第1章 #7

 私を避けて、何かがべちゃりと潰れる音がした。


 戸惑いながら目を開くと、マレフィキウムの片足――否、足だった肉片が落ちていた。どういうことかと驚いてマレフィキウムへ目を向けると、墨溜りの怪物から足がもげていた。バランスを失い、そのまま後ろへ倒れ込む。コンクリートが揺れて塵が待った。


「何が起きて――」


 答えを探して辺りを見回す。そして、ハッと瞠目した。


 倒れた怪物の傍らには、ロングヘアーの少女の背中があった。


 目一杯に盛り込まれたフリルが特徴のクラシカルロリータ服に、とんがった頭頂部が垂れているツバ広の帽子。背中では短いマントがはためいている。


 この姿には見覚えがあった。


 あの日別れたことをずっと後悔していた、彼女の。


「ラン――」


 無我夢中でそう呼びかけると、少女はくるりと振り向いた。そして、私は我に返った。


 振り返った少女は明らかに彼女――ランではなかった。


 顔立ちはランよりも幼く、ロングヘアーは銀色じゃなくて真っ黒。


 白という色を気に入っていたランとは異なり、服も帽子も海の底から持ってきたような暗い青色で統一されている。


 この少女は、私の知らない魔法少女であることは明らかだった。


 そして少女もまた私とは一切面識がないようで、不審者を見るように訝しげな視線をこちらに向けていた。


「あ、ごめんなさい。人違いで――」


 そう弁明しようとした矢先、倒れ込んだマレフィキウムの身体に異変が生じる。


 ぐにゃぐにゃと全身を蠢かせると、まずもがれた足を再生させ、他の手足についても上下を入れ替えて地面へ接地するように変形させた。それが意味するところは、二足歩行から四足歩行の形態へ変わったということだ。


 そして最後に、つい先ほどまで股として扱っていた部位へ、尖った角をもつ頭部を生やした。新たに生成された眼は、しばらくギョロギョロと忙しなく動いていたが、やがて両目で青の魔法少女をしかと見据えた。


 危ない――と私が声を出すよりも早く、マレフィキウムが動き出す。


 さっきのような鈍重な動きではなく、四つの足を駆使することで地を高速で這うモグラそのものの動きだった。


 尖った角を回転させて、少女を貫こうと突進してくる。あれに触れてしまったら最後、いくら大量のマナで身体を護っても、あっという間にマナが枯渇して肉体を貫かれることになるのは必至だった。


 我が身を挺して少女を庇おうにも、彼女との距離は一瞬で詰められるものではなかった。そのまま黙って見るしかないと思われた――しかし、私が手を出すまでもなかったと直ちに思い知ることになった。


 彼女は突進してくる怪物に向かって右手の平を広げる。すると、手のひらを中心にして幾何学的な文様が展開された。それ自体には見覚えがあったから、魔法によって生成された障壁シールドであることはすぐに分かった。けれども、今彼女がやっているように、それを幾重にも重ねて展開する使い方は見たことがなかった。


 突進してきたマレフィキウムは、そうして展開された多重障壁に阻まれた。依然として角は回転を続けており、火花を散らしながら障壁を何枚か破壊してはいるものの、即座に全ての障壁を破壊するとまでには至らなかった。


 だが、回転する角は着実に障壁を破壊し、少女の手のひらへと少しずつ近づいている。そのまま貫かれてしまうのも時間の問題だ――そう危惧している最中、マレフィキウムの身体に何かが炸裂し、あちこちで墨溜りの表皮を抉った。中々のダメージであったらしく、マレフィキウムは悶絶し、ドリルの回転をやめて後ずさりする。


(助かったぁ……でも)


 彼女の戦い方には違和感を覚えた。


 この街の魔法少女の戦いは、どんなに危険な状況であってもエンタメとして脚色され誇張される。だから、撮影スタッフが揃わないと彼女達は戦わないし、魔法は派手な方が好まれるし、チャンネル登録者数を稼ぐために格下相手であってもピンチに陥ったフリをするのは当たり前。だけど、彼女の戦い方には、そんな作為めいたものは感じられず、単に粛々と討伐することを優先しているように窺えた。現に、周囲にカメラドローンは飛んでいないことから、撮影をしていない可能性が高い。


(この子はいったい……?)


 不思議に思っている間にも戦況は進行する。


 少女はかざしていた手のひらを降ろす。それと共に、残っていた障壁は粒子となって霧散する。そして、トドメを刺すべくマレフィキウムへ近づこうと――したところで、棒立ちになっている私を一瞥した。そして、私の視線を振り払うように鼻先をふいと動かす。その方向へ目を向けると、そこには少年を腕の中に抱えたままへたりこんでいる、あの女性の姿があった。


 ――あの人、ちゃんと逃がしておいてください。役目でしょう?


 青装束の魔法少女の顔はそう言っていた。


 確信の持てないまま頷くと、彼女はくるりとこちらに背を向けた。


 その澄ました態度が生意気で可愛げが無いと思ったけど、それ自体は正論なのだから従わない理由はない。女性の元に駆け寄って声を掛ける。


「ここは魔法少女に任せて逃げましょう」


 彼女はなんとか立ち上がろうとしていたけれど、腰を抜かして立てなくなっていた。足にも怪我をしていることだからと、私は彼女をひょいと抱きかかえる。AEのおかげで増強された腕力の有効利用。大変驚かれたが仕方がない。


「じっとしていてくださいね。その子は離さないように」


 驚き惑いながらも頷いてもらったのを確認して、その場から足早に退散する。


 現場からそれなりに離れると、後方から大きな爆音が鳴った。首だけ動かして横目で見ると、モグラの形をしたマレフィキウムがマナへと昇華されていっている。あの魔法少女がトドメを刺したのだろう。


(変な子だったなぁ)


 突然現れて、自ら首を突っ込んだだけのエグゼクターを助けて、マレフィキウムの討伐を淡々と進めて、こちらと小生意気な意思疎通を試みて、あっという間に勝ってしまった。


 そして何より。たった一瞬だけではあるけれど、かつての友人の面影を彼女に重ねてしまった理由は分からずじまいだった。

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