第2章 #7

「……なにか聞こえた」


 ここは集合住宅だ。たまたま隣の住民が今日に限って遅く帰ってきて、たったいまフラフラと階段を昇っている……なんてことは普通にあり得る。しかし、聞こえてきた物音は、生活音の類いだと切り捨てるには違和感を覚えるものであった。


「連続した硬くて重い音。それを可能な限り隠そうとしている……けど、これは、移動速度を優先している音」


 そしてその音は、こちらに着々と近づいている。もし、やってきたのが創造局絡みだとしたら、狙いはこの部屋だろう。


「万全の装備で来られたら、生身じゃどうしようもない」


 習慣として枕元に置いているはずの変身ベルトへ手を伸ばす――が、そこには何もなかった。


「ベルト、リコに送ったままだった……!」


 数も武力も負けているなら、逃げるしかない。


 ベッドで寝息を立てているエイリの身体を揺する。


「起きて! 起きて! エイリさん! エイリさん!!」


 よほど深い眠りにいるのだろう、彼女は「うう……」と夢見心地で起き上がろうとはしない。思わずギリギリと歯噛みしてしまう。


(どうする。私だけでも逃げるか。でも、この子を置いていくわけには……いや待って、この子と一緒に逃げようとしたら、私も創造局との対立が決定的になる……言い逃れはできない)


 冷や汗を浮かべた額の裏で、打算と感情のせめぎ合いが起こって動けなくなる。しかし、決着が待たれることはなかった。


 ガラス窓の割れる音がした。


 振り返る。と同時に、人影が部屋の中に転がり込んでは、私の髪を引っ張った。そのまま力尽くに床へ叩き付けられ、「がっ」と呻く。手に持っていたPDAは床を跳ねた。わずか一秒にも満たない出来事だった。


 身体をうつぶせに押さえられながらも顔と眼を動かして、馬乗りに跨がってきた相手を目視する。エグゼクターだった。纏っているAEは、私が使用しているものと同じモデルだ。


 そして、割られた窓から、電子ロックを解錠された正面玄関からも、エグゼクターが次々と入ってくる。


 一人は押さえられたままの私へ、もう二人はベッドで微睡むエイリへ、トランスジュエル付きのヘアピンを剥ぎ取った上で、ハンドガンを突きつけた。そこでエイリは目を覚まし、やがて自身の置かれた状況を認識したのか、覚醒したばかりの両目を見開く。


「なんですか、これ――ぐぅっ」


 エイリが口を開いた途端、エグゼクターの一人が彼女の首を掴んだ。私が「やめて!」と叫ぶと、更に髪が強く引っ張られた。頭部全体が激痛に襲われる。


『その辺にしろ。捕獲対象はあくまでも一人だ。見誤るな』


 床に落ちた私のPDAから音声がした。これは、ホクト局長の声だ。


「局長……」


『ご無沙汰だな、法雨ナギカ』


『端末をナギカへ近づけろ』と局長が命ずる。私に銃を突きつけていた一人がPDAを拾い上げ、そばに持ってくると画面が見えるように掲げて見せた。液晶には、局長の顔が映っている。どうやら、顔を見ながら話したいということらしい。


「これはいったい何ですか」


『そう問いたいのはこちらの方だ。アイリスブルーが処理されていないとは聞いていない。君が医療診断アプリケーションを使用したことで、場所を特定できたから良かったがな』


 彼女の症状を確かめるときに使ったアプリから追跡されたのか。下手を打った。


「アイリスブルーはお前に任せた叛魔法少女だ。それが何故、処理されずに健在なんだ』 


「それは……」


 言葉に詰まる。時間の無駄だと判断されたのだろう、『まあいい』と返事をされた。


『大方、アイリスブルーにあらぬ事を吹き込まれたのだな。なんと知恵が回る』


「あらぬ事……そうですね、私をあの子ごと始末するつもりだと聞かされました」


『ほう。面白いことを言ったものだ』


「念のため、神鳴市の住民名簿を確認してください。彼女はそこで私の処遇を知ったのだと」


『了解した。念のためだ、直ちに照会しよう』


 ベッドから「ナギカさん……」と嘆く声が聞こえてきた。


『照会完了。そのようなステータスは付加されていない。法雨ナギカ、君は今でも神鳴市にとって必要な人材だ』


「ということは……」


『戻ってこい、法雨ナギカ。この一件は、叛魔法少女アイリスブルーへの処理をこちらに委譲すれば以後不問とする』


「そうですか……しかし、それは、彼女を、アイリスブルーを売るということに……」


『君はエグゼクターだ。アイリスブルーを引き渡す他に選択肢はない。このケースにおいて、売る、という言葉を用いるのは不適切なのだよ。君は責務を果たす。ただそれだけだ』


 あぁ、そうだ。


 今の私は、神鳴市魔法少女創造局の対叛魔法少女鎮圧課に属するエグゼクター、法雨ナギカだ。叛魔法少女を処理する立場の人間であり、創造局が敵であると判断を下した相手が敵なのだ。自分で選ぶことはできない。


「ナギカさん! 私が言ったこと、信じてくれないんですか! ナギカさん!!」


『用意したマスクを着けさせろ。これ以上、当局員の心身をかき乱させるな』


 エイリの首が絞められる。


 そして脱力させ、抵抗の意思が弱ったと判断するや、彼らはエイリの口を無理矢理広げてマスク型の拘束具を装着させた。内部が猿ぐつわと同様の構造になっており、あれを装着されたら解錠するまで言葉を発することはできない。


 エイリが私を見る。言葉にならない呻きが私の心を掴もうとしてくる。けれども、私は無力で、何もできなかった。


『心配は不要だ、法雨ナギカ。君は神鳴市創造局のエグゼクターであり、我々の庇護下にある。故に、信じるか、信じないかという選択で葛藤することに意味は無い。君にとっての真実とは、我々の言葉であるのだから』


 反論はできなかった。痛いほどに自分の立場を自覚する他なかった。


『連れて行け』とホクト局長が指示を出す。エイリのそばにいたエグゼクターは、彼女を抱え込んで窓から外へ出て行った。


 そして、髪から手が離された。どうやら解放されたらしい。


 私の髪を掴んでいたエグゼクターを睨む。


 その態度を反抗的だと感じたのだろうか。彼は自分の首をコキ、コキと鳴らすように左右へ曲げた後、私の腹部に一発蹴りを入れてきた。


 突然のことだったから、私は受け身も取れず悶絶し、腹を押さえてうずくまった。そのうちに、私のそばにいたもう一人のエグゼクターと共に、窓から外へ出て行った。


『では、明日からまたよろしく頼む。法雨ナギカ』


 PDAの画面が真っ暗になる。


「まただ……まだ……また……私は……」


 慟哭と共に床を殴りつける。いくら泣き喚いたところで、彼女には届きやしないのに。

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