第1章 #3
「ご苦労、法雨ナギカ」
外での仕事を終えた後でオフィスへ戻り、日報の作成やバイタルデータの提出作業といった事務作業をしていると、上司である御代ホクト局長が席にやってきた。
ツーブロックの金髪に、端整な顔立ちの男。齢二十七にして、この事務所の局長を務める。
常に隙の無い引き締まったクールフェイスは、面識のないうちは目が合う度に胃が縮むけど、慣れてしまえば眼福だ。狭くて薄暗い、おまけに冷暖房が控えめなこのオフィスに足を運ぶ理由が出来ているのは彼の功績である。
そんな私の頭の中を見透かされないように「お疲れ様です。局長」とすぐに返事をする。「今回もよくやってくれた」という労いの言葉。電話も悪くないけど、やはり肉声は良い。
「神鳴市が今日も役目を果たせているのは、法雨ナギカのおかげだ」
「いやいや、そんなそんな。誰にでもそんなこと言うんでしょう、もう」
「君にだけだ、法雨ナギカ。君には可能性を感じているのだよ」
険とした顔つきを崩さずに、このイケボはそんなことを言う。
とは言え実際のところ、この人は本当に本気でこんなことを言っているのかもしれない……なんて、モニタに映っているファイルをぼんやり眺めつつ、キーボードを叩きながら考える。
私は十七歳でこの部署へ配属され、エグゼクターとして動き始めてからまだ二年と少ししか経っていない若輩だ。それに、一通りの訓練は受けているとは言え、エグゼクターは力仕事ではあるので、女性というだけで男性の同僚から舐められることだって珍しくない。それにも関わらず、この局長は私の実績を不当に低くも高くも評価しないし、職務を全うする上で障害となる外圧やしがらみからは遠ざけてくれているように感じることだってある。目を掛けてくれているのは事実だとしか思えなかった。
「じゃあ私にだけ言ってるって信じますけど、どうしてそんなことを」
「実績と可能性だ」
「はぁ」
この通り、何に目を掛けてくれているのかは分からなかった。常に険とした顔つきだから、表情から真意を読むことも難しい。
「それよりもだ、今回の成果を渡してくれないだろうか」
「あ、そうでした」
ここに来るなりデスクの引き出しに放り込んでおいた『成果』を取り出す。
手のひらに乗る大きさの宝石状の物体、トランスジュエル。先ほど戦闘した叛魔法少女から取り上げた物だった。
彼女達の生成するマナを管理、制御するシステムはここに組み込まれているため、これがないと彼女達は魔法を扱えないどころか、魔法少女としての姿へ変化することもできない。
「納品情報は日報と共に送信済みです」
「たしかに。心得た」
トランスジュエルを受け取るなり、「では」と告げると局長は去っていった。
このスタジオ運営の監督を担う立場だ。他にも見張らなければならないところがあるのは想像に難くない。末端の
ふと、キーボードの傍らに置いていたPDAが振動していることに気づき、視線を向ける。
バックライトの点る画面に映し出されているのは、定時が近づきつつある現在時刻と、唯一の友人からの夕食のお誘いだった。
◇◇◇◇◇
職場から出ると、両耳にイヤホンを装着して、PDAにマリーピーチのライブ配信を再生しながら歩き始めた。魔法少女の応援こそが、この街で唯一許されている娯楽だからだ。
『みんな、こんマリー! 今日はいっぱい、いっぱいいっぱい、お話しようねー!』
十二歳の愛らしい声が鼓膜を揺らす。
今回は雑談配信ということで、彼女自身の服装も可愛らしい普段着であったりと、今日の配信はゆったりとした雰囲気だ。背景は如何にも年頃の少女の部屋、というより魔法少女のイメージを壊さないレイアウトになっていた。どこのスタジオを使っているんだろうと、つい邪推してしまう。
「この街そのものがスタジオみたいなものだけど」
振り返り、高くそびえる摩天楼の群れを遠見する。
これら一分の隙も無い意匠のビル群の中へ唐突にマレフィキウムが現れたとしても、ここにカメラを置くだけでさぞかし良い画が撮れることだろう。もっと自然が欲しければ、この街には海や森だって用意されている。どうしても欲しい画に足りない要素があれば、ホログラム映像で繕うことだって可能だ。
「まぁ。この背景も、もしかしたら全部ホログラムか合成映像化かも」
しかしながら、画面へ流星の如く投げ込まれ儚く消えていくコメントの数々は、そんな穿った見方をしている人間が少数派であるという事実を突きつけていた。
『【今日はメン限ある?】あるかもー。【今日何してた?】友達と遊んだよ! 【昨日の戦い、頑張ってたね】ふふ、ありがとう! 応援してもらえたから、めいっぱい頑張っちゃった!』
マリーピーチの笑顔からは、一番話したいことを訊いてくれた嬉しさが滲み出ていた。
『【マリー、すっごく強くなった】そう……かな。【あんなに早く倒せたのは予想外】【風呂に入ろうとしたら終わってた】……みんな、ありがとう。嬉しい。でもね……』
画面の中のマリーピーチは小さく息を吸い、改めて言葉を紡ぐ。
『私の尊敬してる魔法少女だったら、絶対もっと早く倒せてた』
画面が一瞬しんと静まりかえる。
その後に流れてきたコメントは、「尊敬してる魔法少女」が誰なのかと疑問符を浮かべているモノと、それが誰なのか知った上で納得しているモノの二つに大きく分かれた。私がその中に加わるとしたら――後者だ。
『私、カトレアホワイトみたいに強くなりたいの。あの人に少しでも近づきたくて――』
「よっすー」
いきなりヒョイと前髪に黒のメッシュカラーを入れた金髪の人面が割り込んできたものだから、「うわぁ!」とPDAを取り落としそうになった。空中で逃げようとする端末をやっとの思いで捕まえると、声を掛けてきた彼女は、白衣の裾をはためかせながらケラケラと笑い声をあげた。
「ウケる。草生えすぎて大草原だったから気づいてくれなかったのはチャラでおけ」
「ごめん、リコ」
彼女は
補給課所属のエンジニアであり、その中でも主に、外骨格をマナで生成し装着するシステム『アームドエンハンサー』、それを呼び出すためのベルト型デバイス、そして変形自在の武器『マルチプルウェポン』の調整や修理を担当している。エグゼクターが現場に急行する際に用いるバイクも彼女がメンテしている。
いずれもエグゼクターにとっては必須の装備品だから必然的に接する機会が生じて、そして互いに自分たちの職場では珍しい女子であり、更に歳も同じで、ウマが合わないこともなかったので、業務から離れた時間では行動を共にすることが増えた。最近は双方共に時間が合わず、会えずじまいだったけれど。
「とりあえず疲れてるし、中入って座んべ」
リコは自分の背後にある野暮ったい建物を親指で指し示した。
どうやら私は、食料提供用の棟に知らず知らずの内に着いていたらしい。
「マジで気づいてなかったんだ。誰の配信見てたん?」
「……マリーピーチ」
「へェ。推しチェンしてないんだ、エラすぎ」
感心しているのか小馬鹿にしているのか、それとも両方かもしれないコメントを返して、リコは棟の中へと入っていった。私も後に続く。
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