第2話 本当はお兄ちゃんのことが

 一日を学校で過ごしてみてわかったが、どうやら本当に式乃は彼氏を他の女子に奪われてしまったみたいだった。


 二年生の教室がある校舎二階ではあまり噂になっていないものの、各学年の行き交う場所、食堂や売店、昇降口などでは一年生が式乃の話を出していたのだ。


 まあ、それもそう。


 自分の妹ながら式乃は可愛い。


 学校でも一部の界隈からは『水垣の可憐姫』なんて呼ばれているらしいし、噂になるのは当然なのだ。


 でも、そんな水垣の可憐姫様と付き合っていながら、彼氏の奴は何で手放したりしてしまったのか。


 束縛がひどいとか、重過ぎるとか、そんなの高嶺の花と交際できるなら余裕で我慢できるものなんじゃないかと思う。


 そんなの女子と付き合ったことがないから辛さがわからないんだ、と言われればその通りなのだが、にしても別れちゃうの早すぎないだろうか。


 せめてもう半年くらいは付き合ってみろよ、と思うんだけど……。


 兄として複雑な気分だ。


 付き合い始めの時は式乃を取られてしまった感が強くてちょっと落ち込んだのに、今じゃもっと付き合えよとか、俺もわがままにも程がある。


 ただ、とにかく式乃が今家で部屋に閉じこもってしまっているのは事実なのだ。


 俺にできること言えば、元気付けてやること。


 いつも通りそっぽを向かれても、今くらいは傍にいてやらないといけない。


 それが兄の使命ってもんだ。






 ●〇●〇●〇●






 そんなわけで学校が終わり、俺は家に帰った。


 いつもなら自分の部屋へ行き、ゲームをしたり漫画を読んだり課題をこなしたりと好き勝手なことをやるのだが、今日は違う。


 部屋にカバンを置き、すぐに式乃の部屋をノックした。


「式乃、ただいま。昼ご飯とか食べたか? お腹空いてないか? 一階からお菓子とか取って来てやるぞ」


 ……………………………………。


 安定して返事は無し。


 そもそも部屋の中にいるのか不安になってくるレベルだけど、たぶんいる。


 玄関にローファーはあったし、プライベート用の靴やサンダルも全部あった。どこかへ出掛けてるとか、そういう形跡は一切無しだ。


「……」


 軽く頭を掻く。


 傷付いている妹を慰めるとはいえ、いったいどうやって話を切り出していけばいいのかわからなかった。


 突然『彼氏取られたんだってな』なんて言い出すのはデリカシーが無さ過ぎだし、『学校で話聞いたよ』なんて正直に言うのも式乃を不安にさせるかもしれない。


 どうすれば式乃への慰めを自然にできるか少々悩んだ結果、俺は一つの考えに辿り着き、声を出した。


「……その、さ。式乃……ちょっと俺の話を聞いてくれるか? 辛い話なんだけど……」


 返事は無いが、気にせずに続けた。


「俺な、前に恋人を寝取られたんだ。それはもう、がっつりと」


 返事は無い。


 ……と思ったが、部屋の中から微かにドドッと音が聴こえてくる。


 もしかして手応えありか……?


「ひどいもんだよ。寝取られたって事実だけでも膝から崩れ落ちそうになるんだけどさ、それに加えてその後の彼女の様子とかも寝取った男からビデオとかで送られてきて、それはそれはきつかった。死にそうだったよ」


 確定だ。完全に手応えあり。


 ドドッ、ドドッ、と部屋の中から音がした。さっきよりも鮮明に聴こえる。


「どうしてそんな話を今するのかって思うかもだけど、昼休み机に突っ伏して寝てたらその夢を見てさ。居ても立っても居られなくなった。話だけでもいいから聞いてくれないか? あ、式乃の話でもいいぞ? 式乃にも何か辛いことがあったら俺に――」


 言い終える前に、だった。


 部屋の扉がキィと弱々しく開けられ、中からずっと姿を見たかった女の子が現れる。


「……お兄ちゃんも……なの……?」


 式乃だ。


 パジャマ姿の式乃。


 ふわふわな猫耳付きパーカーのフードを被って、目元を赤くさせていた妹が俺を上目遣いで見上げている。


 瞬間的に胸がズキっと痛んだ。


 きっと今まで部屋の中で泣いてたんだろうな、というのがわかったから。


「し、式乃……俺……」


「お兄ちゃんも……? お兄ちゃんも恋人いたの……? それを寝取られたって……」


「っ……! あ、え、えっと、俺はその……」


 思った以上に食いついてくる式乃。


 距離は近く、普段絶対にここまで来ないだろうってくらいに俺へ接近してる。


 非常に言いづらいのだが、式乃の胸が俺の胸にくっついてるくらいだ。いつでもキスできるくらいの、そんな距離感。


「何で……? どうして……? お兄ちゃんは……お兄ちゃんには恋人できないはずなのに……」


「え、えぇ……?」


 それはいくら何でもひどくないだろうか。


 確かに俺は式乃と違って美形ってわけじゃないモブ顔だし、身長も165センチでほとんど式乃と同じだからモテはしないけどさ……。


「だって……小さい時お兄ちゃん言ってた……。私っていう大切な妹がいるから……他の女の子に気なんて向けられないよ……って……」


「……あ、あれ……? ……え?」


 そうだったっけ……?


 思い出そうとするけど、自分でそんなこと言った記憶がまるで無い。


 目の前にいる式乃が泣きそうな顔になり、ぷーっと頬を膨らませ始める。


「お、覚えてないの……? あんなにちゃんと言ってたのに……」


「お、おおお、覚えてる覚えてる! うん! ああ、確かに言ってたなぁ、俺! あ、あは、あはははは!」


「……じゃあ、それはいったいどこで言ったでしょう……?」


「……え……」


「……3……2……」


 おいおいマズい。秒読みが始まったぞ。


「え、ええっと! あ、あそこ! あのあれ! 家のリビング!」


「……ぶー。不正解」


「あ……」


 眉を八の字にし、悲しそうにする式乃。


 嘘だろ……俺、昔そんなこと本当に式乃へ言ったのか……?


「……やっぱり……お兄ちゃんは私のことなんて……」


「ちょ、ちょっと待って式乃! 正解! 正解はどこ!? 言ってくれたら思い出すかもしれないし!」


「……教えてあげない。思い出されても……それはもう遅いんだもん……」


「うっ……」


「正解は………………一緒にお風呂に入った時……だし……」


「え? い、今なんて?」


「何でもない。お兄ちゃんの……ばか……」


 言って、ふいっと顔を横へ向ける式乃。


 ダメだ。慰めるはずだったのになんかよくわからんうちに機嫌を損ねちゃってる。


「で、でも式乃。何でいきなりそんなことを……? 俺に恋人がいても式乃は何とも思わないんじゃないのか……?」


「……! あ、え、そ、それは……」


「そもそも寝取られたとはいえお前彼氏いたんだし」


 言った瞬間に口元へ手をやる。


 今さらもう遅い。


 式乃のは俺を見つめた後、グッと唇を噛んで下を向く。


 俺はとんでもない爆弾発言をしてしまった。あれほど何て言おうか悩んでたってのに。


「そ、その、これは……」


「……うぅ……」


「え、えっと、た、たまたまだ! たまたま今日友達から話聞いて! 噂になってるぞって! ……はっ!」


 またしても、である。


 また俺は爆弾発言。


 噂されてたって事実は隠しとくはずだったのに。


 これまた口を塞いでも遅い。


 式乃は泣いているのか、袖で目元を拭い始めた。


 いくら何でもバカ過ぎる、俺。


「で、でも、し、式乃が恋人を取られたって噂は聞いたけど……お、俺は……俺は……!」


「……ぐすっ……」


 持っていた感情と思いが爆発する。


 どうしようもなくなった俺は、近い距離にいた式乃を思い切り抱き締めた。


 そして叫ぶ。


「式乃のことを元気付けたい! 可愛い妹が傷付いてるのなんて見てられるか! 式乃のことを傷付ける奴がいたら俺がぶっ飛ばしてやるし、そんな奴がいたら真っ先に俺が守ってやる! だから俺を……頼りないかもだけど……傍に居させてくれ! お願いだ!」


「――!」


「俺なら……絶対にこれ以上式乃を傷付けないから……」


 抱き締めていた手が震える。


 これは、ある種殻を破る告白みたいなものだった。


 ずっと小さい時から、式乃は俺に対してそっけない。


 それなのに傍に居させてくれだなんて。


 嫌だ、と言われてもおかしくはなかった。


 拒否されるかもしれない。


 そんな恐怖が俺の中で大きくなり、手の震えに繋がっている。


「お願いだ……式乃……俺に慰めさせてくれ……」


「……っ……」


 目を閉じ、願い続けていた矢先だ。


 弱々しい力で、俺の背に式乃の手が触れる。


 そして、言葉が返された。


「いいの……かな……? 私……そんなこと……お願いして……」


「……へ……?」


「お兄ちゃんに慰めてもらっても……いいの……? ずっとずっと……可愛くない妹だったのに……」


「っ……!」


 気付けば俺は頭を縦に振っていた。


 そして強く返す。


「いいよ! 全然構わない! 遠慮なく慰めさせてくれ! お前の力になれるんだったら俺は兄として何でもやるし、それに式乃が昔から可愛くない妹なわけあるか! お前は昔からずっと可愛い妹だよ!」


「……お兄ちゃん……」


 じゃあ、と。


 俺たちは互いに約束をした。


 慰める役と慰められる役。


 期限は無し。


 式乃の心の傷が癒えるまで、しっかり一緒にいよう、と。

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