第2章 #6

 それからというもの、私達は度々その公園で落ち合った。


 始めは週に一度だけだったけど、回数は次第に増えていき、互いの空いている時間はずっと会うようになるまで、そう月日は掛からなかった。特に待ち合わせをしていなくても、施設での予定をすっぽかして誰も居ない公園で待っていることもあったし、ランもそうしていたようだった。


 そして、ランは本当に魔法少女『カトレアホワイト』としてデビューした。後で聞いた話では、史上最年少のデビューだったらしい。


 初めて会ってから一年経った頃に初配信があり、私は座学を仮病で休んでライブ配信を視聴した。彼女の振る舞いは、まさに創作物で観た誉れ高き魔法少女そのものだった。そんな感想を熱弁したところ、彼女は真っ白な顔をすぐに真っ赤にさせたのだった。


 会ってすることと言えばお喋りが殆どで、お互いの居る場所であった出来事や、好きなものが話題の中心になることが多かった。ランは魔法少女だから、好きなときに好きなだけ本を読むことが出来たらしく、私が知らないことや施設で教わらないことをいっぱい知っていた。


 歳を重ねて自由に使えるお金が得られたときには、一緒に街の中を歩くこともあった。怖い物見たさで、噂になっていた『マーケット』へ繰り出したこともある。本当に怖かったから、離れないように二人で腕を組みながら歩いた。二人でお金を出し合って食べた、本物のハンバーグは美味しかった。彼女はそこで乳白色のガラス玉を提げたペンダントを買っていた。「似合っているよ」と本心からの言葉を伝えると、ランは気恥ずかしそうに微笑んだ。


 時には、旧時代の創作物にあったシーンと同じ事がしたいと私から言って、誰もいない自然公園の原っぱで寝そべり、夜空をじっと見つめることもした。創作物のシーンほど夜空の星は見えなくて、そんなに良いモノとは思えなかった。けれども、ランと絡めた指の感触は、今でも忘れることができずにいる。


 そして、お互いに十四歳になった頃。私は魔法少女創造局の対叛魔法少女鎮圧課に適性があるとの判定が下り、そこへの就労に向けた訓練や教育を受けていた。


 一方でランは、神鳴市史上最強の『カトレアホワイト』として、界隈の話題の中心となっていた。『カトレアホワイト』としてメディアへ露出する機会が増えており、都合を擦り合わせるのが難しくなっていった。彼女と会える日、共に過ごせる時間が徐々に少なくなっていく様は、想像以上に私の心の安寧を揺さぶった。


 これからもランと会いたい、まだまだ一緒に時間を過ごしたい。そう思っていた矢先、貴重な時間を割いて会ってくれたランは、私にこう切り出したのだった。


「この街から一緒に抜け出しませんか?」


 その時の私は、いきなり冷や水を掛けられたような心地だった。


 彼女はじっと私を見つめていた。凪のように澄んだ瞳。元から冗談は言わない子ではあったけど、この日は普段以上の真摯さが感じ取れた。


 しかし、それは考えもしなかった未来への迷い、そして彼女への恐怖をほんの少し感じることに繋がった。だから私は、「行こう」と即答できなかった。


「いいえ……出過ぎたお願いでした……忘れてください」


 何も言えずにいたうちに、ランにそう告げられた。彼女は一歩退いていた。


「待って。ごめん、少し考えていただけだから」


 ランは「気にしないでください」と首を横に振る。彼女は私から逸らされた瞳は潤んでいた。


 今にも胸中が張り裂けてしまいそうな顔の彼女を前にしてようやく理解した。ランはこの日、否、この瞬間に賭けていたのだと。全てが手遅れだった。


 もう何を言ったって、私が何も言えなかった事実は変えられない。どうしてと理由を尋ねても、そんなことしなくて良いって説き伏せようとしても、ランの心が余計に離れていくだけだ。だから私は、そんな無粋な言葉を掛けられなかった。


「もう会えないの……?」


 代わりに出たのは懇願だった。これが一番卑怯だった……なんて、この時は思わなかった。必死だったから。


「いやだよ、ランと別れるの。ねぇ、ずっとそばにいてよ。お願い、お願い……」


 嗚咽が止まらないどころか、ランに会えないこれからの一生分の涙がこぼれていきそうだった。いっそ私の心を干からびさせて、廃人になってしまうくらい泣きたかった。そうすれば、私の思いの丈は彼女に見せることができるから。


 でも、ランのことだから、そんな良からぬ企みは見抜かれていたのかもしれない。


 彼女は噎び泣く私を一瞥すると、白く細い指で自分のペンダントを外して、そっと私の首へ掛けたのだった。


「このペンダント、ずっと着けてくれると嬉しいです。私だと、思っていただいて」


 そして彼女は乳白色のガラス玉へ口づけをした。


 手を伸ばせばすぐ届く所にあるランの顔を、ひしと掴んで抱きしめたかった。離したくなかった。けれども、震える唇に同性でありながらドギマギしてしまって、その時の私は腕を少しも動かすことができなかった。意気地なし。


「今まで一緒にいてくれて、ありがとう。ナギカ」


 これまで見た中で、最高に綺麗な笑顔だった。出来ることなら、もっと違うところで拝みたかった。



◇◇◇◇◇



 暗い室内の板の上で目が醒める。


 上半身を起こして、PDAを手繰り寄せる。バックライトを点けて時刻を確認すると、深夜帯だと表示されていた。ガラス窓に目を遣ると、十九歳の自分がそこにいた。そして、ベッドの上には紺色のワンピースに身を包む、十二歳の少女の姿があった。


 絹綾ランが出てくる夢だった。自分の記憶の中にあるものが無加工で出てきたものだから、夢と言うには味付けがされてはいなかったけど。


「結局、あんまり話せなかったな。聞きたいことはいっぱいあったのに」


 ベッドに横たわる彼女を見遣る。


 自分の師匠がカトレアホワイト――つまり、私の友人だった絹綾ランであることを明かしてすぐに、彼女は再びうつらうつらと眠ってしまった。


 それからというもの、エイリの体調が悪化したときに備えて、私は彼女のそばにずっと居た。リコが予約してくれた精密検査は無断欠席することになってしまったけど、エイリに異状はなかったから万々歳。そのおかげで、マリーピーチの配信アーカイブを堪能することができた。


 彼女は自然な寝息を立てて眠っている。深い睡眠へ落ちているようで何よりだ。しかし、全身を投げ出すように眠りこけていて無防備に見えるのは果たして良いのか悪いのか。


「まさかランが弟子をとっていたなんて」


 と言うか、こんなに可愛い弟子を置いて何処へ消えたというのか。見つけたら小言の一つや二つ言ってやろうか。


「いやいや、一緒にランを探すこと前提でモノを考えるな。慎重になれ、私」


 両の頬を軽く叩いて気付けをする。


 これからの身の振り方として、考えられるのは二通りだ。エイリに関わるか、関わらないか。


 エイリは創造局にとって叛魔法少女のままであることに変わりは無い。彼女を捕らえて引き渡すのがエグゼクターに求められる役割だ。幸い、今は変身が解けているから戦う必要もない。


 しかし一方で、私もまとめて始末しようとしているのだと忠告してくれたのはエイリだ。それが事実なのだとしたら(エイリは事実だと言っていたが)、彼女を引き渡したところで私は無事でいられるのかどうかは分からない。そして、なぜ私までもが始末されようとしているのか心当たりがないのだから、先回りして原因を調べたり対処したりすることは難しい。だが、叛魔法少女の彼女を創造局へ差し出せば、もしかしたら私の処遇は考え直してくれるかもしれない。そんな算段もあるにはある。


「でも、エイリはランの弟子。あの子を売るなんて真似は……したくない」


 自分の首に提げられている乳白色のガラス玉を指先で触れる。


 感情論としては、エイリを創造局へ渡したくなかった。彼女がランを探しているというのなら、それに協力したいと思った。


 逆の立場なら、ランは間違いなくそうする。しかしながら私は、自分の命と平穏な暮らしを素面でルーレットへ置けるほど強い人間ではない。


「あぁもう。どっちがいいか分からない」


 指先で額をパシパシと叩く。考えがまとまらない。どちらを選んでも後悔しそうだ。


「……ううん、いま決められないのは変な時間に起きたからだ。朝起きて、スッキリした頭で考えて、それからエイリと話そう」


 私も疲れてるんだ。今はとにかく寝直そうと、床へ横になろうとした――そのときだった。


 音がした。夜中には不審な物音だった。

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