第3章 #1

 ロケット。


 一応は聞き覚えのある単語ではあった。


 たしか、地上から宇宙へ人や物体を打ち上げる際の推力を得る目的で使われていた装置のことだったと記憶している。宇宙なんてモノ、今の社会では縁遠い概念ではあるのだけど、これを押さえておかないと一部の魔法少女の創作の時代背景や用語を理解できない、なんて理由で座学にて軽く触れられたのだった。


 また、魔法少女創造局が保有している装備には『ロケット』ランチャー、通称ロケランと呼ばれている火器がある。これもたしか、推進力を持つ弾頭を装填して飛ばす武器だったはず。要するに、途方に暮れる距離でも、とんでもない高さでも、軽々と超えていける装置のことを『ロケット』と呼ぶらしい。


 そして、魔法少女とは空を飛ぶものだと古来より相場が決まっている。


 空を飛ぶ方法は実に様々で、魔法少女という概念のモデルとなった魔女は、集会が開かれる場所へ箒へ跨がり空を駆けて向かったものだという。そのイメージは創作の魔法少女達にも宛がわれ、空を飛ぶために箒を使うケースや、ステッキを使うケース、羽の生えた靴を履くケース、それどころか飛ぶこと自体には何のアイテムも必要の無いケースも見受けられた。しかしながら、それらに共通していることというのは、普通の人間が生身や軽装備で歩くことのできない空の上を、自由かつ快適に渡り歩くことができるという、優越感に繋がるアドバンテージを得られることにあると見ることができる。


 以上を踏まえた上で考える。


 これも果たして、魔法少女を名乗るために必要なイベントなのだろうか。


「はわわわわわわわわわわわわわわわ」

「ぴややややややややややややややや」


 今、法雨ナギカと徒花エイリは空を飛んでいた。というより、落下していた。


 高速道路から逃げるときに、エイリの造ったロケットに詰め込まれ、空へ打ち上げられたところまでは良かった。実際に、空を飛ぶというお約束を達成することができたわけだし。


 けれど、数分も経たないうちにロケットは崩壊したようで、私達を運んでいた円柱はそのときに空へ投げ出されてしまった。その円柱も落下中にバラバラに分解してしまい、私達は生身で虚空へ放り出される事態に陥ったのだった。ちなみに、エイリは相変わらずの魔法少女衣装であったけど、あのとんがり帽子は風に吹き飛ばされたのか被ってはいなかった。


「マズいマズいマズいマズい! 地面に落ちたら死ぬよねコレ!?」


 遠慮無く空気の塊に落下し続けているせいで、下から凄まじい寒風が吹き上げてくるように感じられた。生半可な声は唸る大気にかき消されてしまう。だから、この状況下で意思疎通を図るには、声を目一杯に張り上げる必要があった。


「防護機能の万全な魔法少女でも! 生きていられるかどうか怪しいです!」


 尚更マズかった。仮に、エグゼクターに変身できたとしても助かりそうになさそうだ。


「なので、これからパラシュートを作るためにそちらへ行きます! ちゃんとマナは残してありますから!」

「本当に大丈夫!?」

「はい! 余裕です!」


 なんとなく若干の不安は覚えたものの、さながら大気を遊泳するペンギンのように、エイリは私の正面へ位置取って、「両手を出してください!」と指示を出した。言われたとおりに両手を伸ばしたら、ガッとすぐに掴まれた。


 その後、「しばらく待っていてください!」と叫んだきり、エイリは何やら集中している風な面持ちを浮かべた。私も始めは黙り続けていたけど、そのうちに地面と衝突して手足がバラバラになる自分の嫌な想像が頭に浮かんできたので、恐怖心を紛らわすために「あのさ!」と声を掛けた。「なんですか!」と返事が返ってきたのは助かった。


「マリーピーチみたいに! 手ぶらで空を飛んで逃げることは出来なかったの!?」

「あれムリです! だってわたし! ああいう風に空を飛ぶというか浮かぶイメージが全然できませんから!」

「魔法少女にあるまじき想像力の欠如!?」

「でも! 結局は物理法則に従った方が! マナを効率良く使えますから! 全部マナで浮いていたら! あんなに速度も高度も出なかったと思います!」

「おかげで今! 生と死の狭間に浮かんでいるんだけどね!?」

「さっきまで死ぬつもりでいたんですから! いまさら文句を言わないでください!」


 そう言われると弱い。


 今後の舌戦も、このパターンに入られたら勝てなくなるなと思いながらも、口を閉じることしか出来なかった。


「パラシュート! できました!」


 唐突に声が上がる。それと同時に、掴まれていた手が離された。エイリの身体が風に流されて遠のいていく。


「え、ちょっと! 一人にされた!?」

「近くで固まっていると絡まってしまいますから! 離れるのが常識です!」

「パラシュート、いつ出るの!?」

「もう出ます! 下で会いましょう!」


 そう言って離れていくエイリの背中には、無骨なバックパックのような物が取り付けられていた。そういえば、自分の背中と肩にも先ほどはなかった異物の感触がある。


 そして背中のあたりから、異物が弾けて広がっていく音がした。それからまもなく、落下速度が徐々に緩やかになっていく感覚があった。周囲で吹き荒れていた風も大人しくなり、安心安全を噛みしめられるほどゆったりと、私は地上へ降下していった。


 やがて着陸すると、広がったパラシュートごと背中に負っていたバックパックが霧散した。それと入れ替わりに、飽和していた恐怖が、ストレスが、プレッシャーが、泥のような疲労感となって身体に降り積もるのであった。


 そんなコンディションでも持っている荷物は確認する。腰に巻かれていた変身用のベルト、そこのスロットへ差し込んだままになっていたPDAは無事だった。それに加えて、乳白色のペンダントが依然として首から提げられていることに心から安堵した。Yシャツのえりに通した上でボタンを掛けて固定することを忘れなかった自分に感謝状を贈りたい。


「ここはどこだろ……」


 降り立った先は、損傷を受け放置された廃墟の立ち並ぶゴーストタウン。神鳴市にはこのように手つかずとなっている区域がいくつもあるため、仕事や趣味で何度も足を運んでいる場所でなければ、廃墟の様相から位置を特定することは難しい。PDAは圏外となっており、情報を取得することはできそうにない。


「ロケットを造って飛ばしたのはエイリさんだし、聞けば何か分かるかも」


 我ながら名案が浮かんだ。そうとなれば急いで合流しなければ――と思い立ったところで、周囲に彼女の姿がないことに気づく。


 冷や汗が浮かぶ。風に流された? それとも途中で墜落した? まさか、まさか。


 嫌な想像が頭の中を駆け巡りだし、脂汗が額を伝って落ちたそのときだった。


「ふ、ナギカさぁん……」


 空から情けない声がした。そんなことは、と思いながら見上げる。


 二階建ての建造物の角へパラシュートを引っかからせた魔法少女が、ぷらんぷらんと身体を揺らしていた。サスペンダーにがっちり固定されているため、バックパックが外れて滑り落ちることはなさそうだけど、自分で身動きの取れない悲しい姿からは哀愁を覚えずにはいられない。


「……大丈夫?」

「平気です。このくらい」


 気丈な台詞と不安な顔のバランスがなんとも哀れであった。


「そのパラシュートもマナで作った物だよね? 下で受け止めるからパッと消して落ちてきて」

「ううぅ……余計なお世話です……」

「余計なお世話ならやめるけど」

「あっ……やめないでくださぁい……おねがいします……」


 猫が心細く鳴くような声が返ってきたので、下で受け止められるよう構えをとった。


 独特な緊張感を帯びた間の後、パラシュートは光の粒子へと還り、エイリが落下してきた。ぽすん、と腕の中へ受け止める。至近距離の彼女と目が合う。


「降ろしてください……」


 これ以上の生き恥は晒せない、と真っ赤に染めた顔で語っていたので、すぐに地面へ下ろす。地に足着けた彼女は砂埃で汚れた服を手で軽く払った。


 顔の紅潮が収まった機を窺って、「ここってどの辺だか分かる?」と聞いてみる。すると、「街の西側です」と即答された。


「この一帯が開発されていないことは知っていましたから、最も追っ手を出しにくいであろうと踏んでここに降りられるよう調整したんです。こんなに荒れ果てているのは予想外ですけど」

「そりゃあ、人も寄りつかないという感じだよね」


 改めて周囲を見渡す。


 痙攣劣化で色を失い、煤けて半壊した建造物だけが残る灰色の町並み。今にも落ちてきそうな鈍色の雲に覆われた空と相まって、今は色を持っている自分達もそのうち無彩色のゾンビと化すんじゃないかという不吉なイメージのよぎる情景であった。


「あ。雨降ってきた」


重たそうな空を見上げたときに、ツンとした匂いが香ってきたかと思えば、鼻先にポトリと雫の落ちてきた感触があった。エイリも気づいたのか、苦々しげな表情を浮かべていた。


「しばらく雨宿りしようか」


 そう言って、エイリが引っかかっていた建物へ目配せする。二階の屋根はほぼ全壊しているけど、一階なら特に支障なく雨露を凌げそうだ。


 エイリはしばし不本意そうに建物を見ていたけど、最後には「やむをえません」と頷いた。


「そこでもいいです。一人じゃないので」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る