第2章 #4
完全に脱力したエイリの身体を背負って自宅に到着したとき、私の体力も限界に近かった。今朝からあった気怠さはエイリを運んでいるうちに完全に消えていたけれど、他のところにも疲労が溜め込まれていたらしい。
すんでの所で受け止められたので、彼女の身体に傷はついていない。瞼を閉じてはいたが、呼吸と脈は健在だった。しかし、魔法少女としての変身は解けて、青一色のクラシカルロリータの衣装は、紺色のワンピースへと変わっていた。トランスジュエルはバレッタの装飾として取り付けられていた。
「とりあえずベッドに運ばないと」
細長い部屋の奥にあるシングルベッドへエイリを運び、丁寧に寝かせる。
ベッドに横たわるエイリは、服装こそ違えど魔法少女の時と同じ目鼻顔立ちをしていた。
魔法少女の姿とは、人により良く見られるために再設定された容姿、つまり、『アバター』だ。戦う彼女達はみな可愛らしくて可憐な姿をしているのだが、あれは生来のものでないことが殆どだ。殆どの少女達は、自分自身が受け容れられる範囲内で、容姿に関わるコンプレックスを修正している。他人にとって直す必要がないと感じられる部位であっても、当人達は手を加えて、自らの想像する完璧な魔法少女のアバターを創り上げる。それが当たり前だった。
(でも、この子の顔は何も変わっていない……アバターと同じで、綺麗なまま)
スリムな眉も、切れ長の二重の瞳も、丸みを帯びた頬も、純な黒色のストレートヘアーも、全てありのままのもの。
生まれながらにして手の入れようがないほど綺麗な相貌を得ていることに羨望を覚える反面、他の魔法少女達がより完璧な姿を手に入れている中で自分のものだけ手を加えないことを選んだ様相には、彼女の意志の強さを感じざるをえなかった。
「いや、そうじゃなくて。体調を診ないと」
前髪を除けて額に手を当てると、弱めの熱が手のひらへじんわりと伝播してきた。
「少し熱い……けど、咳はしてなかったし、風邪ではなさそうだけど」
素人には判断がつかないので、自分のPDAにて医療診断アプリケーションを起動した。そして、PDAを彼女のそばに近づけると、『ストレスによる高体温』という診断が出た。
知らぬ間に、こんなに疲労を負っていたんだ――と、考えて気づく。そういえば、私が廃ビルの中で目を覚ましたとき、エイリは既に起きていた。
私が起きたのは昼頃だったから、てっきり彼女も眠ったものだとばかり思い込んでいた。しかし、事実はそうでないのかもしれない。
「もし、昨夜の戦闘が終わってから、殆ど寝ていなかったとしたら……」
体力なんか、残っていなくて当然だ。いくら魔法少女であったとしても。
では、エイリはなぜ睡眠をとらなかったのか。それは私が先に倒れてしまったせいだろう。
――「神鳴市に来ることがあれば、『ミノリナギカ』という人を頼るように……って」
彼女は師匠からそう言われていた。情報源にしろ補給源にしろ、エイリにとっての私は、ようやく見つけた足掛かりなのだ。なんとしても逃すわけにはいかなかった。
そんな状況下で眠ってしまえば、『ミノリナギカ』は彼女の前から姿を消す――そう考えたって何もおかしくはない。だからこそ、そのケースを潰すために、エイリは私が起きるまであの場で待っていたのだ。一睡もすることなく。
「ストレスによる高体温……頼れる人がいなかったから」
それも少し考えれば合点のいく話だ。
エイリにとっては大切な『師匠』を追ってやってきた神鳴市は、誰が敵で味方なのか分からない場所だ。それは師匠から頼るように言われた『ミノリナギカ』もそうで、その人物が本当に味方かどうかは自分で判断しなければならない。
それは気も張り詰めるというものだ。余裕が一切ないのだから言動が刺々しくなるのは当然で、相手の好意にすら警戒せざるを得なくなる。
特に、誰かに頼るという行為は勇気が大いに必要なものだろう。頼る先を間違えれば破滅だし、責め立てる相手は必然的に自分自身となる。誰も助けてくれはしないのだから。
「この子は、ここに来てから……ずっと独りだったんだ」
ここまで気丈に振る舞うしかなかった彼女に、何かをしてあげたいと思えた。
戸棚を開き、奥の方にしまってあったキューブ状の包みを取り出す。
本当に使うべきかどうか蹈鞴を踏むも意を決し、それに包まれている焦げ茶色の固形物を使い捨ての紙コップ(当然だけど未使用品)に放り込み、取っ手付きのカップホルダーへ収めた後、給湯器からお湯を注ぐ。
そうして、部屋の中に甘くて芳しい香りが仄かに漂いだした頃、部屋の奥からくぐもった声が聞こえてきた。
ベッドへ目を向けると、エイリが目を開けていた。湯気を立ち上らせている紙コップを持って彼女のもとへ寄る。彼女はむくりと身を起こした。
「ここ、どこですか」
「私の家。さっき言ったでしょ、とりあえず行こうって」
「独居房みたいな住処ですね」
「ベランダと窓が備わっているだけマシ」
「こんなに生活感のない部屋なのに、枕元にある海洋生物のぬいぐるみはなんなんですか。浮いてませんか」
「それには突っ込まなくていいでしょ!」
マーケットで一匹だけ露店に並んでいるのを見て、なんだか独りぼっちで可哀想に思えたから買ってしまった白アザラシのぬいぐるみ。常にスヤァ……と眠っている顔だから、ついついベッドに置いて布団を掛けたくなるのだった。ここでの暮らしの唯一の癒し。
「それより、そんな口が叩けるなら、体調はそこまで悪くなさそうね」
「はい」と言ってコップを手渡す。エイリは鼻で湯気を吸い込んだ後、意外そうな様子で「これ、わたしに?」と尋ねてきた。
「熱いけど
エイリはおそるおそる紙コップを受け取った。「毒とか……」とは口に出したものの、すぐに自ら
そして、コップを自分の口元へ近づける。甘く燻る香りを鼻孔へ吸い込んでから、ゆっくりとコップを傾けて中身を飲んだ。すると、彼女は瞠目し、瞳を白黒とさせた。
「お……おいしいです。とっても甘い……なんなんですか、これ」
「ホットココア。家に材料があったからね」
コップに入れてお湯に溶かした固形物は、ココアパウダーをキューブ状に固めたもの。
この手の嗜好飲料の材料はマーケットでしか手に入らない上にとても高価だ。前に買ったは良い物の、いつ飲むか迷ってしまい、手を着けられずにいたのだ。
「名前だけは聞いたことがあります。師匠も飲んだことがあるって」
街に住んでいる魔法少女だったら、これぐらい好きなときに好きなだけ飲めるのだろう。神鳴市の外では、魔法少女だからって特別扱いされることはないのかもしれない。
「ココア、飲むのは初めて?」
「はい。甘くて、とてもぽかぽかして……こんなにおいしい物だったなんて知りませんでした」
「じゃあ、気に入ってもらえてよかった」
頬を上気させているエイリを見て、自分の表情筋が緩んでいるのが分かる。大枚をはたいて狩った嗜好品を失ったけれど、不思議と損した気分にはならなかった。
「あの。一つ聞いていいですか」
「なあに?」
「さっきマーケットで見ましたし、この飲み物が貴重な物だということは分かります。なのに、どうしてわたしに譲ってくれたんですか」
「ここまでずっと気を張っていたと思うし、少しは
エイリは申し訳なさそうに俯いた。そんな顔はしなくていいのに。
「周りに頼れる人がいなくて大変だったでしょう。このココア程度でその役割が務まったなんて思わないけど、少しでも助けになれたら良かったかな」
「あの……もしもですけど……師匠が言ってた『ミノリナギカ』さんが、あなたじゃなかったとしたら、このココアは」
「いいよ、そのまま飲んで。頼まれたからやったわけじゃないから」
これは本心だ。
見返りがなくたって構わない。むしろ、実はこの子が私にとっての敵だとして、塩を送った結果になったとしても、いま目の前にいる彼女が幸せならそれでいい。
しかし、ここまで言葉を尽くしても、エイリは二口目を啜ろうとはしてくれなかった。警戒と言うよりは恐縮しているのだろう。おいしいと思っているのなら尚のこと、冷める前に飲んでほしいから更にもう一押し付け加える。
「私の友達に、ココアが好きな子がいるんだ。もう長いこと会えてないけど」
白い服の似合う、銀髪の彼女の姿が思い浮かぶ。
「貴方はその子とどこか似ている気がして、また会えたような懐かしい気持ちにさせてくれた。だから、このココアはそのお礼でもあるから、遠慮しないで」
私とエイリの間に沈黙の帳が降りる。
今になって羞恥を伴う後悔がやってきた。何をこんなに重たい感情を吐き出しているんだ、解されているのはこちらの方じゃないかと自分自身を叱責しても後の祭り。けれどもこの沈黙は、カップホルダー手に持つ少女の声によって終わりを迎えた。
「そうなんですね……わたしに、その人の姿を重ねて……」
少女はそう吐き出すと、まるで自分の内心を見つめるように、コップの中に残っているココアへ視線を落とした。そして、コップを口元へ近づけて、二口目を啜り始めた。ちびちびと飲み続ける姿を静かに見守る。
「ごちそうさまでした。とてもおいしかったです……とても」
エイリは微笑んでいた。
同年代の少女達よりも幾ばくか大人びた、澄ました笑み。そこに見栄や強がりという仮面は一切無く、これが彼女の素に近い表情なんだと感じられた。彼女が何者であるかなんて関係なく、眺めているだけで心の中が温かくなる。
「あの」
エイリは口を開いた。若干の心苦しさを含んだ声。
「ココアのお礼というわけじゃないですけど……師匠の名前くらいなら教えてもいいです」
青天の霹靂も同然の申し出に、彼女からコップを受け取りながら「ほんと?」と思わず聞き返してしまった。
「あ、あなたのことを完全に信用したわけではありません。勘違いしないでくださいね」
エイリにぷいと顔を逸らされた。けれどもそれは一時的な仕草だったらしく、すぐに私と目を合わせる。
そして、彼女に告げられた内容は、まさに雷のように私の身体を灼くには十分なものだった。
「私の師匠の魔法少女名は――『カトレアホワイト』」
その名前を聞いた瞬間、手から力が脱けた。持ったコップが軽い音を立てて床に落ちる。
私はエイリを、いや、彼女の後ろにいるその魔法少女の影をじっと見つめる。間違いない。間違うはずがない。その名前は。
「あなたのご友人の『
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