第5話 絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対

 式乃とのイチャつきを隠し通し、どうにか俺はホームルーム前に教室の自分の席へ着くことができた。


「ふぅ……」


 息を吐き、机に顔を伏せる。


 二年の界隈でも徐々に式乃の話が出回り始めていた。


 廊下から俺の妹の噂が聞こえてくる。


 ここに兄がいるってのに、よくもまあ色々言えるもんだ。まったく。


「……お兄ちゃん。起きて? おはようのチューがまだだよ?」


 廊下からの噂話にうんざりしていたところだ。


 耳元で気色悪い男の囁きボイスが聞こえてくる。


 俺はすぐに顔を上げた。


 そこにいるのが誰かを理解しつつ。


「おい拓夢。お前、今すぐ八つ裂きの刑にされたいか磔の刑にされたいか、どっちか選べ」


「やだっ! 私、お兄ちゃんと一生一緒の刑にされたい!」


「クネクネしながら言うなよ気持ち悪い……。あと、俺と一緒にいることを刑として捉えないでくれ。普通に式乃にそうやって言われたら傷つくし」


 ため息。


 朝っぱらからさっそく俺に絡んできたのは親友の拓夢だ。


 式乃のフリをしてからかってきた。いつも通りである。


「で、昨日帰ってからどうだった? 愛すべき妹さんのご様子は?」


「式乃の様子……」


「おうよ。一年の界隈のみかと思ってたら、二年の方にも噂が流れ始めてる。事の大きさは結構なもんだ」


「……」


「それともアレか? 兄として嫌われてるからそんなの知る訳がないってオチ? 一切話してくれない、みたいな」


「それはなかった。話聞いたよ」


 あ。


 言った後、反射的に口を手で塞いでしまう。


 ついムキになった。


 拓夢はニヤッと笑む。


「そうかそうか。話聞いたか。……じゃあ、その会話の内容というやつ、俺に聞かせてくれ! ちょー気になる!」


「っ……」


「二人とも冷戦状態だったのにな! すげーじゃん守理!」


 唐突に前のめりになって言ってくる拓夢。


 考えようによっちゃ寂しい言われようだ。妹と話しただけでここまで褒められるなんて。


「別に冷戦ってとこまでは行ってねーよ。俺は元より嫌ってなんかいないし、式乃は式乃でその……」


「……? 式乃ちゃんは式乃ちゃんで何だよ?」


「あ、いや、その、何でもないんだけどな? あいつはあいつで苦労してた、というか……」


「苦労? 式乃ちゃん、何に苦労してたんだよ? 一緒に暮らしてる兄からのいやらしい視線?」


「ちげーよ。何でそうなるんだよ。俺を変態みたいに仕立て上げるのはやめろ」


「だって妹って言ったって義理だし? 血のつながりは無いわけだし? 色々と反応しちゃうのも無理はないかな、と。俺なりの分析」


 頭脳派キャラみたいに頭に指を置き、ドヤ顔で見やってくる拓夢。


 言ってることは全然賢くないのだが。


「とにかく違うよ。そういうしょーもない話じゃない。俺たち兄妹にも色々あんの。同じ人間なんだしな」


「ちぇー、何だよ。そこんとこについては詳しく話してくんないつもり?」


「話してくんないつもり。まあ、事が色々落ち着いたら話してもいい。今はダメだ。周りも周りだし」


「誰にも言いふらさねーよー。いいじゃん親友ー。俺には話せよー」


「ダメだ。お前に話して誰かが聞いてたりしたらそこからまた噂になるし」


 わざとらしく頬を膨らませ、拓夢は拗ねていた。


 どんな反応をされようと、さすがにこれだけは話せない。


 彼氏を寝取られた式乃とさっそく俺が付き合い始めた、なんて。






⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎






 それから時間は少しばかり経ち、昼休み。


 俺は校舎裏にある微妙な空きスペースを利用し、そこで一人、ぼっち飯をかましていた。


 いつもなら拓夢がいるものなのだが、あいつは今日小テストの追試があるらしく、一緒に昼飯を食べられなかった。


 よって、他に特段仲のいい友達がいない俺は、こうしてぼっちにならざるを得ない。


 寂しくてむなしいが、今に始まったことじゃないので、仕方なく卵焼きやらウインナーを口に運ぶ。


 日の当たり具合はちょうどいい。


 そういう面では快適なのが救いか。


 モグつきながら、何気なしに空を見上げる。


 が、見上げた瞬間だ。


「……!?」


 気配など何も感じていなかったのに、何者かが俺の視界を手で塞いできた。


 ほのかに暖かい手の感触は、何となくどこかで感じたことのあるもので。


「……誰でしょう?」


 その落ち着いた女の子の声は、俺がいつも自分の家で聞いているものだった。


「し、式乃さん……?」


「うん。正解。さすがはお兄ちゃん。一発だね」


 まあ、そりゃそうだ。


 何なら、体温でなんとなくわかった。


 絶対にそんなことは口走れないが。


「ちなみに、私はお兄ちゃんが誰でしょう、って目隠ししてきたら、手の体温でわかっちゃいます」


「そ、そうなんだ……」


「というより、お兄ちゃんに近付かれた時点でお兄ちゃんが接近してるってわかる。匂いで」


「へ、へぇ……」


 ごめん。そこまでの能力は無かった。負けました。


 心の中で白旗を振っていると、式乃は俺の目元から手を離してくれる。


 そして、背後からひょこっと俺の前へ来てくれた。


 表情には、どこか酔ってるような艶のある微笑みを浮かべてる。


 以前までには無かった式乃の顔だ。


 気持ちをさらけ出してくれたことで何かが変わったのかも知れない。


「えーっと……それで式乃さん? 本日はどういったご用件で? 学校で二人きりなのはさすがに今マズいかなーと思うのですが……」


「どうして? 私、お兄ちゃんと一緒にお弁当食べたくて来たのに」


 言いながら、俺の真横に腰を下ろす式乃。


 ただ、真横は真横でも距離が近過ぎる。


 密着してて、完全にゼロ距離だ。簡単に腕が動かせない。


「ほ、ほら、お前数日学校来てなかったから知らなかっただろうけど、案外噂されてるじゃん? 彼氏を寝取られた、って」


「そうだね。ちょっとびっくり」


 そう言いながら俺の肩に頭を預けてスリスリしてくる。


 全然びっくりしてる感がないんだけど、まあ言ってることに嘘偽りは無いんだろう。スルーしておく。


「だ、だからな、式乃? 皆の目もあることだし、学校でこうやって密着するのはやめた方がいいと思うんだ。噂もさらに過激化する可能性があるし……」


「ねえ、お兄ちゃん?」


「……何?」


「好き。しぃのこと、ギューってして?」


「式乃さん、今の俺の話聞いてた?」


 しかも、ここに来て昔の呼び名で呼んで欲しいだなんて。


「いいや。お兄ちゃんがしてくれないなら、私からするもん。……ぎゅー」


「っ……! ちょ、し、式乃……! だからここじゃ……!」


「だめ。離さない。もう、絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対……ぜぇ〜ったいに離さない……」


「し、式乃……」


「お兄ちゃん。私、自分の気持ちにちゃんと素直になるね」


「……え?」


「じゃないと、奪われるから」


「っ……」


 抱き締めてくれる手に力が入った。


 式乃は静かに続けた。


「次は本当に大切なものが」

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