第2章 #3

「街の外……地名は分かる?」

「外は外です。地名なんてありません」


 想像していた答えではある。だとしたら、これ以上聞くことは意味が無い。


 神鳴市の外は、第三次世界大戦によって荒野となった土地が殆どだと聞いている。一応は、この街のように文明的な機能や政治体制を整えられた集落もあるにはあるらしいが、そうでない場所から来たなら、場所を特定できる識別名なんて与えられていなくても不思議ではない。


「じゃあ。何のために神鳴市へ?」

「師匠を探しに来たんです。この街に来たはずですから」

「師匠を探しに……ねぇ」

「向かった先の見当は付いているんです。この街の、マナプラントです」

「マナプラントかぁ……よりにもよって、そことはね」


 どうしても顔が渋くなる。


 神鳴市に課せられた役割は、『魔法少女の物語の製造』と『マナの生産』。マナプラントは、後者の中核を担う――とどのつまりは、マナの生産を行う施設だ。


 この街の住民は、マナプラントが存在していることは知っていても、その場所や稼働の実態までは把握していない。神鳴市の重要機密に指定されているため、情報が一切公開されていないのだ。知っている人間は、ごく一部に限られていることだろう。


「うぅ……絶対そこに師匠の手がかりがあるのは間違いないんです……」


 甘い味のするペーストを口の中へ運びながら思考を巡らす。


 この子は魔法少女であり、師匠とやらを敬愛している。曰く、その師匠は「最強の」魔法少女であるらしい。そして、彼女は魔法少女を製造しているこの街にやってきたから探しに来た。


 一貫はしている。論理に破綻しているところはない。もし、私がマナプラントの情報を持っていたら教えてあげていたかもしれない。けれども、知らないものは知らないのだからどうしようもない。


 このまま教えて知らないの問答を繰り返すのは時間の無駄だ。次の質問へ移ろう。


「貴方は私が『命を狙われている』って言っていたけど、それは神鳴市が私の命を狙っている……なんてことじゃないよね?」

「それで合ってます。法雨ナギカは要処分対象。住民名簿にそう記録されていましたから」


「嘘でしょ……」と淀んだ息を吐く。


 どうしようもなくて途方に暮れるしか無い気持ちと、あまりにも心当たりが無くて信じられない気持ちが心の中に同居していた。どうして、私なんかがそんなことに。


(ただ、この子が言っていることが事実じゃないという可能性もある)


 昨夜の現場でエイリもろとも殺されかけたのは事実だ。けど、よくよく考えてみると誰が仕掛けたのかまでは分からない。自分の身が危機的状況にあるのは間違いないにしろ、今すぐ敵と味方を決めるつけるのは只のギャンブルでしかない。


(私だって死にたいわけじゃない。適当に決断を下すわけにはいかない)


「ところで、どうして私にそれを教えてくれたの? 私はあなたを敵と見做していたのに」

「師匠が言っていたんです。法雨ナギカという人が困っていたら助けてあげてほしい、って」

「また『師匠』かぁ……」


 この調子だと私が知りたいことは全部『師匠』という存在に紐付いていそうだ。徒花エイリという少女に自我はないのだろうか。


(結局、この子の『師匠』という人を見つけないことには、何が本当で嘘なのかすら分かりそうにないなぁ)


 スプーンを口に突っ込みながら考えては、「はぁ」と息を漏らす。


(居場所の見当は付いているって言ってた。そこは流石に嘘だとは思えないし、あとで聞いてみないと)


 突き入れたスプーンで頬を弄っているうちに「ごちそうさまでした」と告げられる。彼女のトレーは綺麗さっぱり空になっていた。水は少し残っている。


「初見で完食した人、初めて見たかも」

「このくらい当然です」


 鼻を鳴らしながら応えている様は、ちょっと誇らしげではあった。


 遅れて私も平らげる。「食べ終わった後は店に返すから」と言って、エイリから空のトレーをもらう。彼女の座る粗末な椅子は、置き去りにしても良いだろう。


「じゃあ、そろそろ行こうか」

「もう少しだけ待ってください」


 なんだろうと思うと、エイリはどこからかコルク栓で封のされた小瓶を取り出した。


 中には黒い粘液が閉じ込められている。今にも動き出しそうなそれを見て、一抹の不安を抱きながら私は尋ねた。


「それ、なに?」

「マレフィタールですが」


 不安は杞憂ではなかった。


「どうしてそんな物を持ち歩いているの? と言うか、何で今取り出したの?」

「こうするためです」


 そう言うと、エイリは小瓶の栓を慣れた手つきで取り外し、その中身を躊躇なく自身の紙コップの中へ落とした。マレフィタール特有の腐臭が鼻についた。


 コップの中の水がたちまち墨溜まり同然に黒くなり、それどころかやや粘度も増しているように思われた。そんなドブに捨てられたような液体をエイリは――一息のうちに口の中へ注ぎ込んだ。


 唖然とするほかなかった。


「何をしているの……?」とドン引きしながらもおそるおそる尋ねられたのは、彼女がゴクリと喉を鳴らした後だった。


「何って、マナの補給ですが」

「マナの補給」

「わたし、自分でマナを作れないので、これしか方法がありませんから。昨日で結構使っちゃいましたし」


 しれっと言い放つエイリに面食らう一方で、私は納得もしていた。


 昨夜の戦闘で、魔法少女であるエイリの身体防護機能が働いていなかったのは、それに回されるだけのマナがなかったからだ。それに、リコがマレフィタールからマナを抽出する研究をやっているとおり、この粘液にマナが含まれていることは事実だ。マレフィキウムが落とすマナシードに比べれば、ごくごくごく少量しかないけれども。


 だからと言って、これを飲めって言われたら死んでも断る。どんな味や食感がするかなんて、想像もしたくない。そもそも魔法少女でない人間は、マナを身体に蓄えられないから、普通に生きていればそんな機会は訪れない。罰ゲームにしても非人道的すぎる。


 そんなことを考えていると、周囲のざわめきが自分達へ向けられているように感じられた。周囲へ目を遣って思い違いではないと確信を得る。通りを歩く人々、立ち止まっている人々が皆、エイリ――アイリスブルーへ奇異と好機の視線を注いでいた。


 青一色のクラシカルロリータなのもそうだけれど、それ以上に魔法少女はこんなところに来ないので、それらしい衣装を着ていると目立ってしまうのだ。いくらこの街の人間が魔法少女をよく思ってはいないとは言っても、一刻の観賞だけなら良いだろうと思っている輩はいる。


(この子の魔法少女姿が可愛らしいから……というのもあるかもしれないけど)


 キリッとしたスリムな眉と、少々気の強そうな切れ長の二重の瞳。それでいて、頬はあどけない少女らしい、丸みを帯びた輪郭を持っている。純な黒色の長髪はストレートのまま編み込みのアレンジが施されていて、そこには少しでも大人びた自分を見せたいという気持ちが見え隠れしているように思われた。却ってそれが年相応の愛しさを醸し出しているのは、きっと気のせいではない。


「ここに居るのも限界かな。そろそろ行こっか」

「次はどこに連れ込む気ですか?」


 そうだ、彼女の容姿に見入っている場合ではない。


「そうだね……休むことのできる場所の当て、エイリさんにある? あるならついていくけど」

「……ありません」

「じゃあ、ひとまず私の家に来る? 外で立ちっぱなしになるよりは休めると思うから」


 ここからは私の自宅まではそう遠くない。ヘトヘトの身体でも、動けなくなる前には到着できるくらいの距離だ。集合住宅の中に詰め込まれた狭い一室でしかないけれど、最低限の調度品はあるから、ここで粗悪な椅子に座り続けるよりはマシだろう。


 エイリはしばらく思案顔をした後、注目を寄せてくる周囲の人々を一瞥した。自分達はよそ見などしていなかったと言いたげに、いそいそと前へ向き直って歩き出す。衆目に晒されることに懲りたのか、「分かりました。それで構いません」と不承不承と返答を寄越した。


「それじゃ行こうか」とエイリに告げて歩き始める。けれども、彼女の足はすぐには動かなかった。


 行くよ、と声を掛けようとしたところ、彼女の視線が私ではなく別の場所へ吸い込まれていることに気づく。


 なんだろうと彼女の視線を追う。そこにはホットミルクやカフェオレ、ハーブティーやココアなど、嗜好飲料を販売しているワゴンカートがあった。当然、一杯あたりの値段は非常に高い。さっき食べた横流しプレートが四人分買えてしまう。


「あ……まってください」


 魅惑的なワゴンカートに足を縫い付けられていた少女は、私との距離が空いたことに気がつくと、トテトテとこちらへ駆けてきた。未練がましい横目をワゴンへ残しつつ。


「なに見ていたの?」

「……べつに」


 彼女は足下へ視線を落としながら歩いていた。


「ちょっと待ってて」


 歩きながらPDAを操作してクレジットの残額を確認する。表示されたのは非常に心許ない金額だった。


「ごめんね、ちょっと買えそうにないや」と伝えようとして振り返った、そのときだった。私の後ろについてきていたエイリが、前のめりにふらりと倒れたのだった。

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