55話 契

江戸城近くの闘技場は、緊張感とざわめきで異様な空気を放っていた。観客席には幕府の役人たちが整然と並び、その隣には神隠団の幹部や隊士たちが目を光らせている。観客席からは少し距離を取った場所に民衆が集まり、静かに見守っていた。一体どこから聞きつけたのやら。


義統殿に変装した僕は、緊張で手が震えるのを何とか隠しながら、秀忠と向かい合った。義統殿の装束を身にまとい、顔にはわずかに影を作る布を巻いている。少し不安だが、戦闘に集中していれば僕が本人ではないと見破られることはないだろう。


「これより、一騎打ちを始める!」幕府の役人が声を上げると、観客席がざわついた。秀忠は悠然と刀を抜き、余裕そうな笑みを浮かべている。


「神隠団の長が直々に出向くとは、光栄なことだ。しかし‥貴様ごとき、所詮は反乱者に過ぎん。この一騎打ちに負けた暁には、活動の停止と然るべき処分を受けるように」


秀忠の言葉に観客席の幕府側から笑い声が漏れる。


僕は刀を抜き、無言のまま構えた。正直秀忠の言葉に吹き出しそうだったが、何とかこらえた。


(格好つけすぎだっつーの‥民衆からの好感を得たいがために演説しないでくれない?)


開始の合図が響き渡ると同時に、秀忠が踏み込んできた。刀の振りは鋭く、重い。僕は硬化を瞬時に発動し、刀を弾き返した。


秀忠の攻撃は容赦がなかった。力強い斬撃と鋭い突きが次々と僕を襲う。流石は将軍といったところだろうか。


「ほう、なかなかやるではないか」


秀忠の目には軽い驚きが浮かんでいた。僕の体力はまだまだ有り余っている。これは持久戦に持ち込めば勝てる‥いや、持久戦に持ち込まずとも‥!


次第に、幕府側の役人たちがざわつき始めた。観客として座っている彼らが手元を動かし、闘技場に何かを投げ込むのが見えた。


(‥毒針?)


僕はとっさに身を屈め、硬化で弾き返した。


流石は手段を選ばない連中だね。


「お前たち!」観客席の永善殿が立ち上がり、幕府役人たちを鋭く睨みつけた。


「妨害行為は一切許さないと約束したはずだ。これ以上続けるのなら‥」


僕は手を挙げて永善殿を制止した。言葉は使えないので指で幕府の役人たちを挑発し、こちらへ出てこいと手招きした。


「上等じゃねぇか!」4人の役人がこちらへ乗り込んできた。よし‥思い通りになっている。


「もういい、ここで決める」


僕は小さく呟き、硬化させた足で4人に飛び蹴りを入れ、何度も顔を殴りつけた。


民衆から歓声が湧き上がる。


「畜生!」秀忠も怒り狂ってこちらに突進してきたので、僕は刀を捨てて両手で秀忠の腕を掴んだ。彼の腕を振り回しているうちに秀忠の体は宙へ浮き、僕はそのまま投げ飛ばした。


何とか立ちながらも苦しんでいる秀忠の腹部に、硬化した拳を叩き込んだ。鈍い音とともに、秀忠の体が後方へと吹き飛ぶ。


地面に倒れた秀忠は、苦しげに息を吐きながらも立ち上がろうとしたが、完全に力を失っていた。


観客席から大きな歓声が巻き起こった。幕府の役人たちは何も言わずに息を呑み、民主はただ驚きと感動の目で僕──義統殿の姿を見つめていた。


「‥この国は、神隠団が守る」僕は刀を納め、秀忠に向かって低い声で言った。


秀忠は悔しそうに歯を食いしばりながらも、ついに観念してその場に膝をついた。幕府の威光は、この一撃で完全に崩れ去った。




 喜びを分かち合うふりをして観客席で本物の義統殿と入れ替わり、顔を出した義統殿が中央に立った。彼は観客席を見渡し、一度深く息を吸い込んだ。そして、落ち着いた声で話し始めた。


「この国を守るためには、我々だけでは足りない。妖冥の脅威はそれほど大きいものだ。そして、その試練に立ち向かうのは、この国に生きる全ての人間だ」


「幕府の行いには、許されざる点もあった。それは確かだ」


観客席に座る幕府の役人たちが一斉に顔を伏せた。


「だが、我々神隠団も、すべての人々を守りきれているわけではない。完璧な者などいないのだ。だからこそ、今こそ互いに手を取り合い、この国を守るために歩み寄るべきだと私は考えている」


義統殿は一歩前に出て、倒れた秀忠の近くに寄った。冷ややかな目で見下ろすのではなく、真っ直ぐな視線を彼に向けた。


「徳川秀忠殿。君や先代の将軍たちの支配の仕方には確かに問題があった。だが、それでも君がこの国を治めるために尽力してきた事実を、私は否定しない」


秀忠は顔を上げ、その目には屈辱と疑問の色が浮かんでいた。だが、義統殿の言葉は続く。


「君がどれほどの力を持とうと、妖冥は支配できるものではない。それは君自身がよく知っているはずだ。それでも、この国を守りたいと願うならば、我々神隠団に協力してほしい」


秀忠の視線にはわずかな迷いが見えた。観客席に座る役人たちも困惑した表情を浮かべていた。


「妖冥という脅威の前では、いかなる対立も無意味だ。我々が一つにならなければ、この国は滅びるだろう」


民衆の中から拍手が上がり始めた。


「幕府の者たちよ、どうか君たちも力を貸してほしい。我々と共に立ち上がり、妖冥と戦う未来を選んでくれ」


その言葉に、幕府の役人の中から一人が立ち上がった。


「‥神隠団の長、成河義統。我々は確かに間違った道を歩んできたかもしれない。だが、君たちと手を取り合うことが、この国のためになるのなら‥考えさせてもらいたい」


義統殿は頷いた。


「その答えを待とう。ただし、我々は急がねばならない。妖冥は待ってはくれないのだから」


最後に冬馬殿が中央へ歩き、宣言をした。


「我々はこの国を守るために存在する。そして神隠団は必ず妖冥を滅ぼし、日本に真の平和をもたらすと誓う!この国を未来へと繋ぐために、どうか力を貸してくれ!!」


その瞬間、大きな拍手が闘技場に響き渡った。民衆、神隠団、そして幕府の者たちまでもが、その言葉に心を動かされているのがわかった。


僕はその光景を見ながら、胸の中で何かが熱くなるのを感じていた。義統殿の言葉が、確実に新たな未来の扉を開こうとしている。




 徳川秀忠は神隠団に連行され、江戸城内の一室で義統殿たちと向かい合っていた。倒れた時の泥汚れを拭き取る間もなく、秀忠は不機嫌そうに椅子に腰を下ろし、睨むような視線を周囲に投げかけていた。


「さて、徳川殿」義統殿は悠然とした態度で話を切り出した。「ここまで話す必要もないが、君の現状を正確に理解してもらおう」


「現状?」


秀忠は眉を寄せる。その横で永善殿が小さな書類を確認しながら、淡々と付け加えた。


「ああ。簡単にいえば、幕府内の信頼を失いかけているということだ。特に譜代大名からの評価は‥まあ、辛辣だな」


「‥何?」秀忠の動きが止まる。


永善殿は微妙に眉を下げながら、手元の書類を見直して続けた。


「例えば、『妖冥の使い所をもう少し考えろ』とか、『秀忠公には戦術眼がない』とか、『先代の威光で持ちこたえているだけ』だとか‥」


「な‥!?」


秀忠は椅子からずり落ちそうになりながら身を乗り出した。「譜代大名がそんなことを言っているのか!?」


秀忠の側近が頷いた。「はい。我々が調べた結果です。そして、秀忠殿が今回の一騎打ちで負けたことを聞けば、さらに勢いづくかと」


「いや、待て、それは誤解だ!」秀忠は顔を赤らめ、慌てた様子で手を振る。「私は‥私は、彼らの信頼を保っているつもりだ!だが‥」


またしても側近が口を挟む。


「彼らが直接そう言っている記録があります。ちなみに、こちらはその筆跡の一部です」


側近が懐から取り出した小さな紙片には、達筆で「秀忠、戦を任せる器ではない」と書かれていた。


「誰のだ、それは!!」


秀忠の声が半ば裏返る中、側近があっさりと続ける。


「譜代大名のうち、三名が署名しておりました」


「うわぁぁああ!」


秀忠は頭を抱えた。どこか威厳を失ったその姿に、僕と鳴海は思わず目を合わせて苦笑する。


「徳川殿、だからこそ言っている。我々神隠団と協力しろと。君が一人で抗おうとしても、この状況はひっくり返せん。だが、神隠団が君の力を借りるとなれば、話は変わる」


義統殿が言った。


「私の力を‥借りる?」


秀忠は顔を上げた。動揺の中に、どこか希望を感じているような声色だった。


「そうだ。譜代大名たちからの信頼を取り戻すためには、君がこの国を守るために行動していると示す必要がある。ならば、その行動を我々神隠団と共にすることが最も効果的だ」


秀忠はしばらく考え込んでいたが、ついに肩を落として呟いた。


「‥わかった。協力しよう。ただし、譜代大名たちには直接この話を伝えず、状況が整った後で知らせてくれ」


「いや、すぐに私が伝えておく」


永善殿がすかさず答える。「ああいう連中は、どちらが勝者かを嗅ぎ分けるのはやたら得意だ。わざわざ伝えるまでもないかもしれない」


「ぐっ‥!」


秀忠は悔しげな声を漏らしながらも、観念したようにため息を吐いた。




 その後、神隠団と幕府との協力体制が正式に取り決められ、秀忠は神隠団の監視下で妖冥対策に加わることになった。その姿は少し威厳を欠いて見えたが、それでも幕府の象徴としての尊厳は保っていた。


「誰も江戸幕府将軍のあんな姿は見たくなかっただろうな」蒼真さんが小馬鹿にした口調で言った。


「おい、聞こえてるぞ」


秀忠が顔を赤くして振り返ると、義統殿が静かに微笑んで肩を叩いた。


「これでいい。君はもうありのままの姿で生きるんだ」


その言葉に、秀忠は少し複雑そうな表情を浮かべた。「そうだな‥」




      *




 神隠団と幕府が手を組むという決定が江戸の町中に広まると、人々は大騒ぎとなった。


「え、本当かい?神隠団と幕府が協力するなんて‥嘘みたいだね」


市場で野菜を並べていた女性が驚いた顔をして話していると、隣の魚屋が頷いた。


「まあ、神隠団が主導するなら安心だろう。幕府が妖冥を利用してって話もあるけど、これで改心するならいいんじゃないか」


一方で、酒場では別の声も上がっていた。


「はっ、幕府が協力なんてするわけねえだろ!どうせまた裏で何か企んでるに決まってる!」


髭面の男が酒を煽りながら言うと、隣りに座っていた若い男が酒を置いて反論した。


「でもよ、神隠団がついてるんだぜ?あいつらが幕府に負ける気はしねえし、きっと何とかしてくれるさ」




      *




 復興作業が進む江戸の町では、神隠団と幕府の兵士たちが並んで働く姿も見られるようになった。蒼真さんが指示を出し、幕府の兵士たちがそれに従って瓦礫を運んだり道を整えたりする光景は、最初はぎこちなかったけれど次第に馴染んでいった。


「おい、そこの木材はこっちだ!」神隠団の団員が声を張り上げると、幕府の兵士が素直に頷く。


「了解です!」


近くでその様子を見ていた町人が、笑いながら仲間に話しかけた。


「へえ、幕府の兵があんなに素直に働くとはな」


「神隠団が怖いだけだろ。まぁ、確実に前よりは良くなってるけどな‥」




「これで本当に、江戸も落ち着くかもしれないな」


茶屋の主人がそう言うと、隣で座っていた老人が頷いた。


「神隠団は、しっかりしておる。幕府も少しは学ぶだろうよ」


他にも、町の子どもたちの間で憧れの声が聞こえてきた。


「神隠団、かっこいいよな!俺もいつか入れるかな?」


「バカ言え、お前みたいな意気地なしには無理だ!」


僕は過去の自分と照らし合わせながら会話を聞いていて、思わず笑みをこぼした。


「大丈夫、きっと入れるよ」僕は子どもに笑いかけた。


「本当に?俺絶対入るよ!!」満面の笑みで子どもが言った。


町の空気は、確実に以前のような不安と緊張から解放されつつある。妖冥の脅威は去っていないが、神隠団が中心となり、幕府もそれに従う形で動き始めたという話は、確かな安心感をもたらしているはずだ。


あとは、栄狂がどんな出方をしてくるかが問題だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る