第2章 #1

『――ギ! ちゃんナギ! ちゃんナギ! ちゃんナギぃー!』


 私の名前を呼ぶ声がして、目を覚ます。


 寝ぼけ眼を擦り、傍らで電子音声を発するPDAを拾い上げる。PDAへ伸ばされた腕は仕事着のスーツジャケットの袖に包まれていた。そうだ、変身はとっくに解除されていたのだった。


「もしもし……?」という眠たい声が自分の口から出てくると、PDAは『や、よかったぁー!』と花火を打ち上げたかのような声を上げた。「リコ……?」と通話相手の名前を呼ぶ。


『どうせAEをメンテしないといけないっしょって思って出勤したのに、いつまで経ってもナギカ来ないし! もしかしなくても何かあったパティーンだっ、そう思って!』

「ごめん、リコ。心配掛けちゃったね」

『まー、ちゃんナギが生きてるちゃんならおけおけ。それで、イマドコ?』

「どこって……」


 どこだったっけ……とぼんやり周囲を見渡す。


 解体工事の途中で放置されたような瓦礫の山、ぽっかりと抜けた天井、マレフィタールによる黒いシミ。あぁ、これは……。


「……昨夜の現場」

『マ!? もう昼なんだけどまだ帰ってないんマジ!?』


 たしかに、崩落した瓦礫の隙間から、柔らかな日差しが差し込んでいた。少なくとも、数時間は昏倒していたらしい。エグゼクターの経験はまだ二年程度しかないけど、こんなことは初めてだった。


「武器は壊れるし、ベルトはバグるし、色々大変だったから疲れちゃって……」

『わおモーレツ。てゆーかそんなにヤバい戦いだったんならすぐ送ってよ、ベルトと武器』


「わかった……」


 一応はベルトにPDAをかざして動作確認する。しかし、先ほどと同じ『ERROR』が表示され、加えてベルトのシステム再起動がまた始まった。


 溜息を吐きながら腰から外す。そして、PDAを操作して、ベルトを補給課へ転送するよう指示を出した。このベルトそのものも転送術式の対象として設定されているから、何かあったときにこうして遅れるのは便利ではあった。


「ベルト、いま送ったよ。武器は回収できなかったから送れないけど」

『受け取り、もーまんたい』という返事がされる。


 今、創造局に送るのはどうかとも考えたけど、鉄の塊と化したベルトを持ち歩くほどの元気はない。


『マルチプルウェポンのスペアは、まだどっかにあったはず。探しとく』

「ありがとう、リコ。ごめんね、また」

『良いって良いって。ちゃんナギからタカるシャケが増えただけだし』

「それはそれで辛いんだけど……」


 思わず苦笑いを浮かべてしまう。


 あの定食プレートは主菜も込みで栄養価が計算されているため、毎回渡してしまうとそれだけひもじい思いをしてしまう。


『で、イマ体調どう? 動ける? 実は死にそう?』

「ちょっと気怠いくらいかな」と正直に告げる。


 電話で喋っているうちに眠気は醒めてきた。それでも、身体の怠さは抜けきっていない。


『そっか。じゃあ、今日は休む?』

「ええと……」


 言葉に詰まる。


 普段なら、エグゼクターとしての仕事がなければ、事務作業のために出勤する以外にやることがない……のだが、昨夜のことを考えると、単純に考えることはできない。


 ――あなた、命を狙われているみたいですよ。


 これが本当でも、嘘でも、今は仕事のことを何も考えたくなかった。昏倒していたときに悪い夢を見ただけであってほしかった。


(夢でなかったとしても、流石にリコには言えないけど……)


 一方、リコはしばらく黙り込んでいた。何かを考えているのか、作業をしているのか。そんなところだろうと当たりをつけていると、『送っといたから』と藪から棒に返事が来た。


「送ったって、何を?」

『精密検査の予約。しばらく働きづめだったんだし、ちょっと診てもらいなしー』


 通話を維持したままPDAを操作すると、確かに予約票が届いていた。時刻は夕方、場所は神鳴市お抱えの医療施設だ。定期検診で行ったことがある。


(いや、ここも市の施設なんだから、今の状況で行くべきかどうか――)


『――いい? ガチで行ってよ! 絶対だかんね!』


『じゃ!』と電話は切られた。彼女は自分の仕事に戻ったのだろう。他方、自分は――


「やっと起きましたね。おはようございます」


 意識の外から声を掛けられたものだから、「うわっ」と心臓が跳ねた。


 声のした方向へ目を向けると、そこには青一色のとんがり帽子とクラシカルロリータを身に着けた少女――エイリが立っていた。「随分なあいさつですね」とご機嫌斜めな様相だ。


(そうか、この子がいたことも夢ではなかったんだ……) 


 落胆していると、「今の方は?」と質問された。反射的に「職場の同僚」と答えてからハッと口を塞ぐ。この少女が何者なのか分からない以上、無闇矢鱈と情報を出さない方が良いのでは。


「そうなんですね」


 しかしながら彼女の反応は興味の無さそうなものであったので、心配は杞憂だったらしい。ただ、それはそれで気に障るものがあるけれども。


(そんなことにいちいち目くじらなんて立ててる場合じゃない。今はこの子が何者なのか、少しでも情報を集めないと動きようがないんだから)


 ――「あなたもまとめて始末しようとしているみたいですよ」


 昨夜の戦闘で告げられたこの言葉。


 いくらなんでも、これをそのまま鵜呑みにすることはできない。その真偽を判断するのは彼女が何者であるかを見極めた後だ。昨夜、実際にあんなことがあって殺され掛けたとしても。


 今のところ分かっている要素を思い返す。


 徒花エイリ。魔法少女としての名前はアイリスブルー。


 この街に彗星のごとくやってきた魔法少女。一昨日の巨大マレフィキウムの出現時は、他の魔法少女が駆けつける前に民間人の救出を手伝ってくれた上に、マレフィキウムの退治もしてくれた。けれど、昨夜は一転して叛魔法少女としての討伐を命じられることになり、敵として真っ向から向かい合うことになった。


 彼女が『師匠』と呼んでいる人間が言うに、この街に来たら法雨ナギカを頼れとのことらしいが……まずはそこから潰していくべきか。


「ひとつ、確認していい?」

「なんでしょう?」

「その『師匠』という人は本当に私を頼るように言ったの? 同姓同名の人違いじゃない?」

「住民名簿には事前に目を通しましたから。法雨ナギカという名前の人はあなたしかいません」


 神鳴市の住民名簿は、私どころかリコでも閲覧権限のない情報だというのに。いや、その詳細を尋ねるとしても後だ。


「そもそも、本当に『ミノリナギカ』って言ったのかどうか」

「師匠は最強の魔法少女です。間違えるわけがありません」


 あからさまに不機嫌な顔になった。この子は『師匠』に心酔しているようだ。


「じゃあその、師匠さんって私が知っている人なのかな。名前、教えてもらえないかな」


 街の外の知り合いと聞いて、思い当たる人物はない。だから、名前を聞いたとしても「誰?」と聞き返すことにはなりそうだけど、それでも私の名前を知っているその人の名前くらいは知っておくべきだと考えたのだ。しかし――


「師匠の名前は教えません」

「どうして」

「あなたのこと、まだ信用できませんから。師匠は最強の魔法少女。それで十分です」


 エイリはツンとそっぽを向いた。これは私に対する信用の問題のようだ。


「分かった。最強の魔法少女は間違えない。うん、絶対に間違えない」

「そうです。師匠は最強ですから」

「貴方の師匠は究極で完璧」

「はい! 師匠は究極で完璧なんです!」


 表情は一転して雨上がりの空から差し込んでくるお日様のようになっていた。


 あれ、もしかしてこの子、『師匠』をヨイショし続ければ案外チョロい?


「いま、何か失礼なこと考えてませんでした?」


 図星。


「いやいや別に別に」と、ブルブルかぶりを振る。必死さが見え隠れしているのか、エイリは余計に訝しんできた。視線を泳がせながら「ところで」と強引に話題を変える。


「貴方が私に頼るとして、具体的には何が欲しいの?」

「何をりたいかって話ですか?」

「魔法少女なんだから、もっと可愛い言葉を使った方がいいよ」

「可愛さで取れるのは数字ぐらいで、タマは獲れないし守れないって師匠が言ってました」

「か、可愛げが無い……」


 あんぐりと口を開けていると、「とは言え」と彼女は腕を組む。


「欲しいものは今のところありません」

「えっ。そうなの?」

「依存しすぎるのも却ってリスクがありますしね。あなたが敵だとしたら、本来はこうして離しているのも危険なんです」

「そんなに身構えなくても」

「師匠が名前を出してなかったら、自分の首を絞めてきた大人と話そうなんて思いません」


 そう言われると返す言葉がないなと項垂れる。


「強いて言えば情報くらいです。自分の足だけで集めるのも限度がありますし――」


 そのとき、彼女の口を遮るべくして間の抜けた音が響いた。


 空っぽになった胃の収縮運動によって、小腸に残った水分や空気がかき混ぜられる音。つまり、飢えを嘆願する内なる獣の慟哭。それが、少女の腹から鳴ったのだった。


「あ、あ、あ、あ……」


 クールぶっていた少女の顔がみるみる赤くなっていく。


 全身をぷるぷると震わせながら、彼女はさっと両手で腹部を押さえ込んだ。それでも、腹はぐるぐると鳴り続ける。エイリはますます紅潮した。


 思わずクスリと笑ってしまった。そうだ。魔法少女とは言え人間なんだから。


「とりあえずご飯でも食べに行こうか。それくらいはいいよね?」

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