第1話 寝取られた義妹

 それは、本当に何気ない秋の日の出来事だった。


 学校から帰り、家の玄関を開けると、靴を脱ぐ場所で妹の式乃が膝を抱えて泣いていた。


 びっくりしないわけがない。


 軽く声を出し、体をビクつかせてしまう。


 式乃もすぐに反応し、俺のことを見上げてきた。


 こうしてちゃんと見つめ合ったのはいつぶりだろう。


 ずっと喧嘩をしていたというわけでもないけれど、俺と式乃の仲はお世辞にもいいとは言えない。


 小学四年生の時に一緒に住むようになってから、今の今まで、心の距離が少しも縮まっていないのだ。


 俺が話しかけても、妹は顔を逸らすようにして足早に逃げていく。


 血が繋がってないとはいえ、俺は兄として式乃の力になってあげたいし、仲良く会話したりくらいはしたいと思っているのに。


 現実は甘くない。


 だからこんな状況でも、俺が心配したところでその思いは無駄になるんだろう。


 無駄になるとわかっているものの、体育座りして涙を流している妹を見て無視なんてできるはずがなかった。


 俺は少しだけかがみ、妹へ声を掛ける。


「式乃、どうしたんだよこんな玄関で。何かあった?」


「お、お兄ちゃん……。……っ!」


 俺のことを見上げ、一瞬何かを話そうとしてくれるものの、凄い勢いで立ち上がる式乃。


 そして、思った通りというか何というか。


 妹は脱兎のごとく廊下を走り、階段を駆け上がっていった。


 バタン、と扉を閉める音がする。


 きっと自分の部屋に入ったんだろう。


「……はぁ……」


 思わずその場で深々とため息。


 どうして俺はここまで式乃に避けられてるんだろう。


 何もした覚えはないし、仲良くなる努力だって小さい時からしてるんだけどな。


 わからない。


 自覚していないだけで、気持ち悪い接近の仕方をしていたのかも。


 だとしたら後悔しかないわけだけど、今さら悔いたって遅いわけで。


 変えられるのはこれから先の未来だけだ。


 足取りは重かったが、俺も遅れて階段を上がり、『しきの』と書かれた可愛らしいプラスチック板の掛けられた扉を軽くノックする。


 そして、怯えられないよう優しめの声を出して妹へ語り掛けた。


「式乃? この部屋の扉は開けてくれなくてもいいから聞いてくれる?」


 ……………………………………………………。


 返事はない。


 まあ、そりゃそうだ。わかってた。


「何か悲しいことがあったんなら全然相談乗るよ。父さんと母さんはここのところ仕事が忙しそうで、家に帰って来るのも遅いからさ」


 ……………………………………………………。


「母さんから言われてるんだ。今日は夕飯作っといて欲しいって。俺、作るよ。式乃、ハンバーグ昔から好きだったよな?」


 ……………………………………………………。


「待っといてくれ。出来上がったら呼ぶ。すぐ作るからな」


 結局、式乃からの返事は一度もなかった。


 何があったのかはわからないが、今まで妹がここまで落ち込んだことは一度もなかった。


 脳裏をよぎるのは、『いじめ』や『嫌がらせ』などの嫌なワード。


 あの人気者の式乃に限ってそんなことないと思いたいが、確証を持って無いなんて言い切れない。


 俺は悶々としながら一階へ下り、言った通りハンバーグを作り始めた。






●〇●〇●〇●〇●






 その日の夜、式乃は父さんと母さんが家に帰って来ても部屋から出ようとせず、自室にこもったままだった。


 ただ、そうは言っても俺の作っておいたハンバーグは食べてくれたみたいで、部屋の前に置いていたご飯との一式セットは、お盆の上で空になっていた。


 どうやら食欲はあるみたいだ。


 体調不良ではなさそう。


 そうなってくると、いよいよ心配なのは本当に何があったか。


 翌日の朝も式乃は部屋から出てこようとせず、学校も休むみたいだった。


父さんと母さんも心配してる。


 いったい妹はどうしてしまったんだろう。


 心配な思いを引きずったまま、俺は仕方なく登校。


 気分が晴れないまま、考え事をするあまりボーっとしたまま教室へ入り、自分の席に着く。


 そうやって宙を何気なしに見上げていたタイミングで、だ。


「よっ、親友! どしたよ、そんな死んだ魚みたいな目で宙を見上げちゃってさ!」


 元気よくバシッと背中を叩いてくる一人の男子。


 見れば、そいつは中学時代からの親友――丸川拓夢まるかわたくむだった。今日も朝からテンションが高い。


 俺は気だるげに息を吐きつつ、適当に返した。


「目が死んでんのはいつものことだから放っておいてくれ。俺、今色々考え事してるんだ」


「色々考え事? お前が?」


「お前が、ってどういう意味だよ? 割と普段から色々考えてるタイプなんだけど俺?」


「いやいや、色々は無いだろ。頭ん中はあの超絶美少女な妹のことでいっぱいだ」


「い、いっぱいじゃないっての! 勘違いするなよ!」


 まったくだ。


 こいつはいったい何を言い出すのか。


 別に式乃のことだけを考えてるってわけじゃ……ないと思う。うん。いやほんと。どうやったら好かれるだろうとか考えてはいるけど、ずっとそれだけってわけじゃない。


「あ。てか、知ってるか? そのさ、守理の妹ちゃんのこと」


「え? 何? 式乃がどうかしたのか?」


「何だよ。やっぱ知らねーのか。まあ、お前ら普段あんま仲良くねーもんな。それでお前も悩んでるわけだし」


「うるせーよ。で、何なんだ? 式乃がどうしたんだよ?」


 問うと、拓夢は辺りをキョロキョロと見回し、口元に手をかざしてこっそりと小声で教えてくれた。


「式乃ちゃんさ、どうも彼氏君を他の女子に取られちまったらしい」


「……は……?」


「風の噂で聞いたんだがな。式乃ちゃんの束縛が激しいとか何とか……。まあ、要するに俺の姉ちゃんみたいな感じでいう『寝取られ』っつーのをやられちゃったらしいぜ?」


「……え……」


「あんなに美人で可愛いのにな。奪おうとする女も女だが、彼氏も彼氏だ。バカだとしか思えん。凄まじい美人なのに。式乃ちゃんから束縛されるとかもはやご褒美だっつーのにな」


 くねくねしながら気持ち悪いことを言う親友。


 だけど、俺はそんな親友の動きが一切気にならないほど衝撃を受けていた。


 あの式乃が彼氏を奪われた。


 嘘だとしか思えない。


 あんなに式乃が誰かと付き合うことを拒んでいたのに、俺はそれを聞いてただただショックを受けていた。


「……そういうことか……だから式乃は……」


「んあ? 何か言ったか?」


「……いや、別に何でも」


 その日一日、俺は授業の内容など一切頭の中に入れず、ただひたすらに式乃のことを考え続けていた。


 一刻も早く傷心中の式乃を慰めてあげないと。


 それだけを強く思って。

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