第1章 #5
「ちゃんナギってこのペンダントずっと着けてるけど、そろそろ別のに替えてみない?」
「これ、そんなにかなぁ……」
「なんつーか、ちょおっちチルディッシュだし? 安っぽそうだし? 外から入ってきてるヤツでオススメのあるからさ。今度、マーケット、観に行こうよ。気分転換にもなるしさ」
リコは、ちゃらけた声を出し、口元では笑顔を浮かべていた。だけど、瞳からはこちらを思いやる気持ちから滲み出ていた。それに気がついた私は顔を逸らした。
ここまでのやりとりは全部、私を気遣ってくれたリコの優しさなのだろう。それは理解できるし、そんな慈愛を傾けてくれたことには感謝しかない。
けれども私は、誰に何を言われようとも、このペンダントを外すつもりはなかった。
――このペンダント、ずっと着けてくれると嬉しいです。私だと、思っていただいて。
乳白色のガラス玉に触れると思い出すのは、五年前にこのペンダントと共に託された言葉。
そして、悲しげに微笑む彼女の顔。
――今まで一緒にいてくれて、ありがとう。
「ちゃんナギ? おーい、ちゃんナギってばー」
リコの声でハッと目が覚める。
どれくらいの間、放心していたんだろう。
思わず周知で身悶える。そして、「ペンダントの話だよね?」と、しどろもどろに話を続けようとした、が。
「眠くなってきたし飽き秋風。さっさとご飯食べるべ?」
リコは何も気にしていない様子で、鮭みたいなモノをほおばっていた。さっきまでキラキラと輝いていた目はそろそろ瞼が落ちそうになっている。嘘ではなさそうだ。
「そ、そうだね。さっさと食べて帰ろうか――」
そうやって、プレートへ手を伸ばし始めたときだった。
前触れなく視界の端にて、何かが音を立てて崩れ去る、いや、爆散するような物音が聞こえてきた。何かの聞き間違いかと思いつつも、気になって音がした方向へ振り返り、私はぎょっと目を見張った。
「え?」
一台のクレーン車が、鉄筋コンクリートの壁を突き破って、この建屋の中へ横滑りに突っ込んできたのだ。
私は反射的に立ち上がり、食べている最中のリコの首根っこを引っ張る。
「え、な。どした――」「伏せて!」
未だ状況を飲み込めてないリコの身体を引いて、少しでもクレーン車から遠ざかろうとした。
暴走する巨大な鉄の塊と化したクレーン車は、そばにあったテーブルや椅子を底に座っていた人やプレートごとなぎ倒していき、最後には私たちが座っていたテーブルを踏み潰してようやく止まった。
「お、おおう……」
私が肩を上下させる傍ら、リコはスプーンを手に持ったまま目を白黒とさせていた。
息を吸って冷静になった頭で、周囲の状況を観察する。
建物へ入ってきたクレーン車は無人で、エンジンが動いていない。つまり、運転を誤ってここに突っ込んできたわけではないと分かる。状況だけ見れば、とてつもない怪力の持ち主に投げ飛ばされたのだと考える方が自然だ。そして、異質な点がもうひとつ。
クレーン車には黒い粘液がべたついていた。この液体はおそらく……。
「マレフィタール……」
「あぁ……ウチのシャケテイ……」
リコの視線の先には、黒い粘液で汚された食べかけのプレートが転がっていた。ああなってしまっては、さすがにもう食べられないだろう。
あちこちでPDAが一際強く振動し、耳にするだけで身の竦むブザーをけたたましく鳴らす。私やリコの物も例外ではなかった。
『避難勧告。エリア内にマレフィキウムが出現。大至急、避難せよ』
PDAに映し出された報せを読み、警告音を黙らせるために電源ボタンを押し込む。
「やっぱり」と呟きながら、傍らで横倒しになっているクレーン車へ目を向ける。
何者かに放り投げられたかのような損壊状況、それに加えて、べたついているマレフィタール。こんな状況、マレフィキウムの出現しかありえない。
「ね、ちゃんナギ。逃げよ」
リコに袖を引っ張られる。
食事を摂っていた人々は、めいめいに逃げ出していた。
魔法少女でない人間は絶対にマレフィキウムに勝てない。それに、たったいま目の前で起きたような二次災害にだって巻き込まれうる。少しでも安全な所へ逃げようとするのは当然だ。
(生き延びたって良いことなんて何もないけど……死にたいわけじゃない)
差し伸べられたリコの手を取ろうとした。しかしそのとき――つい、視界に入ってしまったものがあった。
「ちょっと待って」
私はリコの手を振り払って、クレーンのそばへ駆け寄った。そこには、振ってきた瓦礫に足を挟みまれて動けなくなっている男の人が居た。
男の人は私に気づくとハッとした表情を浮かべた。しかし、すぐさま希望を抱いた自身を恥じるような面持ちとなったので、「大丈夫ですか」と声を掛ける。幸い、彼の足にのし掛かった瓦礫は、私でも全身を使えばギリギリ持ち上げられるような重量であった。
「ここから逃げます。体を貸してください」
差し出してくれた腕を肩に回して立ち上がる。半ば引きずるような形になってしまって心苦しく思ったけど、彼は痛みに堪えながら私に体を預けてくれた。
瓦礫の落ちているところから充分に遠ざけ、そこへ男性の体を仰向けにさせて「リコ、救急車を呼んで」とお願いする。しばし呆然としていた彼女はそこでピクリと体を震わせた。
「ちゃんナギは……?」
PDAへ緊急ダイヤルを打ち込みながら不安げに尋ねるリコへ「ごめんね、行ってくる」と赤いネクタイをキュッと締めながら答えた。
「マレフィキウムは多分近くにいる。逃げ遅れた人は他にもいるだろうから、助けないと」
「エグゼクターの装備じゃ、マレフィキウムには絶対勝てないよ」
専門エンジニアの言葉にはこれ以上無い説得力があった。
マレフィキウムの身体にダメージを与えられるのは、『マレフィキウムを倒したい』という強い願いの込められたマナによる攻撃だけ。それが可能なのは魔法少女に限られる。
たとえ、マナで生成された外骨格であっても、マナそのものを圧縮して撃ち出すバズーカであっても、マレフィキウムには傷を負わせることはできない。機械的な方法では、そこまでの意思を持った願いを込めることはできないのだ。
だから、リコが言っていることは正しい。現場の人間としても同意見だ。でも、このペンダントの元の持ち主ならきっと、自分の身を挺してでも人々を護ろうとするのだろう――その気持ちが湧き出してきた今、逃げることはできなかった。
「大丈夫、魔法少女がすぐに来るから、それまでだけ。大丈夫」
乳白色のガラス玉を指先で触りながら、できる限りの笑顔を見せる。
リコは唇の端をキュッと噛みしめていた。これはグズり出しそうだと予想した私は、「またあとでね」とだけ言い残して、背を向けて走った。
「こんなことで元気とりもどさなくてもいいじゃんか」なんていう声が、背中に刺さった。
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