第32話 幻の中の悪魔
ここに閉じ込められて、いったいどれくらいの時間が経ったんだろう。
明確な時の流れなんてまるでわからない。
暗い部屋の中で、朝昼晩を持ってこられる食事で感じるだけ。
ただ、最近はそれも曖昧になってきた。
これが朝、これが晩。
その判断に困る。
それに伴って、過ぎて行く日数もわからなくなった。
少なくとも三日は経ってる。
部屋から出ず、学校にも行かず、手足を拘束されたまま芋虫のように横たわり、式乃に管理されている。
最初のうちは抵抗しようと考えていた。
食事の際に口元のテープを剥がされるのだが、そのタイミングで父さんと母さんの助けを呼び、解放してもらう。
式乃には悪い。
悪いけど、こうして俺を部屋の中に閉じ込めるのだけは違う。
説得しようにも、錯乱状態になって話を聞き入れてもらえなかった。
その結果の強硬手段だ。
食事の時を今か今かと待った。
そして、遂に来たチャンスで、俺は――
「……お兄ちゃん……お願い……ずっと……ずっと式乃の傍にいて……? お願い……」
……動くことができなかった。
耳に付けられているイヤホンを外され、式乃の縋るような生の声が耳に伝わる。
体にも絡みつくように抱き着かれた。
嫌悪感は無い。
そんなの抱いている暇が無かった。
式乃は涙ながらに俺へ訴えかけてくる。
それまでにされていた狂気的な行為も、気付けば俺は水に流してしまっていた。
大好きな妹がせっかくこんなにも俺を求めてきてくれているのに、どうしてそれから逃れようとしていたのか。
後悔のような疑問が浮かぶ。
違った。
そうじゃない。
俺は心に決めていたはずだ。
どんなことがあっても式乃しか愛さない。
どんなことをされようと式乃しか愛さない。
式乃を悲しませることだけはしない。
何度も何度も何度も間違えては考え、間違えては考え、それでようやく決意していた。
だったら、今さらこんな監禁が何だというのか。
式乃が求めるなら俺はこの部屋にいることも受け入れ、式乃のしたがることを一緒にしてあげる。
体のどこを触られようと、多少の痛みだって、不快感だって何でも構わない。
すべては愛する
今は式乃のどんな声を聴いても心地いい。
あんなに嫌だった連続音声も素直に受け入れられる。
俺のことを、たくさんたくさん『好き』と言ってくれてるんだ。
それなら、こっちとしても応えたい。
何をしても、どうなろうとも。ずっと。
「……ふ……ふふ……好きだ……式乃……」
『ほんと……? どれくらい好き……?』
「へへ……それは……き、決まってる……宇宙……規模」
『嬉しい……式乃も……お兄ちゃんのそれくらい好きだよ……』
「そ、そうか……? へへへぇ……俺は幸せ者だなぁ……」
『じゃあさ……お兄ちゃん……?』
「んん……? どうしたぁ……式乃ぉ……?」
『お兄ちゃんは……式乃のお願い……何でも聞いてくれる……?』
「……おぉ……いいよいいよぉ……何でも聞いてあげるぞぉ……」
『ほんと……? ほんとにほんとかな……?』
「そりゃ……もちろん……式乃の喜んでるところ見るのが……俺の幸せ……だからぁ……」
『うふふっ……嬉しい……嬉しいよぉ……お兄ちゃん』
「はははぁ……お兄ちゃんに……任せなさい……」
『じゃあ……お願いしたいことなんだけど……』
「うん……うん……なんだぁ……?」
『式乃……お兄ちゃんの赤ちゃんが欲しい……』
「……え……?」
『きっと……きっとね……すごく可愛いと思うんだぁ……お兄ちゃんと……私の赤ちゃん……』
「赤ちゃん……かぁ……」
『一人目は女の子で……二人目が男の子……三人目は……あんまり想像できないけど……お兄ちゃんが望むなら……私はいいよ……?』
「難しいこと……考えなくてもいいのかもなぁ……」
『うん……難しいことは何も考えないで……? お兄ちゃんは気持ちよくなることだけ……考えてくれればいいの……可愛い……可愛い……赤ちゃんのことだけ……』
「式乃も……可愛いよぉ……?」
『嬉しい……式乃も……幸せ者だよ……』
「うん……うん……じゃあ……作ろうか……」
『ほんと……? いいの……?』
「いいよぉ……いいよぉ……式乃が望むなら……俺は……」
『嬉しい……嬉しいよ……お兄ちゃん……』
「へ……へへ……へへへぇ……そっか……そっか……」
『じゃあ……いっぱい……いっぱい気持ちよく……なろ……?』
「うん……俺は……式乃だけいれば……もう……」
『好き……お兄ちゃ――』
「――こんにちは。お兄ちゃん?」
いきなり目の前の映像が真っ暗になった感覚。
聴こえていた式乃の声が無くなり、やけに新鮮な声が耳に届く。
瞬間的に頭痛がした。
鈍器のようなもので頭を殴られたような、そんな感覚。
今までに見ていたものすべてが夢だとまで思え、俺はひどい喪失感に気が狂いそうだった。
「……れだ……」
「うふふっ……相当式乃ちゃんに洗われてる感じね。頭の中」
「誰だァ! お前は誰だァ! 式乃は!? 式乃はァ!?」
「可哀想なお兄ちゃん。こんなになるまで、ねぇ?」
「答えろ! 答えろよ! 式乃をどこにやった!? 式乃!? 式乃ォ!?」
「式乃ちゃんは学校。だって今、お昼だもの」
「――えっ!?」
「私は、お兄ちゃんをまともにするためにここへ来たの」
「……!?」
「もっともこのこと、式乃ちゃんは何一つ知らないけどね? ふふふっ」
「…………誰だ…………誰なんだ…………お前…………?」
「私? 声だけでもわからない?」
「わからないから聞いてる! 式乃しか俺には聴こえない! 何も! 何も!」
「そう……。じゃあ、また一から刻み込んであげる」
塞がれていた視界が開ける。
そこはまるで見てはいけない新世界みたいで――
「久しぶり。守理君。私。織原恵美だよ?」
目の前には、悪魔みたいに嗤う女が立っていた。
【作者コメ】
終わり近し、ですかね。気付けばとんでもないことになりそうです。
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