第3章 #2

 空から誰か見ているんじゃないかと疑ってしまうくらい絶妙なタイミングで、私達が廃墟に入った途端に雨脚が強くなりだした。もう少し判断が遅れていたらずぶ濡れになっていた。エイリの迅速な決断には感謝しかない。


 大昔に入った火事場泥棒で使えそうな物は全て持って行かれたのか、建物の中に残っているのは損壊したボロボロの調度品や最早砂埃と一体化したような布きれ、触れるだけで傷を負いそうな尖ったガラスの欠片くらいだった。当然のことながら天井等に取り付けられた照明は機能しておらず、中が暗いのは日光が雲に遮られているせいだけではない。


 床に散っている砂や塵を払って、壁際に腰を下ろす。こんなところでは互いに顔を見ることはできそうにないと思っていると、すぐそばで光が灯った。


 驚きつつ隣を見遣ると、エイリの手には筒状の物体があった。それに取り付けられた逆Uの字状の取っ手を握りながら、「電池式のランタンです」と彼女は告げた。


「師匠が前に使っていたのを譲ってもらったんです。旧時代でも末期に製造された物みたいですから、それなりに頑丈で長くお世話になっています」

「助かるぅ……それも転送術式で出したの?」

「はい。SCAR《アサルトライフル》と同じで、わたしのトランスジュエルに格納していますから」

「エイリさんのトランスジュエル、もしかして何でも入る……?」

「物を詰めると出し入れするときのマナ消費量が増えるから必要最小限にするように。と師匠に言われているので、武器以外に入れているのはこれくらいしかありません。照明は遠出する時に必須ですから」

「なるほどね」と感心していると、エイリはキョロキョロと辺りを見回した。落ち着きがないというよりは、過度に何かを警戒している様だ。


「確認なんですけど、こんな所でに腰を落ち着けても襲われたりしませんよね……?」

「人が居ないという情報を持ってたからここに来たんじゃないの?」

「それはそうですけど……でも、現地の人からの確証が欲しいと言いますか……」

「エイリさん、もしかして暗いところ怖い?」

「ぴっ。いや、そんなこと、あるわけないじゃないですかっ! バカにしないで――」


 外でゴロリと何かが転がる音がして、エイリは「ぴぃっ!」と目を見開き、全身を硬直させた。「雨風で石が転がっただけだよ」と説明する。仕事前に外で待機しているときはそれなりによく耳にする音だ。


「まぁ、この辺に人は住んでないと思うよ。人や動物の居る痕跡は見当たらないし」


 創造局などがある市の中央から遠いところに位置している上に、眺めているだけで憂鬱になりそうな光景がどこまでも広がっているのだから、敢えてここに住もうという人間もいないだろう。


「それに、何か襲ってきても、そのときは私が返り討ちにしてやるから」


 腰に装着したベルトに触れる。これまでの中で、今が一番頼もしく感じられた。


「お化けや幽霊でも?」

「マレフィキウムじゃなければね」


 エイリが小さな口で息を吐く。そして、彼女も変身を解除した。青いクラシカルロリータが、紺色のワンピースがひらりと変わる。ちょこんとその場に座り込んだ姿は、まるでアンティークドールのようだった。


「そっか。ずっと変身しっぱなしだったもんね。お疲れ様」

「別に。こっちの方が安全だっただけですから」

「わかる」


 微笑みながら頷く。


 エグゼクターもAEを四六時中纏っている方が、生身でいるより安全だ。しかし、そういう意図で変身を維持すると、自然と気を張り続けて心身に余裕がなくなってしまうものだから。


 しかし、エイリにとってその選択は、かなりのリスクを伴うものであろう。たとえ、師匠であるカトレアホワイトが頼るように言った『法雨ナギカ』の前であったとしても、だ。


「ありがとう」


 だから、自然と感謝の言葉が出た。「こちらこそ」と遅れて応えが返ってきた。


「それにしても」と、雨の降る外を眺めながらエイリが呟く。


「街の中だからと言っても、荒れたままのところが多いとは思ってませんでした。中央部はあんなに綺麗なのに」

「あれはスタジオだからね。魔法少女を撮影するための。そうじゃない場所は昔の戦争で荒らされてからずっとそのまま、なんて場所が多いよ」

「昔の戦争……」

「第三次世界大戦。私達が生まれたときにはとっくに終わっていた戦争」

「そうですね……」とやるせない声が返ってきた。


「ここ、元は日本という国だったんだけど、旧時代はとても豊かな暮らしを送れたみたい。でも、今は違う」


 味のある食べ物を好きなだけ食べられて、学校では将来の姿を考えなら色々なことを学べて、友達と一緒に遊ぶ場所がたくさんあって、家は広くて温かくて心地よくて――どれも、大昔の創作物ですら日常として描かれた、ありふれた風景だと聞いた。


 だが、それらの幻想は、私が生まれる前にはとっくに壊されていた。後に残ったのは、閉塞感を受け容れるしかなくなった世界だ。


「今は、街のシステムと自分の生活を維持するだけで精一杯。明日も同じ、明後日も同じ。推している魔法少女の配信を視て、たまに高いココアを飲んで満足しようとするだけの日々。生きていてもどうしようもないって思えてきちゃう」

「だから、自分の命をないがしろにするようなことばかりしていた、ということですか」


 なるほど、と心底思って頷いた。


 ――「なんでそんなに死に急ごうとするんですか」


 エイリはそう言っていた。


 知らずのうちに自分の命を後回しにしていたのは、どうやら本当のことだったらしい。

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