰もが知る魔法少女だったから、私以外にも知り合いは居たと思うのに。もっと頼りになる人たちが、知り合いに」


 私は、あの時ランの手を取れなかったのだ。


 そうして選んだこの世界で、塞ぎ込まれた日々を送っている。易きに流れ、自堕落で、目先のことしか考えられない只の歯車。いつか勝手に錆び付いて、取り除かれるその日を待っているだけの愚者でしかない私に、ランはなぜ。


「ナギカさん……」


 エイリはランタンを持って、私のそばに寄ってきた。


「すみません。少し、自分の話をさせてください」


 そう言って彼女は隣に腰を下ろした。不意に香った彼女の匂いに、私は思わずドキリとする。


「わたし、ずっと前はこの街にいたんです」


 そう切り出すエイリは、僅かに唇を震わせていた。


「わたしは魔法少女としての素養があるって受け入れられました。でも、どんなに頑張ってもマナを自分で作れない魔法少女なんだということが、すぐに分かったんです。それからは大人達に何度も検査を受けさせられたり、実験に連れ回されたりしました」


 マナを自力で生成できない魔法少女。


 マナを生成できない原因の調査、他に特異な体質を持っていないかの確認、特殊な条件を兼ね備えたモルモットとしての運用――考えられる理由は様々だ。


「いつも服を脱がされるのが当たり前だったので、とても寒かったですし、恥ずかしかったのを覚えています」


 聞いているだけで胸の締め付けられる思いがした。そんな風に扱われていたのならお守りを常に持ち歩こうとして当然だ。


「一生このままだと諦めていたんですけど、そうはなりませんでした」

「ラン……カトレアホワイトが助けてくれたの?」

「はい」とエイリは力強く頷いた。


「七歳のとき……なので、五年前ですね。いつものように誰も居ない狭い部屋で実験の時間を待っていたら、急にドアが開いたんです。そこにいたのは大人ではなくて、師匠……カトレアホワイトでした。当時はほとんど面識がありませんでしたけど、ここから逃げようと言って差し伸べられた手を、わたしは無我夢中で取ったんです」


 つまり、私とランが十四歳の時。


 私に外へ出ることを持ち掛けてきたあの日、ランの中では既にエイリを連れ出す算段を立てていたのかもしれない。


「でも、どうしてランはエイリさんを?」

「それは後で聞いてみました。でも、大したことは言われなくて」


 口をもにょもにょと動かしてから、エイリは声を出した。


「『一人だけなら、私でも救うことができるから』とのことでした。どうやら、師匠が見た中で一番不幸そうにしていたのが、たまたまわたしだったみたいです」

「そっか……」


 もしもランがエイリのことを知らないで、別の場所で別の不幸で哀れな子を見つけたら、その子の味方になっていた。そういうことなのだろう。


「それを聞く前は……わたしが特別だからとか、そういう答えを期待してはいました。でも、別にいいって思いました。たった一瞬だけでも目が合ったから、わたしは師匠と一緒にいられるようになったんですから。それに……師匠のこと、格好いいなって思えました」

「格好いい?」

「そんな些細な理由で誰かを救うのって、すごくイイじゃないですか」


 たしかに、ランはそういう子だった。


 彼女は能力の有無で人を見ない。もしそうだとしたら、私はとっくに切り捨てられていたはずだから。


「あの、ナギカさん。師匠がどうしてあなたを頼るように言ったのか、その真意はわたしにも分かりません。でも、そんなのはどうだっていいんです」


 エイリは私へ小さな瞳を向けて、言葉を紡いだ。


「格好いい師匠が頼るように言ったんです。だから、わたしは信じます。あなたのことを」

「それに」とエイリは肩を寄せてきた。


「あのココア、とてもおいしかったんですから。それだけで、ナギカさんを頼った甲斐がありました」

「別に、大したことはしてないよ」

「もう。素直じゃない人はみんなそう言うんです」

「それも師匠の言葉?」

「いいえ、あなたです」


 私、そんなこと言ってたんだ。まぁ、エイリにならどこかで言っていてもおかしくはない。


 そう考えると何やら可笑しくって、クスクスと笑いが漏れてだした。隣にいるエイリも釣られてなのか、ウフフフなんて笑い声をあげていた。陰気でしみったれていた空気が一気に晴れやかになる。


「あ。雨、あがったみたいです」


 エイリは立ち上がると、トテトテと土手へ出た。そして顔を上へ向けた。


 何があるのか気になって、私も彼女の隣で天を見上げる。彼女が何に夢中になっているのか理解すると共に、私もその眺めに心を奪われた。


 私達の視界には、満天の星空が広がっていた。


 照明があちらこちらに点っている街の中央では絶対に見られない光景。それに、ホログラムに有りがちな薄っぺらさを感じることもない。正真正銘の本物の星空。


 ふと、この星空を堪能しているエイリの横顔を盗み見る。


 彼女は年相応の天真爛漫な少女の顔をしていた。天へ向けている瞳には、星空そのものを映すと共に、彼女自身に宿る希望が、星々と共に煌めいているようにも感じられた。


(やっぱり、この子は強い)


 視界に収め切れない地平線の彼方、これから足を踏み入れる場所には、まだ見ぬ希望が待っているのだと、そう信じているような気概に溢れている。私とは違う。


 だからこそ、この神鳴市に一人で訪れたのだし、私という得体の知れない人間とも行動を共にすることができたのだろう。先の戦闘でマリーピーチを退けられたのも、私がマナ供給装置に細工をしたからではない。この子が逃げずに戦い続けていたからだ。幾度も険しい障害を乗り越えて、それでもなお戦意や希望を失わずにいられるのは、その綺羅に輝く瞳で『師匠』と再会する未来を覗き続けているが故だろう。


(そういえば、ランと一緒に夜空を観に行ったこともあったっけ)


 懐かしい記憶が呼び起こされる。


 あれはこんなに綺麗な星空ではなかったから、もしもやり直せるなら、この綺麗な星空をランと観たい。


 それに……エイリにも、そんな時間を過ごしてもらいたい。彼女には、その未来を享受する資格がある。


「絶対、ランに会わなきゃ」


 ぽつりと呟く。


 誰かに拾ってもらうつもりはなかったけど、隣から「はい!」と快い返事が聞こえた。


「ぜったいに師匠を見つけて、次は三人で観るんです」

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