叛魔法少女 徒花エイリ

蒼季夏火

プロローグ

 魔法少女が、人々に希望を振りまきながら青空を駆ける。


 フリル付きの可愛らしい桃色のスウィートロリータに包まれた十二歳の少女が、ハートと天使の羽を象った装飾が取り付けられたステッキを携えて、妖精よろしく宙を飛んでいた。爪先から舞う鱗粉のような光が花火よろしく彼女の軌跡を空に描く。衣装と同じ色合いのツインテールをちょこんと跳ねさせながら。


 そうして描かれた模様たるや、旧時代の人類が目にしたらアクロバティックな曲芸飛行を決めた航空機を想起するほど立体的にうねった見事なものであった。しかし、そこへ黒く滑った触手が何本も伸ばされて、光の軌跡がかき消されていく。触手の狙いはプリンセスドレスの少女であったが、優雅に、けれども高速に飛翔する彼女の姿を捕らえることはできずにいた。


「ふふん。マレフィキウムに捕まるマリーピーチじゃないよっ!」


 少女は愛くるしい声を張り上げて地上を見下ろした。その視線の先には、街中に突如出現した真っ黒色の巨大生命体――『マレフィキウム』の姿があった。


 ひっくり返された壺よろしく丸く膨れた頭部を支えるように無数の触手が蠢くその様は、さながら蛸のようであった。


 墨溜りを捏ねて作られたかのようなその蛸は、種々の摩天楼が群生するコンクリートジャングルを突き崩しながら、ぬめる墨の隙間から開かれた眼で、桃色の少女を見上げている。


 そんな少女の傍らには、お似合いのマスコットキャラクター――ではなく、動画撮影用の機材を搭載したカメラドローンと、四角い窓のようなホログラムが追従していた。その中では、喜怒哀楽さまざまな感情から発せられた文字の羅列が、窓の下から上を所狭しと駆けずり回っていた。少女は横目で窓の中を見遣った。


【あんなのマリーピーチの敵じゃない】

【ピーチちゃん、大丈夫?】

【あのタコキモすぎで草】

【触手とねんごろなシーンはメン限ですか】


「今回はメン限なんてないよぉ。ぱぱっとやっつけちゃうんだから!」


 少女はそう告げると同時に、放たれた触手の攻撃をひょいと躱す。またも触手は光の航跡を射貫いただけに終わった。


 空中で側転しながら、少女は子供の玩具のようなステッキの上端を地上へ向ける。すると、彼女の周囲にピンク色に発光する光球が出現した。少女がステッキを軽く振って指揮を執ると、それぞれの光球は彼女を付け狙う触手や地上を這う蛸を目がけて飛び出していき、標的に触れると爆発を起こした。空に鮮やかな光の筋が伸びていく様や、派手な爆音を轟かせる様は、空中庭園で繰り広げられるサーカスの様相を呈しており、ホログラムの窓では歓喜の言葉がめまぐるしく上下している。


 そして光の球を目一杯受けて憔悴したのだろうか、墨溜りの蛸の様子に変化が現れた。壺のように膨らんでいた頭部がやや萎み、身体を支えていた触手の何本かは形を失い、ただの黒い液体と化して地上を濡らした。それがチャンスだと言わんばかりに、滞空する少女は自身のステッキのハート飾りを蛸の怪物へと向けた。


「みんな! 必殺魔法でトドメを刺すよ! 私に力を! 『マナ』を貸して!」


 その台詞を合図に、ホログラムの窓が色めき立つ。


 より眼で追えなくなった速度で流れていくメッセージには、『M500』『M3000』『M10000』などと、今度は数字が付加されていた。数字が大きいほどメッセージと送信者の名前が目立つ色で強調されており、しまいにホログラムの窓の中は真っ赤な文字で埋め尽くされることとなった。


 際限なく飛び交う数字と連動して、ステッキのハートが光り輝き、熱を帯びる。そして、鮮やかな光を放つ光球が次第に形成され始めた。先ほどの小さな光球とは異なり、今にも破裂しそうな光や熱が圧縮されているそれは、もはや小型の太陽と変わらない。


 ハートの先端に現れた光の球は、ホログラムの中を走り回るメッセージや数字と共に徐々に膨れ上がっていき、やがて少女の身体を容易に覆ってしまえるサイズにまで成長した。それまで片手でステッキを持っていた少女は、両手で握ってしっかりと構える。玩具に触れる手つきではなく、大型の銃火器を扱う所作と同じであった。


「みんな、ありがとう! いっくよぉ!」


 ステッキを握る少女の手がぎゅっと固くなる。


「エンジェリック・イレイザー!!」


 そうして、必殺と謳われた『魔法』が放たれた。


 風穴の空けられた風船のごとく、桃色の小太陽として凝縮されたエネルギーが決壊し、熱と光の奔流となって放たれた。反動を受けて少女の華奢な身体はやや後ろへ後ろへ吹き飛び、周囲は眩い光で白色に塗りつぶされる。


 そして暴力的な熱と光は、地上で蠢く墨溜りの蛸へと降り注いだ。


 真っ黒な身体が膨大な光に晒され、その巨躯を飲み込む爆発が巻き起こる。辺りは灰色の煙へと包まれた。そして煙がかき消えると、そこに在ったはずの墨溜まりの物体は霧散していた。代わりに漂っていたのは、さながら春に舞う雪のように、日の光を受けて煌々と輝く粒子の塊が残っていた。


「あっ。マナシード、出てきた!」


 そうして遺された粒子の塊――『マナシード』を拾い上げると、少女は「ふぅ」と可愛らしい一息を吐く。


「今日もみんなのおかげで勝てたよ! ありがとう!」


 ホログラムの窓の中では、彼女の活躍を讃え労う言葉や数字の羅列が再び端から端へと行き交っている。それらを眺めながら、彼女は「えへへ」とあどけない笑みをホログラムへ向けた。


「これからも、マリーピーチの応援、よろしくね!」

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