第21話 病的な愛は感染する
式乃の元彼氏――杉崎良太から連絡があった翌日の放課後。
俺と式乃は、指定したファミレスへ二人で向かった。
一応学校付近にも会話ができそうな店は何件かあるが、そこだとさすがに話が筒抜け過ぎる。
ただでさえ今の俺たちは目立っていて、二人でいれば尾行までされるのに、何の対策も無しじゃ噂好きな連中の格好の餌食だ。
そこだけはある程度考えておきながら行動する。
件のファミレスに着くと、式乃のスマホに杉崎からメッセージが入った。
『先に店内に入ってる。禁煙席の右奥辺り』
ということらしい。
元、とはいえ、恋人だった女の子を呼び出しておいて自分は先に入店してるのか、と少し気になったが、そこはもうどうでもいい。
俺は式乃の手を引き、店の中へ入った。
「いらっしゃいませー! 何名様でしょうかー?」
すぐに店員さんが爽やかな声で迎えてくれる。
俺は人を待たせていることを伝え、自分で杉崎の座っている卓を探す。
禁煙席の右奥辺り。
歩いて行くと、そこには言っていた通り杉崎君がいて――
「……やっぱりな」
その隣に織原さんが座っていた。
二人で卓にいるってのに、杉崎と織原さんは横に並んでいる。それは明らかに不自然な絵面だった。
「……お、お兄ちゃん……」
「……大丈夫、式乃。これは想定済みだから」
警戒する式乃の手を改めて握り直し、俺たちは二人のいる卓へ歩を進める。
近くに来たところで、織原さんはわかっていたかのように俺たちへ視線を向けてきた。
「あらあら。お兄ちゃんも同伴なのね。心配でついてきちゃった感じ?」
「よく言うね。それはこっちのセリフだよ。杉崎君が式乃に送ってきたメッセージには、織原さんが来るなんて一言も書かれてなかった。そっちこそ彼のことが心配だったんじゃないの?」
「ふふふっ。それはそうだね。良太君のことが心配だった。ひどい元恋人に何をされるかわかったものじゃないから。あと、私は来ない、なんてことも書いてないよ? メッセージ、よく見てね? お兄ちゃん?」
嫌な言い方をする。
体の芯にねっとり触れてくるような視線を向けながら、織原さんは俺へそう言ってきた。
まあいい。
けん制のし合いもいったんはここで終わり。
俺は式乃と一緒に空いている方の席へ並んで座る。
割と大きめなボックス席で、ちょうどいい感じに俺たちは他の人たちから見えないようになっていた。
個室……とまではいかないが、会話をするには充分な場所だ。悪くない。
「それで、杉崎君。式乃に言いたいことって何かな? 君と式乃はもうとっくの昔に別れてるはずなんだけど」
「ねえ、守理君。そういう言い方はやめてあげて? あなたが急かさなくても、良太君は自分でちゃんと式乃ちゃんへ言いたいことを言うつもりだったんだから」
「その割には、さっきから下ばかり向いてるけど? とても呼び出した側とは思えない」
「いいから。……ね? 良太君? 君はちゃんと自分の口で言いたいことを言うためにここへ来たんだよね……?」
織原さんが、隣にいる杉崎の方へさらに体を寄せ、どこか艶のある言い方でそっと耳打ちする。
杉崎はそんな織原さんの接近を受け、体をビクつかせ、微かに顔を赤くさせて返事をしていた。「はい」と。
「……あ、あの……式乃……?」
「……呼び捨てやめてよ。付き合ってる時もそんな呼び方してなかったのに」
「……いいだろ。別に。たまに呼んでたし」
「呼んでない。第一、呼ばなくていいって言ったのは杉崎君だったじゃん」
「でも、別に呼んでいいとも言ってた」
「それは呼び方なんて何でもいいって言っただけ」
「ほら。何でもいいんじゃないか。だったら呼び捨てでも何も問題ない。式乃」
「っ~……!」
元彼氏と言い合っていた式乃は、唐突に俺の腕を抱いてくる。
そして――
「そういうの、本当にやめて。今は私、お兄ちゃんと付き合ってるんだから」
「っ……!」
「終わったことで色々言われても困る。付き合う時、別にそこまで好きになってくれなくてもいいから付き合おうって言ったのはあなただし」
「そ、それは……」
「私は元々お兄ちゃんのことが好きだったの! 大好きで大好きで大好きで、でも、義理とはいえ兄妹だから……その想いはすぐに伝えられなかった。けど、それでもいいって、全部認めてくれたのは杉崎君だったでしょ!? もう今さら何!? こうして呼び出して……! 私はどうでもいいけど、お兄ちゃんに、私の彼氏に迷惑が掛かるじゃん! やめてよ! もう、本当にやめて!」
言いたいことを勢いのままに言い切り、肩で呼吸する式乃。
言葉の刃は杉崎に向けられているもののように見えて、織原さんを刺しているようにも思える。
彼女は冷たい視線で式乃を見つめていた。
「ふぅ~ん。それがあなたの言いたいことだったってわけねぇ~?」
「……!」
テーブルに肘を突きながら、織原さんは式乃に語り掛ける。
「式乃ちゃんと良太君が付き合う時にどういう口約束を交わしたのか、詳しいところまではちゃんと私知らないんだけどね~? でもさでもさ~、良太君はあなたのこと、本当に好きだったんだよ~? ね~、良太君~?」
ゆっくりと圧を掛けるような嫌な口調で杉崎君に問いかける織原さん。
彼はぎこちないけれど、それが事実であるようにしっかりと頷き、視線を下にやっている。
そして、「ほら」と言わんばかりに式乃の方を見やった。
「ね? あなたは大して好きじゃなくて、ただ体裁のために良太君を利用してたみたいだけど、この子はしっかり式乃ちゃんのこと好きだったのよ?」
「っ……! だから――」
「ストップ。よーく最後まで話は聞いて? 式乃ちゃん? いいの? あなた、クズ女で」
「は、はい……!?」
「人から好かれるって、すごく尊くてありがたーいことなの。それを式乃ちゃんは自分のためだけに利用するクズ女。そのままでいいのかって聞いてるの」
「う、うるさい! うるさいうるさい! だって私は――」
「癇癪は起こさないでくれる? 叫べばいいってものじゃないからね? 『はい』か『いいえ』で答えて。あなたはクズ女のままでいいんですか? はい? いいえ? どっち?」
「だ、黙って! あんたには関係ない! これは私と杉崎君のことで――」
「関係あるよ? だって、良太君は今私の彼氏だもの。彼氏が辛い時、助けてあげるのが彼女でしょ? 私は今、良太君の彼女として、元彼女のクズ女さんに詰め寄ってるの。ねえ、どうなのか答えて? つまらないことばかり言って逃げなくていいから。ねぇ?」
「っ……!」
「うふふっ。それに~、答えないと、私あなたがいないところでお兄ちゃんにキスしちゃうかも? だって、私もマモ君のこと好きだし~?」
「………………は………………?」
式乃が声のトーンをさらに一変させ、低く唸るように疑問符を口にする。
俺も思わず口に出してしまった。「は?」と。
「あはははっ! うふふふふっ! やぁ~、もぉ~、怖い~! 式乃ちゃん、そんな怖い顔で私のこと見つめないで~! 私ぃ、式乃ちゃんに殺されちゃうかも~! ふふふふっ!」
「……それがお望みなら……全然そうしてあげる……」
「え~? 本気なんだ~? ふふっ。やってみれば?」
織原さんが微笑み交じりに言った瞬間、式乃はフォークを持って立ち上がった。
そしてテーブルから身を乗り出し、織原さんへ向かってそれを突き立てようとする。
俺は全力で式乃を止めた。
完全に頭に血が上っている。
織原さんの隣にいた杉崎君は悲鳴を上げ、怯えるように式乃のことを見つめていた。
式乃の視界に彼は今映っていない。
あるのは、俺を狙おうとする織原さんの姿だけ。
俺が止めなかったら、今ここは血みどろの現場になっていたかもしれない。
どうにかこうにか式乃を抑え込み、俺は落ち着くよう言い聞かせる。
式乃は、過呼吸を起こしたかのように荒く呼吸し、瞳孔を小さくさせて俺を見つめる。
その綺麗でありながら血走っている瞳からは、徐々に涙が溢れる。
「……お兄ちゃん……! おにいちゃぁん……だめぇ……! 式乃から離れないでぇ……!」
「離れない。離れないよ。大丈夫。大丈夫だから」
「あんな女のとこ……行っちゃだめ……キスも何も……触れることだってだめ……」
「行かないし、そんなことしないよ。安心して、式乃?」
「お兄ちゃんは……私のだもん……絶対……絶対絶対絶対に離さないんだもん……」
「うん。俺も式乃以外の女の子のところには行かない。式乃を他の男のところにもやらないよ。絶対、絶対絶対絶対にね」
杉崎君は、俺たちを見て引いていたような気がする。
式乃に影響されたのかもしれない。
俺もおかしい発言をしているのかも。
でも、それでよかった。
式乃がどこまで病んでいようと、クズでも、全部ひっくるめて俺は義妹のことが好きだ。
だから、織原さんが何を言おうと、俺はブレない。
彼女が近付いてきても、俺はそれを冷静にあしらう。
どんなことをされても。
「お兄ちゃん……ん……」
「……?」
織原さんの方を見つめた後、式乃は俺の方に視線をまた戻し、顔を近付けてきた。
妖しい光の灯った、不健康な色をしている瞳。
でも、それは驚くくらいに真っ直ぐで、俺のことだけを見つめてくれている。
そんな瞳で、訴えるように、お願いするような上目遣いで式乃は言った。
「ここで……キスしよ?」
「……え?」
「昨日、朝学校でやったもん……。誰に見られても関係ないよ。私たちの間には誰も割って入れないの……ダレモ」
式乃のセリフを聞き、織原さんが大きな声で笑う。
そして、恐怖すら覚える表情変化で一気に冷たい色を顔に灯した。
「ねえ、あなたバカなのかな? ここは公衆の面前で、あなたの前にはあなたのことを未だに好いている元彼氏君がいるの。人の気持ち、考えられない? ねぇ、クズ女?」
言われ、式乃は完全に堕ちきった瞳を爛々と光らせ、薄ら笑いのまま頷いた。
「考えられない。だって、
青ざめさせていた顔を、さらに曇らせる杉崎。
式乃は俺に視線を戻した。
目で語り掛けてくる。
お願いだからキスをしよう、と。
答えは決まっていた。
そもそも、俺はこれを見せるためにわざわざここへ来たんだ。
「――っ!」
何も言わず、俺は瞬間的に式乃の唇に自分の唇を重ねる。
遠慮なんてしない。
二人きりの部屋でヤった時より、さらに激しくする。
絡み合う舌と舌。
垂れる唾液。
横目で見た杉崎君は、その場で嘔吐していた。
バカな奴だと思う。
俺の大切な義妹へうかつに手を出し、勝手に想いを舞い上がらせ、アクセサリーのように自分のモノにしようとしていた。
そんなことさせない。
徹底的に、心の底からお前のモノじゃないことをわからせてやる。
そして、わからせないといけない奴がもう一人。
織原恵美。
彼女の方もキスしながら横目で見つめた。
どんなに式乃を陥れようが、俺は変わらず式乃を想い続ける。
激しく、病的なほど、狂っているくらい。
式乃が病んでいて、とんでもないことをしようと。
それこそ、彼女のことを殺してしまったとしても。
俺は式乃のことを想い続けるから。
想い続けて、想い続けて、想い続けて……――
想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて想い続けて。
二人で堕ちて行けばいいと思っているから。
だから――
「……へ……ひゃぅ……お……にぃ……ひゃん……♡」
「はぁ……はぁ……ふふっ。可愛いね、式乃は」
たぶん、君の入りうる隙間なんてないよ?
織原さん?
冷や汗をかいていた彼女を見るのは初めてだったかもしれない。
いい気味だった。
俺はクスッと笑い、ぐったりとした式乃の頭を撫でてあげるのだった。
【作者コメ】こういう小説って書いていいんだろうか……。どこまで堕ちていいのか、病ませていいのか、ラインがわからなくなってきている。そんなせせら木です。
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