第1章 #1

 魔法少女の応援は、このかみなる市に許された数少ない娯楽だ。


 そんな言葉を思い浮かべ、マリーピーチの笑顔が映る板状の携帯情報端末PDAから目を離す。


「すごいなぁ。私より小さな子が、嫌な顔せずマレフィキウムと戦うんだから」


「はぁ」と息を吐いて空を見上げた。黒く厚い雲からは灰色の雨が降り続いている。暗色のスーツジャケットとスラックスは濡れて更に重たい色となっている。うなじのそばでまとめたシニヨンを撫でると、水気を含んでしっとりしていた。


 幸い、この辺りにはうち捨てられた建造物が多く並んでいるから雨宿りをする場所には困らないけど、暗い空に荒れた地上は、やはり目にするだけで気が滅入ってくる。動画で見たマリーピーチのいた場所とは別の世界のよう。本当に異世界であるならまだしも、ここから歩いていけるところにあんな場所があるという事実を考えるだけで滑稽で却って笑えてくる。


「まあ、撮影用に整えられているだろうし……そりゃそうかな」


 魔法少女達は住んでいる場所は、絵になるほど綺麗な場所だと相場が決まっている。


 ちょっと田舎くさい匂いがするけれど、燦々とした太陽の輝きを受け止める海が広がっていたり、人々の暮らしを感じられる学校や公園に商店街が営まれていたり、あるいは隙間無くガラス窓の敷き詰められた摩天楼がそびえ立っていたりと、夢と希望にあふれた素敵な世界。人々の応援を受けて悪者と戦う無垢な少女に、第三次世界大戦なんかに傷を抉られたまま野ざらしにされた瓦礫の森なんかは似合わないのだから。


「この街は、魔法少女の物語を造る場所。私達は、彼女達を支えるための踏み台」


 そんなことをぼやいていたとき、PDAが振動した。上司からの着信だった。


 どこかで私のことを見ていたんじゃないか、このふてくされた態度を咎めるためにわざわざ電話をしてきたんじゃないかと、少し肝を冷やして電話に出る。


『予測地点にターゲットが現れた。法雨みのりナギカ、準備をしろ。エグゼクターとしての義務を果たせ』


 お叱りの電話ではなかったかと胸をなで下ろした後、「了解。ただちに」と告げて通話を切った。仕事の時間がやってきた。首に提げた乳白色のガラス玉が提げられたペンダントを触り、赤いネクタイをキュッと締め直す。


 皺だらけのスーツジャケットの前裾を払い、腰に巻かれたベルトを晒す。ヘソから真っ直ぐ降りたあたりに取り付けられた仰々しいスキャン装置が目を引くこのベルトは、あまりの外連味から玩具のように見えるだろうけど、私たち『咎断者エグゼクター』にとっては大切な仕事道具であった。


 そんなベルトのスキャン部分へPDAをかざそうとして――


「おっと」


 足首の辺りに何かがすり寄ってきていた。野良猫だった。私の顔を見上げながら鈴を転がすような声で泣いている。人恋しいのだろうか。


「こんなところにいたら危ないよ。遠くへお行き」


 一旦抱きかかえて、瓦礫の転がっていない方向へ放してあげた。


 猫はこちらへ一度振り返ると、私の気持ちを察したのか、遠くへ走り去ってくれた。姿が見えなくなったのを確認すると、「ふぅ」と安堵の息が出た。


 それでは改めて。ベルトへPDAを近づけて――


「エグゼクター、変身」


『UNLOCKED』という文字が映し出されたPDAをベルトのスロット部分へ差し込む。すると、血管を巡る赤血球よろしくケーブル内を走る光がベルトに浮き上がり、私の身体に変化が起きた。


 脚部、腕部、胴体が次々と、硬く冷たい物体に覆われていく。胸部にはプレート状の物体が押しつけられ、間を置くことなく首、そして頭部も、冷たい感触に包まれていく。


 一瞬、全身が鉛になったかのような重苦しさに襲われるものの、身体がすぐに順応する造りになっているのか、ネガティブな感触はすぐに消えた。同時に、まるで生まれたときからこの姿であったかのように、四肢の関節から手足の指先に至るまで、全身を自由に動かせるようになる。腰部には、標準武装としてスタンロッドが備え付けられていた。


 足下に出来ていた水たまりを見下ろして。そこに映り込む今の自分の姿を覗き込む。


 法雨ナギカという女の姿はどこにもなく、代わりに銀色の外骨格――『アームドエンハンサー』を装着した人間、『エグゼクター』が立っていた。


 その背格好は、幼い頃に何度も視た、実写ドラマのヒーローに似ていた。


(そう、背格好だけは)








 かみなる市は、魔法少女の物語を創り出すための街だ。


 この街が出来た経緯を説明するには、五十年ほど前に勃発した第三次世界大戦について軽く触れる必要がある。勝者のいない戦争と呼ばれるこの戦争は、世界地図を大きく書き換え、あらゆる資源を食い荒らし、半数を優に超える人類を滅びに追いやった。


 ある日、急に正気を取り戻したかのように戦争が終わりを迎えると、残された人類は母なる星が凄惨な様態になっていることに気がついた。そこで人々は手を取り合い、惨たらしい戦争を二度と繰り返させないためにも、残った都市に役割を設けて運用していくことに決めたのだ。


 そうして、かつて日本という国家に属する東京と呼ばれていたこの地は、『かみなる市』と名を変え、魔法少女の物語を生産し続けるための場所という役割を与えられた上で、『ほうしょうじょそうぞうきょく』を置かれた上で再開発されることになった。


 だから、この街には『魔法少女』が存在する。『魔法少女の物語』を造る契約を神鳴市と結ぶ代わりに、願いに呼応する万能物質『マナ』を生成する身体と操る能力を、『ほうしょうじょそうぞうきょく』によって与えられた少女達。


 そして、この街で生きる人間の殆どは、『魔法少女の物語』を造り続け、維持する仕事に従事している。魔法少女を管理し、物語を造る業務全般を取り仕切っているのが、『ほうしょうじょそうぞうきょく』――通称、創造局だ。


 ちなみに、『魔法少女の物語を造る』仕事と一口に言っても様々な種類がある。


 まず、『魔法少女』本人。そして、彼女達が活動する舞台――いわゆる撮影スタジオを作り、維持する人達、彼女達の衣装をデザインしたり、撮影用のメイクを施したりする人達、時に戦い、時に日常を送る彼女達を撮影する人達、そのシナリオや先々の展開を考える人達――等々と、まだまだ語りきれないぐらいには多くの人々が『魔法少女の物語』に関わっている。


 そういった中で私は、ほうしょうじょそうぞうきょくたいはんほうしょうじょちんあつに所属し、『咎断者エグゼクター』という役割に就いていた。


(エグゼクターの役割は……契約違反を犯した魔法少女、『はんほうしょうじょ』を排除すること)


 この街における『魔法少女』とは、かみなる市と契約を結んだ少女のことを指す。


 契約によって彼女達に生じる義務とはかみなる市への貢献。魔法少女に求められる貢献の最たるものは、街に現れる大型の怪物『マレフィキウム』の討伐。それに加えて、戦闘中の模様を始め、自身のプライベートな時間も含めて、『魔法少女の物語』を動画配信という形で不特定多数へ晒し、娯楽として提供することも要求される。


 こうして自身の自由を街へ明け渡す代わりに、彼女達はかみなる市での不自由ない生活を約束され、『魔法』を行使する力――願いに反応して奇跡を起こす万能物質である『マナ』を生成し、自在に操ることのできる身体を与えられる。しかし、中には契約に背く魔法少女も存在する。彼女達は『はんほうしょうじょ』として蔑まれ、かみなる市にとって排除されるべき存在へと堕ちる。


 そのように暴徒と化した魔法少女を止めるのは簡単なことではない。だから、彼女達と戦い、抑え込むための専門的な役割が必要となる。それが私達『エグゼクター』であり、その業務を確実に遂行するために与えられたのが身体強化システム『アームドエンハンサー』――通称AEと呼ばれる装備であった。


(AEの調子は……問題なし)


 AEは、スキャン装置の取り付けられたベルトと、そこに貯蔵されたマナが中核を成すシステムだ。私達のような魔法少女でない人間は、マナを生成したり直接扱うことはできないけど、このように専用のデバイスがあればある程度の利用は可能だ。


 ベルトの使用者の脳には変身後の姿や能力が定義された変身モジュールが既に書き込まれており、ベルトは脳に書き込まれた変身モジュールを起動させる。そして、モジュール内の定義を基にベルト自身に含まれるマナで外骨格を生成して、使用者へ装着させる。そのような流れを経ることで、エグゼクターへの変身を可能にする。


 ベルトは変身後も腰に装着されるのが一般的であるものの、変身の維持に関する調整は脳内に書き込まれた変身モジュールが担っているおかげで、変身後にベルトを破壊されても変身が解けることはない。ただし、変身モジュールは脳に書き込まれている都合上、生命活動と連動しているため、例えば外骨格の上から生身に直接大怪我を負った場合は変身が解除されることもある。


(今回のターゲットは、スタジオでの撮影中にスタッフを殺して逃亡したと聞いてる。見つけ次第、すぐに――)


 そう思考していたときだった。


 スーツの顔面部分の内側に備わっているヘッドマウントディスプレイ《HMD》に、『ENCOUNT!』という警告が映し出された。


 敵の急接近――そう判断して、その場から飛び退く。


 数瞬まで私が立っていた場所に突如少女が飛び掛かってきた。足下にあった瓦礫が抉り取られては巻き上げられ、砕かれては宙を舞う。


「チッ」という舌打ちが聞こえる。その方向へ顔を向けた。


 そこには少女がいた。


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