第4話 私たち、恋人同士なんだよ?
『私ね……? 大きくなったらお兄ちゃんと結婚する……。大好きだから……』
幼い日のこと。
式乃にそう言われて、確かその時は「俺も!」なんて風に返事したのを覚えてる。
当時は何も考えていなかった。
ただ、いつも後ろをついてくる出来立ての義妹が可愛くて仕方なくて。
小学生の俺はその感情に任せて返してしまっただけに過ぎない。錯覚していた。
淡い夢は、時間が経つのと共に変わっていく仕草や佇まい、見た目と考え方に翻弄され、霧散してしまった。
俺にとっての式乃は、いつの間にかフィアンセからただの家族、それもちょっと触れづらい身内に変わってしまっていたのだ。
だからこそ、今のこの変化は慣れない。
式乃がまさかあんなことを言ってくるなんて。
とてもじゃないが、現実とは思えなかった。
夢の中にでもいるんじゃないか、とばかり考えてしまう――
「――ちょっとちょっとちょっと!? 守理!? あんた味噌汁思い切りこぼしてるわよ!?」
「……え……?」
飛んできた母さんの声によって俺は我に返る。
が、ハッとした瞬間に感じる股間部分の気持ち悪さ。
見れば、手に持っていた椀から味噌汁をこぼしていた。それが太もものところへこぼれまくっている。
「うわっ! や、やばい!」
急いで椀をテーブルに置くも、足元は悲惨な状況。
向かい合ってる席で新聞を読んでいた父さん、キッチンからこっちへ来た母さんは呆れるような目で俺のことを見ている。
ため息ものだ。
自分は朝から何をしているのか、と。せっかく制服に着替えてたのに。
「おいおい、しっかりしろよ守理? 大丈夫か?」
「いや、大丈夫じゃないな……幸い火傷はしてないけど」
父さんに返しつつ、俺はもう仕方ないので立ち上がる。
すぐに傍へ母さんがやって来てくれる。
ズボンは風呂場に置いとけ、とのこと。あとで手洗いしないといけないから。
「まったく。朝からぼーっとして。気を付けなさいよ?」
「あ、ああ。ちょっと考え事してて……」
「考え事? あんたが?」
「ま、まあ……」
「何だ守理? エロいことか?」
「違うわ!」
「やるなぁ、朝から」
「だから違うっての!」
クックッと笑いながらコーヒーを啜る父さんへ反論しつつ、俺はため息。
そして、自然と視線が俺の真横に座っていた式乃の方へ向かう。
チラチラと俺の方を見ながら、ちょっと心配そうにしてる。
両手で食パンを持ち、ちびちび噛んで食べていた。
目が合って、俺は速攻で視線を別の方へやる。
それから、そっとまた式乃を見ると、今度は彼女の方が視線を俺から切り、慌ててパクパク食パンにかじりついてる。
なんかもう、すごく照れくさかった。
俺がこんなにぼーっとしてる原因は、間違いなく式乃にあったから。
「っ……。わ、悪かったよ母さん。ちょっと脱いだズボン浴室に持って行ってくる」
「うん。隅っこの方に置いといて」
「りょーかい」
リビングを出て、息を吸い、吐く。
冷静になるよう自分に言い聞かせるけど、そんなことが簡単にできるなら苦労なんてしなかった。
今さっき式乃に告白され、俺はそれを流れのままに了承してしまったのだ。
慰めると言った結果がまさかのこれとは。
自分でこれからどうするべきなのか、よくわからない。
わからないままに心臓はドキドキと早く動き続ける。
そろそろ学校にも行かなきゃいけないのに。こんなところで突っ立ってる場合じゃないのに。
「……っ」
自分の頬を手で軽く触り、俺は言った通り浴室の方へ向かう。
で、浴室に着いて隅っこの方に制服のズボンを置いた。また履き替えないと。
そんな折だ。
かがんでいる俺の背後から声がした。
「……お兄ちゃん」
「――っ!」
慌てて見やれば、そこに立っていたのは制服姿の式乃。
白と紺が入り混じったセーラー服を完璧に着こなす姿はいつも通り。
でも、なぜかいつも以上にそんな妹のことが可愛く見えてしまう。
少し頬を朱に染めていて、瞳の感じが優しいからだろうか。
気付けばまた俺はぼーっとしていた。
式乃に見惚れてしまっている。
「お兄ちゃん、大丈夫……? 味噌汁、すごくこぼしてたけど……」
「……! あ、あぁ! だ、大丈夫大丈夫! ちょっとぼーっとしてて……あ、あはは! 我ながら何してるんだろうなーって感じだ!」
ちょっと挙動不審になってるのが自分でもわかる。
ただ、それでも堂々となんてできるはずがなくて。
俺は慌てて手を横に振っていた。
「……熱くなかった? 本当に火傷してないよね?」
「し、してないしてない! 俺、結構風呂の湯とかも熱い方が好き――って、ちょ!? な、何してるの式乃!?」
「何って、お兄ちゃんの火傷チェック。味噌汁、私が食べた時熱かったから」
「え、えぇぇぇっ!?」
突如としてしゃがみ込み、パンツ一丁だった俺の股間部分に顔を近付ける式乃さん。
火傷チェックって言ってるけど、傍から見れば、それはもう大人向けのビデオみたいなことをしてるようにしか見えない。
すごくマズい状況だ。
「ちょ、ちょ、ちょ! 式乃、こういうのはよくないよ! 父さんと母さんが見たら何て言うか!」
「大丈夫。二人が来ても本当のこと言うだけだから」
「ぴゅ、ピュアすぎるよ式乃! 世の中本当のこと言ったって信じてくれない人もいるんだ! たとえばこの状況! 俺が第三者として見る側にいたら、絶対言えないようなことしてるって想像するよ! 朝っぱらからナニしてるんだって想像するよ!」
「想像したいならさせておけばいいよ。私……お兄ちゃんのことが心配なんだもん」
「い、いや、でもな、し、式――のほぉぉん!? あっ、だっ、どっ、どこ触ってんの!?」
「どこって……患部だよ……。私の見てた限り、お兄ちゃんが味噌汁をこぼしてたのは主にこの辺り……。大丈夫かなぁ? 大丈夫かなぁ? ……はぁはぁ」
「はぁはぁ、じゃないよ! 息荒らげないで! というか、本当に離れて! こういうのは付き合ってる男女がやることで、俺たちは――」
――と。
言いかけて自分の口元を抑える。
俺の真下でしゃがんでいる式乃が上目遣いで見上げてきていて、にこぉ、とゆっくり笑みを浮かべる。
俺は慌てて式乃から視線を切り、別の方を見やった。
でも、それを逃すまいとばかりに妹は立ち上がり、俺の頬に優しく手を添えてきた。
「お兄ちゃん……? 私と……式乃とお兄ちゃんは……どういう関係になっちゃったんだっけ?」
「っ……! ど、どういうって……それは……」
答えは決まっているし、わかっている。
でも、リビングには父さんと母さんがいるし、もしもそこで聞いていたらと思うと、その答えが言い出せない。
俺が視線を右、左へやり、答えあぐねていると、だ。
「んっ……」
「――!?」
自分の口がいきなり塞がれる。
塞がれ、柔らかくて気持ちのいい感触と、式乃の顔が近付いた。
キスだ。
とろけるように甘いキス。
頬とかそんな甘い場所じゃない、唇と唇が重なった本当のもの。
俺は目をまっ開き、固まる。
対して式乃は、名残惜しそうに俺の唇から自分の唇を離した。
赤くなった頬と潤んだ瞳。そして、艶のある唇。ちらりと見せた舌。
至近距離で見つめ合い、俺は気を失いそうになる。
けど、そうはさせまいと式乃がまた顔を近付けてきて、静かにこう言ってきた。
「……お兄ちゃんはね……私と恋人になったの……。愛し合った男の子と……女の子なんだよ……?」
「あっ……あっ……」
「だから……あんなことや……こんなことをしても……全然おかしくないの……。だって……好き同士だから……」
「っ……」
「好き……大好き……おにいちゃん……おにいちゃん……もう……絶対に離さない……」
――自分の気持ちにも嘘なんてつかない。
続けられた式乃の言葉。
ドキドキして失神しそうな俺の中で、彼女のそのセリフが響く。
それは俺にも言えることだと思った。
大事にしないといけないこと。
胸に秘めておかないといけないこと。
「式乃……俺は……」
本当にお前の恋人としていていいのかな?
胸を張っていいのかな?
そう問おうとした刹那、だ。
「……あんたたち、何してるの……?」
そこにいたのは母さんで。
俺と式乃は二人して驚き、その場で飛び上がるのだった。
その後、早く学校へ行きなさい、と怒られたのは言うまでもないことだ。
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