第17話 性悪で最低な女
朝、俺は校門付近で式乃の頬にキスをした。
周りにはたくさん人がいたし、俺も半分見せつける気持ちでやったわけだ。
するとまあ、もちろん噂は学校中を駆け巡る。
あの美人で恋人とひと悶着あったばかりの宇波式乃が、朝から兄に公衆の面前でキスをされた。しかも、反応としてはまんざらでもなく、むしろどこか嬉しそうで、恋人みたいな雰囲気を醸し出している。
二人はまさか……。
なんて風な感じで、校内は盛り上がりに盛り上がっている。
今、俺たちは一躍時の人となっているのだ。
そんなわけだから、穏やかに、そして冷静に会話をしようとすれば、慎重に場所を選ばなければならない。
結果として、昼休み時は普段あまり生徒の立ち入らない文化部棟の隅っこにある空き教室まで来て、コソコソと拓夢を含めた三人で会話していた俺たちなのだが、
「え……? お、織原……さん……!?」
こうなってしまった。
うろたえている拓夢の声が沈黙の中で妙に響く。
俺と式乃は目を丸くさせ、出入り口を見つめていた。言葉を失う。
「こんにちは、三人とも。随分と人気のない場所が好きなのね」
いきなり割って入って来たのにもかかわらず、織原さんは自分のペースを崩さない。
いつも通り微笑交じりの表情で、俺たちの方へ視線をやりながら言ってきた。
俺はそれに対し、あくまでも堂々として応える。
「……別に好きってわけじゃない。ここじゃなきゃ今は静かに会話ができないだけで」
「守理君」
「――!」「えぇ!? し、下の名前……呼び?」
唐突のことで、式乃は目を見開き、拓夢は声を裏返らせながら驚く。
俺は冷静を装った風に織原さんのことをジッと見つめていたが、内心かなり動揺していた。
何でこの人、急に俺のことを下の名前で呼んできたんだ。
困惑がじわじわと胸の内に広がっていく。
それが広がりきる前に、織原さんの下の名前呼びをかき消すみたいにして、俺は話を進めた。
「……意味わかんない。なんで織原さんが俺のことを下の名前で呼ぶんだ? 別に俺たち、親しくはないはずだけど?」
「あははっ。親しくないことはないと思うよ? ひどいなぁ。同じ美化委員で、共同作業たくさんしてきた仲なのに」
「は、はぁ? してきた仲って、俺たちまだほとんど――」
「それか、これからたくさん共同作業しなきゃいけない仲、かな? うふふっ。一緒に二人で仕事していこうね? 二人で」
意味ありげに言う織原さんに耐えられなくなったのか、式乃が椅子から立ち上がった。
それはすごい勢いで、顔も怒りに満ちてる。
式乃のあんな顔は初めて見た。
完全に敵を見る目。
織原さんを睨み付け、何かをブツブツと呟いていた。
「……そんなことさせないそんなことなさせないそんなことさせないそんなことさせないそんなことさせないそんなことさせないそんなことさせない……」
鋭い視線は織原さんに向けたまま、座っている俺の頭を強い力で抱く式乃。
胸の感触を喜んでいる場合じゃない。そんな余裕は無くて、俺は怒れる式乃が心配で仕方なかった。
織原さんに暴力を加えるんじゃないか、と。
「ふふふっ。やだ。怖い、宇波さん。助けて、守理君」
「うるさい! 気安くお兄ちゃんの名前呼ばないで! 呼ぶな! 呼ぶな呼ぶな呼ぶなぁぁぁぁ!」
半狂乱だ。
肩で呼吸をして、俺の頭をさらに強い力で抱き締める。
逃がさない。
いや、渡さないとばかりに式乃は叫ぶ。
「ちょ、ちょっと式乃さん? 腹が立つのはわかるけど、少し落ち着いて――」
「だいたい、何であなたはお兄ちゃんをつけ狙うの!? 私から杉崎君を奪って、それでもまだ満足しないの!? 最低最低最低最低最低! 性悪女! 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!」
なだめようとする拓夢を無視し、式乃は大きい声で捲し立てる。
それでも織原さんは表情一つ崩さず、余裕そうな顔で式乃を見つめ返していた。
クスクス笑ってる。
「宇波さん。その言葉、全部あなたに返していいかな?」
「は……!?」
「あなたも最低だし、性悪。杉崎君の気持ちを踏みにじりながら、自分のことを悲劇のヒロインだと思い込んでる」
「っ……!?」
「自分でもわかってるよね? 守理君を手に入れるために、杉崎君のことを利用していたんだもの。ね? 最低最悪の病みメンヘラヒロインさん?」
柔らかい口調ながら、その冷たさと鋭利さは人の心を簡単にえぐってしまう。
織原さんの声音は、そんな破壊力を持っていた。
胸を刺されたような気分になる俺。
もしかしたら、今のセリフで式乃は結構なダメージを負ったのかもしれない。
すぐに言い返せず、一瞬怯んだ後、どうにか首を横に振る。
「う、うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさい! そんなの、告白してきたのは向こうで、そもそも杉崎君は私に――」
「『重い恋はしないでいよう』。確かに彼はこう言ったらしいね。でも、その時の彼の気持ち、あなたは察しきれてる?」
「彼の……気持ち……?」
式乃は確かに冷や汗をかいていた。
その先の言葉をさえぎりたいのか、うるさい、と何度も叫ぶ。
でも、織原さんはそれを聞き入れてはくれない。
「彼、本当はあなたのことがすごく好きだったの。でも、あなたがお兄ちゃんを一番好いているの、知っていたから」
「やめて! やめてやめてやめてやめて!」
俺の頭から手を離し、耳を塞ぐ式乃。
俺は初めて聞いた。
式乃と杉崎君の恋の内を。
もっと詳しく聞きたい。そう思ってしまっていたのだ。
「健気よね、杉崎君。可哀想だから、私はあなたから彼を解放してあげたの。このままだと自分の身を滅ぼすだけだ、ってね」
「いや……いやぁ……!」
「丸川君、だったっけ? さっきあなたが宇波さんに聞いていた質問の答えはこれなの。お兄さんを好いていながら、杉崎君を私に取られて悲しんでいた理由」
「……へ?」
拓夢がゆっくりと首を傾げる。
織原さんは続けた。
「悲しむフリをしていただけなの。本当は全然悲しくもないのに。だから、今は想いを交わし合えて、守理君にべったり」
「っ……!」
「……ほんと……ぶっ壊してあげたくなる……」
今、織原さんは何て言ったんだろう。
小さい声でボソッと一言呟いただけだったので、俺の耳には届かないままで終わる。
恐ろしい顔だった。
微笑を消し、一瞬だけ冷徹な顔を伺わせる彼女に俺は震える。
けれど、それは本当に一瞬だ。
また表情をすぐに柔らかいものへ戻し、織原さんは俺に語り掛けてきた。
「守理君」と。
「あなたが宇波さんを守るためにどんなことを考えたのかは大体想像がつくけれど、これだけは忠告しておくね」
「……?」
「あんまり学校内で変にイチャつかない方がいいよ? 宇波さんを失った時黒歴史になるし、私にはノーダメージだから」
「っ……!」
「何があろうと、私はあなたと共同作業しに行くね。次回の委員会活動、遅れないように。LIMEでまた知らせるから」
「ら、LIME……?」
織原さんとはアカウントを交換していない。
式乃に詰め寄られる。
いつの間に交換したの、と。
俺は首を横に振った。交換なんてしていない。
「ふふふっ。それじゃあね。私、頑張ってあなたのこともオトすから。守理君」
――どんな手を使ってでも。
ボソッと言い残し、織原さんはこの場所を後にした。
残された俺たちは、しばらく呆然とする。
泣きながら俺に抱き着いてくる式乃を、俺はただ力なく抱き締め返すだけで、瞳の焦点はまるで合っていなかった。
【作者コメ】
ドロリッチな展開。
しかし、次話を書いた時、せせら木は生きていられるのでしょうか。BAN食らってるかもしれません(ニッコリ)
病みまくった式乃ちゃんが暴走のままに……
お楽しみに!(ヤケクソ)
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