第1章 #12

 足下の揺れが収まり、身体を起こす。


 抱きかかえたはずのアイリスブルーの姿はない。


「あの子、うまく逃げおおせたのかな」


 一方で、私自身は落ちてきた瓦礫が掠ったり身体をぶつけたりはしたけど、切り傷や打ち身程度で大怪我を負うことはなかった。AEを装着できていなかった状況下でこれぐらいで済んだのは運が良かった。しかし――


「この辺り、イヤな空気がする」


 肌身に絡みつくような空気の淀み。これを感じるのは、まるで。


(マレフィキウムの出現した現場のよう)


 そのとき、足裏に粘つくような感触を覚えた。


 ゆっくりと足を上げて凝視する。足にねっとりと付着しているのは、黒い粘液。つい最近も見覚えのある、墨溜りのようなこの粘液は。


「マレフィタール……ということはつまり」


 そのとき、傍らに積もっていた瓦礫がユラユラと蠢いた。身構えながら注視していると、蠢く瓦礫は撥ね除けられ、その下から墨溜りの怪物が姿を現した。


「マレフィキウム……でも、なんか違う」


 現れた怪物は人間一人と変わらない大きさで、その見た目も人のシルエットをそのまま持って来たかのように四肢と頭部が備わっている。大きさと言い、外観といい、こんなマレフィキウムは今まで見たことがないし、聞いたことがなかった。


 辺りに落ちていた小石程度の瓦礫を投げつける。命中したが、ずぶずぶと体内へ取り込まれていき、傷がつくことはなかった。魔法少女以外の攻撃が通じないことに変わりは無い。つまり、依然としてエグゼクターにとっては手も足も出ない天敵であると悟る。


(どうにか干渉するにも武器がない。ここは大人しく逃げるしか――)


 そして後方へ足を踏み出すと、またしても踵に粘液がまとわりついたことに気づく。ハッとして振り返ると、そこにも同様のマレフィキウムがいた。別の退路を探そうと視線を動かすと、さらに一体、いや二体の個体がいることに気づく。取り囲まれた。


「そっか……最初から、そのつもりだったんだ……」


 はは、と乾いた笑いが出る。


 どうやら私は、叛魔法少女を狩るよう指定された場所で床を爆破され、計四体のマレフィキウムの待つこのフロアへ誘い出されたらしい。なるほど、殺されようとしているのは私の方だった、と。


 思えば、おかしいことばかりだった。


 討伐対象である叛魔法少女の情報は禄にもらえないし、(彼女自身は否定しようが)アイリスブルーに掛かった嫌疑は冤罪だ。それに、昨日一仕事を終えてからすぐの仕事だ。アイリスブルーとの同士討ちを期待されていた、と言われても納得するほかない。


 ただ、そんな思惑があると事前に察知していたところで、私に何が出来ただろうか。エグゼクターは、否、この街の人間は、命じられるがままに愚直に働き続けて死ぬしかないのだから、その時が少しばかり早まっただけのことだ。


「あの子は、うまく逃げられたかな」


 自分がこんな状況になっても、思い浮かんだのはあの魔法少女のことだった。なぜか友人の面影を感じる生意気な魔法少女。果たして、彼女に何をするのが正解だったのだろうか。


 ぬめり、ぬめりとマレフィキウムが近づいてくる。


「いざ死ぬってなると、少し怖いな。でも、自分では死ねないから、ちょうどいいか」


 ぬめり、ぬめりとマレフィキウムが迫る。AE越しにでも死の匂いが感じられた。


「やるなら、いっそひと思いに」

「――人の心配はしても、自分のことはどうでもいいんですね」


 心の底からの呆れを帯びた、あの生意気な声が聞こえてきた。


 そのすぐ後に鉛玉の雨が横殴りに降る音が鼓膜を揺さぶる。シャボン玉が弾けるような断末魔をあげて、目の前の墨溜りが破裂した。


「アイリスブルー……どうして……」

「あなたを見殺しにできない理由がありますから。それに」


 そう言いながら、彼女は自分へ手をあげようとしたマレフィキウムへアサルトライフルを向けて斉射した。


「それに?」

「床が崩れ落ちるとき、私を庇ってくれましたから」

「余計なお世話でしたけど」と、彼女は弾倉を入れ替える。


 それを好機だと捉えたのか、三体目のマレフィキウムが飛び掛かろうとしていた。しかし、どこからともなく現れた設置小銃によって、彼女に触れることなくなぎ払われる。


「あぁ、礼には及びません。小物を処理するくらい、息を吸うよりも簡単ですから」


 伸ばされた黒い腕を、長髪をなびかせながらヒョイと躱し、銃口を四体目のマレフィキウムの頭部に突き入れる。


「こんな児戯なんかに付き合っていられません」

「児戯って。貴方もまだ子供でしょうに」


 そして、一発だけ発砲した。


 銃声の余韻がフロアに留まる中、最後のマレフィキウムは墨溜りの身体を維持できなくなり、消滅した。


「子供も大人も関係ありません」


 全てのマレフィキウムが消えた空間の中、アイリスブルーがこちらに顔だけ向ける。


 闇夜の中に重厚な突撃銃を携えた小さな少女の相貌が浮かび上がる。その光景は、魔法少女が存在するこんな世界であっても現実離れしているように感じられた。一見するとチグハグでアンバランスではあるけれど、その画が妙に似合っている彼女に私は暫し見惚れていた。


「なんですか、人の顔をじっと見てて。舌戦なら受けて立ちますよ」


 その言葉にハッとして、それと同時に生意気な口さえ開かなければなぁと思いつつ。


「ありがとう、アイリスブルー」


 いずれにせよ、私がまず口にすべきことは感謝の言葉だ。


「別に。大したことはしていませんから」

「素直じゃない人ってみんなそう言うよね……」

「余計なお世話です。それと……」


 少女は小さな手を口元に当てて、「こほん」と咳払いする。


「わたしの名前は、徒花エイリです。アイリスブルーは魔法少女名ですから」

「本名、明かしちゃうんだ」


 この世間一般的に、普通、魔法少女は本名を明かさない。


 自身の何もかも他人に晒すことを求められる彼女達にとって、本名は唯一秘匿を許されたプライベートエリア。魔法少女という表皮の裏に秘められた最後の素顔なのだ。


「わたしはまだ、師匠からの指導を全て受けられていませんから半人前も同然、完璧な魔法少女ではないんです。それなのに魔法少女名を名乗るのは、わたしの矜持にもとります」

「その歳でプライドがあるのは大変だね……」

「それに、信用を得るなら名前くらい名乗りましょうって、師匠が言ってましたから」


 失礼な弟子と違って出来た師匠であることだと感嘆する。


 そう思いながら頭部の「あれ?」と何かが引っかかる。


「信用って、私の信用を得たいってこと?」

「そうですが」

「それってまるで、貴方と今後も付き合いがあるような物言いだけど」

「そうなんですか? わたしは、そのつもりでしたけど」

「えっ」

「えっ」


 眼前に立つ少女をまじまじと見つめる。


 この生意気な彼女との付き合いが続くって? これからも?


 想像しただけで疲労がどっと押し寄せてくる。あぁ、現に目眩がしてきた。


「あ。伝えてないことがありました。師匠に言われてたんです」

「何を?」

「神鳴市に来ることがあれば、『ミノリナギカ』という人を頼るように……って」


 その言葉の意味を解するや、「はい?」という声が口を突いて出てきた。


 とんでもなく驚いたストレスのせいだろうか、目眩は余計に酷くなって、自分の全身から力が脱けた。


 周囲の景色がぐるぐると回ったかと思えば、やがて電源が切れたモニタのように、視界には何も映らなくなった。



【第一章 変身ジュエルと変身ベルト】 了

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