第34話 妹のためなら何でも
開けられた扉から、光が差し込む。
それは久しぶりに見た光で、俺は眩しさに一瞬目を閉じてしまった。
悪魔に犯されている中、懸命にその瞳を開け、部屋の中に入って来ようとしている人の姿を確認する。
「あらあら、式乃ちゃん? 学校はどうしたのかなぁ? まだ授業は残ってるはずだけれど?」
俺の上で跨っている織原が、俺よりも先に式乃を認知する。
想定外であるはずなのに、奴は動揺せずクスクスと笑みを浮かべて扉の方を見つめていた。
それに対して式乃は、
「……………」
遠慮のない足音を立て、織原の方へと近付く。
何が起こっているのか、上手く状況を見渡せない俺の耳に、フォン、という風切り音が聴こえてきた。
瞬間的に織原は俺から飛び退く。
見えた式乃は、片手に何か棒のようなものを持っていた。
「うふふふっ。暴力はダメじゃないかなぁ? 式乃ちゃん? こういう時は冷静に」
と、言いかける織原だが、そんなものを聞かずに式乃は凄まじい足音共彼女へ迫っていく。
俺は潰されかけていた喉と、唾液に塗れた顔と、数日間の監禁による衰弱、そして縛り付けられた体のせいで、上手く式乃たちのやり取りを確認できない。
視覚に映る部分的なやり取りを目にするしかないが、その壮絶さは音となって耳に届いていた。
狭い部屋の中で織原を追い回し、問答無用に棒を振るう式乃。
叩かれる壁。家具。諸々の置かれている物。
それらはガツガツと音を立て、破損し、床に散らばる。
やがて足音は止まり、代わりに人の肉を叩きつけるような鈍い音へと変わった。
叫び声と悲鳴も耳に届いてくる。
怒り狂っている式乃は止まらなかった。
マズい。
良くない。
式乃が。
式乃が人殺しになってしまう。
捕まってしまう。
一緒にいられなくなってしまう。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「……し……きの……! ……めろ……! や……めろぉ……!」
声が出ない。
必死に身をよじり、二人の方を見やると、織原はなす術なく体を丸めており、式乃からの暴行に耐えるだけとなっている。
死ぬ。
死んでしまう。
織原が死に、式乃が犯罪者になってしまう。
なりふり構っていられない。
体に力が入らないのも何もかも押し除け、俺は芋虫みたいに床を這って式乃たちの方へと近付いた。
そして、
「や……めろ! しき……の!!!」
俺は、気付けば式乃の前に立ち塞がり、織原への攻撃を止めるよう叫んでいた。
声はガスガスで上手く出ないが、それでもただ懸命に訴える。
扉の方から差す光が、式乃の顔を照らし出してる。
飛び散った血液が付着し、瞳は完全に人殺しの色をしていた。光が無い。
「何……? お兄ちゃん……? 何でこのゴミを庇ってるの? 私今、必死に殺そうとしてるところなんだけど?」
本気だった。
躊躇いがない。
見たことの無い妹の瞳にゾッとしながらも、懸命に声を上げた。
「そ……んなことしたら……捕まる……! ここに……住んでられなくなる……!」
「うん……そうだね……住んでられなくなるね……」
「そ……れは……どう考えてもマズい……だろ……!? ここで暮らせなく……なったら……俺はお前と……!」
俺が必死に喋っていたところ、後ろから弱々しい笑い声が聞こえてきた。
織原だ。
織原恵美が笑ってる。
「ふ……ふふふっ……。守理君……やっぱり私のこと好きなんだぁ……♡ こんなに私を庇ってくれるなんてぇ……♡」
「……!? ち……ちがっ……!」
刹那、目の前にいる俺を押し除け、式乃が棒で織原を思い切り殴り付ける。
顔だった。
ゴキ、と明らかにマズい音がする。
俺は気付けば涙を流していた。
涙ながらに、もがくように式乃へ縋り付く。
そして懇願した。
頼むから止めてくれ。
これ以上やれば、本当に一緒にいられなくなってしまう。
そんなの、誰も望まない。
愛情が故に身を滅ぼすなんて、それはもはや本末転倒だ。
俺たちの求めているモノじゃない。
だから……俺は……。
「……大丈夫だよ……お兄ちゃん……?」
「……?」
優しい式乃の声。
それはさっきまでのものとは一転していて、俺の頬を優しく撫でるような、安堵を運んでくれるものだった。
ボロボロになった状態で、俺は首を傾げる。
式乃はにこりと笑んだ。
「式乃が人殺しになっても、お兄ちゃんはきっとどこまでもついてきてくれる。私、信じてる」
「…………へ?」
「覚えてるかな? 小さい時、式乃はちゃんとお片付けとかできなくて、いつもお兄ちゃんに仕上げしてもらってたの」
「……し……しき……の……?」
「歯磨きとかにしてもそう。私、磨きが甘くて、仕上げはいつだってお兄ちゃんにしてもらってた。覚えてるよね? ほとんど毎日だったから」
「お……ぼえてる……けど……それがどうし」
「仕上げ、してくれる?」
「…………?」
「私は今からこの女を意識が無くなる寸前まで殴るの。それで、あと一回殴ったら終わりってところを、最後にお兄ちゃんがする」
「…………ぇ…………?」
「そしたら、ちゃんと共犯。式乃だけが捕まるわけじゃないし、お兄ちゃんとずっとずっと一緒にいられる♡」
「…………あ…………ぁ…………」
「ほら、まだこのゴミ全然意識あるからね?」
言って、全力で織原を殴る式乃。
血が飛んで、俺の顔にかかった。
織原は壊れたように笑ってる。
俺の名前を呼んで、絶対に離さないとばかりに開かれた虚な瞳をこちらに向けながら。
「ね? お兄ちゃん? わかった? 式乃のお願い、聞いてくれる?」
そのお願いの仕方は、小さい時とまるで同じ。
小首を傾げ、片方の手を胸の前に据える仕草。
幻聴かもしれなかった。
頭の中で、声が聴こえる。
『式乃のためなら何でもするよ』
いや、幻聴ではない。
これは、俺が幼い時から式乃に言い続けていたものだ。
それがどんどん大きくなって、声の数も増えていって。
楽しそうに笑う妹がいる。
「あはははははははははははははっ!」
……だったらそれは……。
「楽しいね、お兄ちゃん!」
別にいいんじゃないか……?
「……そうだな……たのしい……」
勝手に笑みがこぼれ出る。
何度も。
何度も。
血液が俺の方に飛んでくる。
でも、それでよかった。
式乃が楽しいなら。
式乃を幸せにできるなら。
俺はそれで。
「はい、お兄ちゃんっ……! そろそろラスト……! 自由に動けるようにしてあげるから、最後ね……!」
「はははっ……ありがとう……しきの……」
自由に動けるようになった体。
それを動かし、俺は。
式乃から渡してもらった棒を握り、硬い何かを思い切り叩いてやった。
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