第2章 #5
◇◇◇◇◇
――「私、実は魔法少女なんです」
初めて会った日、銀色の長髪が綺麗な彼女はそう教えてくれた。
いつだったかはもうハッキリとは覚えていないけど、十年以上も前の話。当時、身を寄せていた養育施設を脱走した日のことだ。脱走と言っても綿密な計画を立てて実行に移したわけでも、実は囚人として投獄されていたというわけでもない。単に、そこでの日課として課されていた座学を受けるのが嫌で、衝動的に抜け出しただけだ。
私は元は、神鳴市の外で生まれ、そこで両親に育てられていた。その時の記憶は今や朧気にしか残っていなくて、両親の顔を思い出すことすら怪しい。旧いビデオデータで何度も視た実写ドラマの、変身ヒーローの背格好の方が鮮明に覚えている。けれども、ある日を境に私だけ神鳴市に住むことになったことだけは覚えている。一人娘には文化的で社会的な環境で育ってほしいという両親の優しさか、あるいは口減らしのために置いていかれたのかは、今となっては分からない。どちらにせよ、移住は物心つく前に終わったことだから、それ自体に対しては今はなんとも思っていない。良くも悪くも。
そして、神鳴市にはそのような児童を受け容れて、一定の年齢になるまで養育する施設がある。神鳴市で将来働くために必要な知識――街の意義、システム、その根幹となる『魔法少女』について学ばされる。時にはその一環で第三次世界大戦より前の時代、いわゆる旧時代に創られていた魔法少女モノの映像作品を見る機会があった。そして、魔法少女の物語を造るために必要な教養として、旧時代の生活や社会などについて学習することもあった。だから、そこで得た知識を以て喩えるなら、神鳴市の養育施設とは、全寮制の小中学校のようなものだ。当然のことながら、この養育施設には魔法少女はいない。
閑話休題。当時、養育施設に来てまだ日の浅かった私は、その日の授業が全て終わった後に脱走を試みた。座学の難易度はそう難しいものではなかったし、授業時間は今の労働時間より断然短かった。だから、知らない人々に囲まれて、よく分からないことを勉強させられるのが嫌になったのだろう。
しかし悲しいかな、遠方まで歩く体力も、交通機関を利用するという知恵もリソースも、幼い子供には存在しない。だから、施設から大人の足で十数分程度で着く自然公園にたどり着くのが精一杯だった。魔法少女の物語の中に登場させようとしたけれども、結局使われる機会が訪れず、撮影用として使うには荒れ放題になった公園で、枯れ木の根元へ放置されていたベンチに座ってぼうっとしていた。
さて、身体が冷えてきて、自分は施設でないと生きられないという諦念に近い自覚が芽生えたところで、私は公園から去ろうとした。けれどもそのとき、枯れ葉をサクサクと踏みしだく音がどこからか聞こえてきたのだ。
何者かが近づいてくる。
急に怖くなってきた私は、ベンチから立ち上がって走って逃げようとした――けれども、タイミング悪く、樹木の根に躓いて転んでしまった。
そのせいで、誰かが近づいてくる怖さよりも、膝を擦りむいた痛さの方へ意識が行ってしまった。ぽっかりと空いた穴の中に足を取られて落ちてしまい、暗くて狭い底で一人になったような感覚。
とても痛いのに独りぼっちで寂しくて悲しい気持ちで泣き出しそうになった――けど、「大丈夫ですか?」と声を掛けられたことで、涙は一度引っ込んだ。
「立てますか?」
顔を上げると、そこには同じぐらいの年頃の少女が屈んでいた。
施設では見たことのない銀髪の子を前にどう答えようかと迷っていると、その子が手を差し出してくれていることに気づく。私はその手を取り、彼女に引っ張られて起き上がった。
「ありがとう」
「いいえ。たまたま通っただけですから」
彼女は嫋やかに微笑んだ。
同年代とは思えないほど落ち着き払った笑みに、心を引き寄せられるような思いがした。彼女だけが私の存在に気づき、見つめてくれている――そうとしか思えなくなった私は、頭で考えるよりも先に、彼女へひしと抱きついたのだ。
「あの、なにを」
どうしてこんな行動をとったのか自分でも驚いたけど、それ以上に彼女は狼狽していた。それはそうだ、名前も知らない会ったばかりの人間にいきなり捕まったのだから。
「寂しかったの」
まだ理性よりも感情を優先しがちだった幼い私は、見ず知らずの人間にそう打ち明けた。
「あそこにはお父さんもお母さんもいないのに、ご飯を食べたり勉強したりしないといけなくて。なのに、知らないみんなと一緒に平気なフリをしていないといけなくて、つらかったの」
「私も……貴方にとっては知らない人ですが……」
「いいの。あそこの人じゃないから」
あくまでも離そうとしない私に対して、彼女は落ち着きを取り戻しつつ、「私は絹綾ランと言います。貴方のお名前は?」と私に尋ねた。「ナギカ」と答える。
「ではナギカさん。落ちついて聞いてくださいね」
周囲に落ちていた枯れ葉が、空へ巻き上げられた。
「私、実は魔法少女なんです」
巻き上げられた葉が私達を円柱状に取り囲むように等間隔へ並べられ、不可視の車輪へ貼り付けられているかのように等速でクルクルと回る。
それだけでも物理法則に反した動きであると幼い私にも分かったのに、更に朽ちかけた葉はみるみるうちに表皮の瑞々しい弾力を取り戻していき、かつて食い破られた穴も埋められて、新樹さながらの若々しい緑色の葉へと変わっていった。
これが魔法。私はしばし目を奪われていた。
「私は……ナギカさんとは違います。あなたが安らぎを求めるべき相手ではありません。むしろ、憎しみを抱くべき対象でしょう」
その声は、この街の魔法少女が誰からも忌避される存在であることを、幼いながらに知っている者の声音をしていた。
「だから、私の身体からその手を離して、自分の居るべきところへ帰って――」
「魔法少女!? ランって魔法少女なの!?」
一方で、私の反応は嬉々としたものだった。
誹られることはあっても喜ばれることは全く想定していなかったのか、ランは焦り顔を浮かべた。先ほど私に抱きつかれたときよりも、大いに。
「あの……私のことを……怖いとか、気持ち悪いとか、そうは思わないのですか……?」
「だって! 魔法少女って色んな人を助けられるし、悪いやつだって倒せるんでしょ!」
養育施設の座学で一番好きだったのは、旧時代の魔法少女にまつわる映像作品を鑑賞する回だった。
講師役の大人があれやこれやと街のシステムと絡めた解説を入れていく中で、私は映像の中で時に笑顔を守り時に抗う彼女達の姿を熱を持って見守っていた。所詮は旧時代の遺物でコドモダマシだと侮りながら座学を受けていた他の児童からは、変なヤツだと思われていたかもしれないし、その節はあった。
「魔法少女は、みんなに希望を振り撒いてくれるんだよ!」
私はいつしか燦々とした眼差しをランへ注いでいた。ランは頬を少し赤く染めると、「はい」と朗らかに笑い返してくれた。
「私は
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