第18話 不純な早退

 昼休みが終わって、4限目の授業が始まる。


 科目は数学だ。


 メガネを掛けた男の担当教師……及川先生が、黒板の前でいつも通り気だるげに数式を唱えている。


 クラスメイト達は真剣な様子でそれを自分のノートに書き込んでいるが、俺は真逆だった。


 集中できず、ボーっとしながら他のことを考えている。


 式乃と織原さん。そして、まだ一度もちゃんと話したことのない杉崎君。


 三人のことがグルグルと頭の中を巡り、俺は答えの導き出せない沼にハマっていた。


 一筋縄にいくはずがない。


 そもそも、なんであそこまで織原さんは式乃を攻撃しようとしてくるのか。


 彼女は彼女で、杉崎君のことが元々好きだった、とか……?


 わからない。


 何もかも推測の域を出ない。


 こんなの、もう直接本人に聞いてしまうしかない問題なのだが、それが容易にできれば苦労はしないわけで……。


 俺はいったいどうすればいいのか。


 式乃の義兄として。


 恋人として。




「はい。じゃあ、ここの問題を……宇波、口頭で簡単に答えてみてくれ」




「……」


「……? おい、宇波? いないのか? いるだろ?」


「……」


「おーい、宇波ー!」


「――!」


 及川先生の大きめの声でハッとする。


 俺は自分が名指しされているのことに気付いた。


 気付いたけど……どういったことで当てられたのかまるでわからない。


 全然話を聞いていなかった。


「あ、あの……えっと……」


「……今、先生が解いてみろって言ったところの答えを教えてくれ。簡単に口頭で構わないから」


「……っ」


 誤魔化すように苦笑いを浮かべるしかなかった。


 及川先生は深々とため息をつき、


「もういい。ちょっと外行って顔でも洗ってこい。頭冷やせ」


「……はい」


 俺は見事に怒られ、教室を後にするしかなかった。


 周りからはクスクス笑われ、「妹とイチャつく元気はあるのにな」とかコソコソ言われる始末。


 やれやれだ。


 自分のやったこととはいえ、ここにきてまでイジられるのはきついものがある。


 まあ、そんなこと言っても、そのイジりがしばらく収まることはないだろうから受け入れるしかない。


 心の中でため息をつき、俺は教室を出た。







 教室を出て、俺は渡り廊下を渡った先にある水飲み場を目指した。


 教室の近くにも水道があるにはあるが、それはトイレの中に、だ。


 さすがにトイレの水道水で顔を洗ったりなどはしたくない。


 いったん落ち着きたいし、ちゃんと綺麗な場所で一息つきたかった。


 そういうわけで、水飲み場まで歩く。


 が、ちょうど曲がり角を曲がったところで、俺は思いがけず、さっきまでずっと一緒にいた女の子と遭遇した。


「式乃……!」


 そう。式乃だ。


 授業時間だというのに、こんな場所で一人たたずんでいる。


 廊下の窓から死んだような表情で外を眺めていた。


 俺を見つけるや否や、生気のない顔が泣きそうなものになる。


 何も言わず、すぐに俺に抱き着いてきた。


 妹の体を受け止め、疑問をぶつける。


「し、式乃……? どうしたんだよ? 1年生も今、4限目の授業中だよな? 何でこんなところにいるんだ?」


「……そんなの、お兄ちゃんもだよ。どうしてこんなところにいるの? 4限目の最中だよね?」


「俺は……その、授業ちゃんと聞いてなかったから怒られて……」


「頭冷やしてきなさいって?」


「ま、まあ、そんなところ。式乃は?」


「……私は……体調悪いって言って、保健室に行こうとしてた」


「え」


「色々ありすぎて」


 その『色々』というのが何かは言うまでもない。


 ついさっきあったことだ。


 織原さんの顔が浮かぶ。


「……ねえ、お兄ちゃん?」


「……どうした?」


「お兄ちゃんは……ずっと私の……式乃の味方でいてくれる……?」


 至近距離で式乃は俺の顔を見つめながら問うてきた。


 囁くような声。


 甘えるような上目遣い。


 でも、それは俺を篭絡しようとする邪なものじゃなくて。


 ただ、俺にお願いしてくる、小さい時の式乃そのものだった。


 一瞬ドキッとするものの、拒んだりはしない。


 俺は義妹を見つめ返し、小さく咳払いしてから頷いた。


「俺は式乃の味方だよ。あんまり悪いことをした時は注意するけど、それでも嫌いになるなんてことは絶対にない。俺の大切な義妹いもうとで……恋人だから」


 俺の言葉を受け、式乃は少し目を見開き、やがて頬を朱に染めて視線を逸らす。


 そして、恥ずかしくなったのか、また俺の胸に顔を埋めた。


 自分から問うてきたのに。


「……でもさ、さっきも教室を出る時、皆からコソコソ言われたよ。学校で妹とイチャつく元気はあるのに、授業は集中できないんだな、って」


「……じゃあ、もっとすごいことしてるとこ、見せてあげよ? キス以上のこと」


「い、いやいや……式乃さん、さすがにそれは……」


「私はいい。皆の前で、お兄ちゃんに……色々されても」


「い、色々って……」


「体を触られても……舌を絡めたキスをされても…………本当にそれ以上のこと……されても……」


「そ、そんなことしないからね? 公衆の面前では絶対に」


「じゃあ、皆の前以外では?」


「へ?」


「皆の前以外。式乃のお部屋。二人きりになれた時は……そういうこと……してくれるの?」


「ふぇ……!?」


「めちゃくちゃに……してくれるんだよね? あの女にわからせるために」


「し、式乃さ――」


「お兄ちゃん……お兄ちゃんお兄ちゃん……」


 近い。


 身を寄せ合っていて、ただでさえ近かった距離が、さらに近くなる。


 ほのかに赤くなっている式乃の綺麗な顔。


 心の底から俺を求め、切なく下がった眉が俺の拒否しなければならない気持ちを無くす。


「式乃……もうお兄ちゃんの傍から離れたくない……ずっと……ずっと傍にいて……?」


「……式乃……」


「お兄ちゃんの温かさ……ずっと感じてたい……他のこと……一切考えなくてもいいように……」


「っ……」


「お兄ちゃんも……そう思ってくれてる?」


「え……」


「式乃だけでいい? いいよね? いいって思って欲しい。式乃も、もっともっとお兄ちゃんに想われるようがんばるから……」


 ――だから……。


「今から……おうち帰ろ? そしたら、お父さんもお母さんもいない。邪魔する人は誰もいない。あの女も、誰も」


 返事なんてできない。


 心音が凄いのは、きっと式乃にバレてる。


 俺はただ、赤くなっているであろう顔で式乃を見つめて。


 求めてくる妹のことを完全に受け入れていた。


「……早退……するか……?」


「……うん」


 織原さんは、式乃のことを最低な女だと言った。


 じゃあ、そんな最低な妹を受け入れる俺もきっと最低な男だ。


 けど、それでいい。


 俺は、兄として、いや、恋人として。


 式乃の良いところも、悪いところも、全部を肯定する。


 そういうの、ひっくるめて式乃のことが好きだから。


 もう何でもいい。


 これは……完全に超える。


 一線を越える。


 俺たちはとりあえず自分の教室に戻り、4限だけを受け、その後体調が悪くなった旨を先生に伝えてから学校を早退した。


 校門付近で式乃と合流し、一足早く二人で自宅へ帰る。


 帰っている道中、俺たちが周りからどう見られていたかは言うまでもないだろう。


 繋いでいる手には汗をかき、これから起こるであろう事に緊張する。


 ドラッグストアに寄り、避妊具を買った。


 何もかも初めてで、それは式乃も同じらしくて。


 俺は、震える手で自宅の玄関扉を開けるのだった。









【作者コメ】

次、19(イク)話ですか。

うん。くだらないことは置いといてね。

お願いします運営様。何でもするから本当にBANだけはやめて。お願いします本当にマジで。いや、切に。ほんと。

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