第7話 ね?

「こんにちは、二人とも。二年の織原恵美おりはらめぐみです」


 俺と式乃がコンクリートに腰を下ろしている眼前。


 栗色で艶のある髪の毛をシュシュでまとめた美少女が、柔らかい笑みを浮かべながら頭をぺこりと下げて自己紹介してくれる。


 二年の織原恵美。


 名前を言ってくれるまでもなく知っていた。


 彼女はそもそも俺と同学年だし、二年生界隈じゃ知らない人がいないほど女神扱いされてる。


 完全な高嶺の花だ。


 そして、俺の妹――式乃から彼氏を奪い取った人。


 だから、わざわざ名前を言ってくれる必要もない。


 俺も式乃も、少なからず彼女のことを頭の中で浮かべてはいた。


 まさかこんな状況で出くわすとは思ってもいなかったけど。


 ……しかも、その彼氏君同伴で。


「え……えーっと……あ、はは……。う、うん。よろしく。よろしく、とは言っても……俺は同じ二年だし、織原さんのこと知ってるけどね……」


 苦笑いを浮かべてどうにか対応する俺。


 しかし横からの密着感がさらに強くなった。


 チラッと見たけど、式乃が俺の腕を強く抱き締め、ジッと目の前にいる二人を睨んでる。


 冷や汗はさらに出た。


 出たが……なんかこういうの、小さい時を思い出す。


 野良犬とかが襲い掛かってきた時、式乃はよく涙目になりながら俺の腕に抱き着いてきてたっけ。


 まあ、今相手にしてる二人は、正直野良犬よりも質が悪い人たちなんだけどな……。


「うん。知ってるよ。知ってるけど、こうして会話するのは初めてだと思うもの。今後仲良くなれるかもしれないし、挨拶をするついでに、ね?」


 控えめに頷き、俺へ艶のあるような視線を送ってくる織原さん。


 彼女の傍にいた彼氏――杉崎君は少し戸惑いながらも、バツが悪そうにまた別の方を向く。


 彼はずっとこの場から去りたがってる。


 それもそうだ。


 捨てた女の子である式乃と遭遇してしまったのだから。


 気まずくて仕方ないはず。俺だって彼の立場ならああいう態度を取ってた気がする。


 気持ちはわからなくもない。


「……あの、そういうのやめてください」


 そうやって杉崎君に少しばかりの同情をしていたタイミングで、だ。


 式乃が低い声で威嚇するように声を出した。


 見れば、思い切り織原さんのことを睨んでる。


 ハイライトの消失した瞳で。


「私のお兄ちゃんは、私にとって本当に大切な人なんです。あなたの隣にいる人とは違う。気安く話し掛けないで」


 取り繕うとか、そういうのは一切ない。


 傍にあった存在を横取りされたせいか、躊躇なく織原さんへ敵意を覗かせている。


 ただ、それに対して織原さんは余裕ありげに笑顔のまま首を傾げた。


「うふふっ。本当に大切な人、かぁ。でも、ちょっとそれはひどい言い方かも? お付き合いしていた良太君が目の前にいるんだから」


 ね?


 と、念押しするように笑顔のまま言う織原さん。


 それがもう、俺からしても煽りにしか聞こえない。


 式乃は静かに歯ぎしりしていた。


 俺の腕を抱く力がさっきよりも強くなる。


「それに、そもそも良太君が私の方へ来ちゃったのは、あなたが重たいせいだよね? 付き合って愛情深くなるのはとーっても素敵なことだけど、限度があるもの。良太君、私にたくさんお話してくれたよ? あなたと一緒にいるのが苦しかったって」


「……そうなんですか。だから何ですか?」


「可哀想~って思ったの。付き合ったとはいえ、色々自由にしたいこともあるだろうし、何でもかんでも式乃ちゃんにばかり合わせていられないのにな~って」


「っ……」


 式乃だけじゃなかった。


 言い方が気に入らない。


 俺も段々と苛立ちが募ってくる。この人は式乃に喧嘩でも売っているのか。


「別に私、自由を奪うほど束縛した記憶なんてありません。一定の距離感は保っていたはずだし、スキンシップだって手を繋ぐくらいだけだった。それの何が重たいの、ってこっちが言いたいくらいです!」


「ふふふっ。ダメだよ、式乃ちゃん。そういう言い方したら。感じ方は人それぞれだし、あなたが気付かないうちに束縛してた可能性も全然あるんだから。ね、良太君?」


 話を振られ、逃げ出したくてたまらない様子の杉崎君はぎこちなく頷く。


 ただ、さっきに比べてソワソワしているような気もする。やけに式乃の方を見て、警戒しているというか。


「っ~……。そういうことなら、もう私たちに話し掛けてこないでください。何を言っても無駄ですし、絡む理由が無いし」


「話し掛けるなっていうのは無理だよ。特にお兄さん。守理君の方は」


「は……?」


 式乃の目がかっ開かれる。


 怒りが滲み、静かなその声には確かな感情の昂りが伺えた。


「美化委員で同じなの。定期的に会うし、連絡事項のやり取りとかもしなきゃだから。ごめんなさい」


 ね?


 と、また俺に問いかけてくる。


 これはたぶんこの人の癖なんだろう。


 俺は軽く首を横に振って答えようとする。


「いや、そうは言ったって織原さん今まで一度も――」






「ね? そうだよね? 話さなきゃだよね?」






 背筋が凍り掛けた。


 式乃のモノとは少し違う類の光が無い瞳。


 ただ、そこには冗談めいた恐怖とかじゃなく、本当に怖い何かが感じられて。


 俺は固まった後に苦しく下を向くしかなかった。


 妹のために頷くことだけはせず。


「……そういうことだから。ごめんね、式乃ちゃん。話し掛けないのは無理だよ。あなたにもこれから私は話し掛ける」


 ずっと、ね。


 そう言って、織原さんと杉崎君は手を振り、俺たちの前から去って行った。


 取り残された俺と式乃は少しばかり呆然とし、やがて縋りついてくる妹の頭を撫でてから、昼休み終了五分前の鐘の音を聴くのだった。

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