54話 替え玉
江戸の町は戦後の復興が進む中で、再びざわつき始めていた。巷では、幕府が妖冥を支配し、人々を守るどころかその力を利用して自らの支配を強化しているという噂が広まっていた。最初はごく少数の者たちが囁く程度だったが、やがて町中でその話題が飛び交うようになった。
「どうしてそんな話が広まってるんだ?」琉晴が言った。
「災害級妖冥と戦った時の諜報員がいるでしょ?あの人たちに流してもらったんだ。きっとそのうち、決定的な証拠が手に入ると思う」
僕が言うと、琉晴は「なるほど」と頷いた。
*
「聞いたか?幕府の奴ら、妖冥を裏で操ってるんだとよ」
「噂じゃ、江戸城を崩壊させた妖冥も、元々幕府の手下だったらしいぜ」
「神隠団がいなけりゃ、俺たちみんな死んでたかもしれねえな‥」
町人たちは復興を支援する神隠団の姿を目にするたびに感謝を口にし、同時に幕府への不信感を募らせていった。
神隠団の団員たちは、江戸中で復興作業に従事していた。隊士たちが瓦礫を撤去し、道を整え、住まいを失った人々に物資を届ける姿は町の至るところで見られた。その献身的な活動が、人々の心に希望の光を灯していた。
「神隠団の人たち、朝から晩まで働いてるよ。あれが本当の侍だねえ」
「そうだよな。幕府の奴らは何もせずに威張ってるだけだ。神隠団の方が頼りになるぜ」
こうした声が、町の隅々にまで広がり始めた。復興の進捗が見えるたびに、幕府への不満がマシ、神隠団への信頼が深まっていった。
そんな中、神隠団の情報部が幕府内の諜報員や楓を経由し、幕府の悪行を示す決定的な証拠を手に入れた。それは、妖冥を利用した兵器開発や、人間を実験台にして妖冥の力を増幅させようとする記録だった。その記録は、神隠団の協力者によって密かに江戸の町に流出し、多くの人々が目にすることとなった。
「これが‥幕府のやってきたことなのか?」
「妖冥を使って、俺たちを支配しようとしてたなんて‥クソ!」
記録を目にした町人たちは激しい怒りを覚え、幕府への不信感は頂点に達した。町では小規模な抗議行動が始まり、商人たちが幕府へ協力を拒否する動きも出てきた。
幕府の本丸、江戸城再建が始まったばかりの主殿では、老中たちが焦燥の色を浮かべながら顔を突き合わせていた。
「何故だ!あの記録が何故外に漏れたのだ!」老中の本多正純が怒声を上げる。
「‥内部に裏切り者がいる可能性が高いかと」酒井忠利が低い声で答えた。
室内の空気がより一層重くなる。
「町人どもは完全に神隠団に味方しておる。我らが復興を進めても、もはや感謝の声ひとつ聞こえぬ。むしろ、非難の目で見られておるのが現状よ」
「これでは、我らが手駒として操る妖冥の存在も否定できんではないか」
徳川秀忠は、額に手を当てて重々しく息を吐いた。「‥黙れ。事態は把握しておる。しかし、この混乱をどう収拾するか、妙案がないでは話にならぬぞ」
「では、神隠団を潰す方向で‥」本多正純が言葉を続けると、秀忠は鋭い目つきで睨みつけた。
「愚か者!今、神隠団に手を出せば、かえって世間の反発を招くのみだ」
秀忠の土星に、一同は静まり返った。だが、誰も有効な手立てを思いつかない。
「今や、我らにとって妖冥は手放せん武器となってしまった。これは歴代の将軍の責任でもあり、現役の我らの責任でもある。もう、残された道などないのかもしれん」
その後も、神隠団は復興活動を続けるとともに、町人たちへの教育や警戒の呼びかけを積極的に行った。彼らの活動により、町人たちの生活は徐々に安定し、人々の心には神隠団への信頼が深く根付いていった。
「神隠団がいれば、この町はきっと大丈夫だ」
「幕府の時代はもう終わりかもな‥」
こうした声が聞こえるようになり、幕府の存在感は日に日に薄れていった。
*
そしてある日。主殿で行われている会議の中で、団長・成河義統が発言した。
「幕府との決着をつけるときだ。いつまでも奴らの好きにはさせん」
僕たちは驚きながらも、義統殿の話を聞いた。
「明日、私たちで江戸城を訪問する、幹部たちと話をつけるぞ」
室内の空気が一変した。驚きと緊張が混ざり合い、ざわつく団員たちの間で、精鋭特務部隊の面々と暁班の僕らも静かに息を呑んだ。
「‥いよいよか」風間さんが低い声で呟くと、隣の翔之助さんがすぐに口を挟む。
「いや、正気か?あいつらは妖冥をまだ支配しているし、どんな手を使ってくるかわからない」
彼の言葉に頷きながらも、団長は話を続けた。
「その通りだ。しかし、だからこそ我々が直接話をし、奴らが何を考えているのかを確かめねばならん」
義統殿の目には揺るぎない決意が宿っていた。
「再建中だが、江戸城は奴らの本拠地だ。よってこちらも精鋭を揃える。私と永善、それに特務部隊の風間、白瀬、蒼真を護衛につける。暁班の楓、鳴海も同行してもらうぞ」
突然名前を呼ばれ、僕と鳴海は思わず顔を見合わせた。
「‥楓、鳴海。お前たちを信頼している。江戸城での交渉が成るか、あるいは交戦に発展するかはわからないが、しっかりついてきてくれ。そして、ここに残る者たちよ、本拠地と神隠団を守り抜いてくれ」
「はっ!」全員の声が揃う。
翌朝、主殿の庭では出発の準備が進んでいた。
「なんか、護衛って言われても、実際はただの見せかけっぽいよな。あんまり交戦にはならないだろうけど‥どう思う?」
鳴海が呟いた。
「‥油断するなよ、鳴海。幕府にもう後はない。戦わずに済むとは思えねえ」蒼真さんの言葉にはいつもより緊張が感じられた。
「これより江戸城へ向かう。交渉が第一の目的だが、奴らが何を考えているのかを探ることも重要だ。みな、決して俺たちから目を離すな。出発するぞ!」
江戸城に到着すると、ボロボロの城門の前に幕府役人が立ちはだかっていた。その中には、老中の一人らしき威厳のある男の姿もあった。
「おや、神隠団の団長が江戸城に来るとは。珍しいことで」
老中は皮肉を込めて言ってきた。
「話がある。徳川殿に取り付いでもらいたい」
義統殿は表情を崩さず、静かに言い放った。
老中は一瞬黙り込んだが、やがて城門の振り返り、手を軽く振った。門が軋む音を立てて開かれる。
「ふむ‥どうぞお入りください。ですが、無礼な行動は慎むように」
「そっくりそのまま返しておく」永善殿が言った。
江戸城の大広間には、張り詰めた空気が漂っていた。中央には義統殿と徳川秀忠が向かい合い、その周囲を取り囲むように神隠団と幕府の幹部たちが控えていた。護衛として同行した僕らは、慎重に周囲を警戒しつつ話の行方を見守っていた。
「よくぞ危険を冒してまでここへ来たな、神隠団の諸君。話があるというが、聞くだけの価値があるのか?」
秀忠は皮肉めいた言い方をした。
「幕府が妖冥を支配し、それを利用して民を支配下に置こうとしている事実。これをどう弁明する?」
義統殿が冷徹な口調で問いかけた。
「妖冥を支配?何を根拠にそんな話をしているのだ。神隠団が噂話に踊らされて、こんなところまで出向くとはな」
その言葉に、永善殿が割って入る。
「隠し通せると思うなよ。お前たちの手に残された記録は、既に多くの者が目にしている。妖冥を兵器として利用し、人間を犠牲にしていることは明白だ」
永善殿の言葉に、幕府の側近たちがざわついた。
「ほう、それがどうしたというのだ?」
秀忠は椅子に深く腰を掛け、面倒くさそうに首を振った。
「妖冥を利用して国を守って何が悪い。天下を治めるためには、時に力を使うことも必要だ。お前たち神隠団が『正義の使者』のように振る舞っているが、結局は自分たちの縄張りを守りたいだけではないのか?」
「‥貴様!」蒼真さんが声を荒げ、秀忠を睨みつけたが、義統殿が手を挙げて制した。
「確かに我々は神隠団の縄張りを守る。その縄張りには、この国の民すべてが含まれているのだ。貴様らのような支配者ではなく、我々が民を守るほうが正しいと証明しよう」
義統殿の冷静かつ強い言葉に、秀忠の目が光る。
「面白い‥その言葉、証明できるというのならやってみせろ」
秀忠はゆっくりと立ち上がり、義統殿に向かって一歩踏み出した。
「だが、ここで争いを始めるわけにはいかぬ。民を巻き込むわけにもいかんからな。貴様と俺の一騎打ちで決着をつける。それでどうだ?」
秀忠の言葉に、大広間の空気が凍りついた。
「一騎打ち‥だと?」鳴海が小声で呟く。その場にいる誰しもが予想だにしなかった提案だ。
「ふむ、なるほどな」義統殿はわずかに眉を上げ、じっと秀忠を見つめた。
「我が刀をもって、お前の支配の罪を裁けということか」
「そういうことだ」
秀忠は怪しげな笑みを浮かべながら答えた。
「その場には我が幕府の者だけでなく、お前たちの信頼する者も立ち会うといい。それで文句はあるまい」
「よかろう」義統殿は間を置かずに承諾した。
「では、明日に城近辺の闘技場で一騎打ちを行う。その結果ですべてが決まるということでいいな?」
義統殿の言葉に、幕府側も神隠団側も言葉を失った。緊張感が室内を満たす中、秀忠は小さく笑い、護衛に囲まれながら部屋を出ていった。
帰路についたが、誰も重い口を開けることはなく、黙々と江戸城を後にしていた。静かな街道を歩く中、蒼真さんがようやく口を開いた。
「本当に大丈夫なのか、団長?秀忠なんてやつがまともに勝負することは思えない」
義統殿は歩きながら、静かに答えた。
「わかっている。奴が卑怯な手を使ってくる可能性は高い。それならば、こちらも卑怯な手で対抗するまでだ」
その言葉に、僕たちは面を食らった。正面から対峙するとでも言うのかと思えばまさかの返答だ。
「卑怯な手?」永善殿も少し動揺しているようだった。
「ああ。あちらはきっと第三者を使って戦いを妨害してくるだろう。そして、私の作戦は所謂『替え玉』だ」
替え玉‥まさか。
「そう、私は戦わない。私に変装した者が戦い、奴を圧倒するのだ」
あまりの卑怯さに言葉を失ったが、同時に不思議と高揚感が頭を駆け巡った。
「それは流石に気づかれるのでは?顔もきっと覚えられている」風間さんが指摘するが、義統殿は自信満々に「適任がいるのさ。暁班に」と答えた。
「楓、明日は君に戦ってもらう」義統殿が真剣な眼差しで僕を見て言った。
「え、え、え、え?」どうして僕が?疑問符が止まらなかった。
「楓は硬化を使うことで白髪になる。私も白髪だ。その時点で適任は君しかいないのだが、さらに身長も私と近く、硬化で妨害も効かない。この大仕事、引き受けてくれるか?」
僕が、徳川秀忠と一騎打ち。一世一代の大勝負は、変装した僕が戦うということになる。神隠団の団長として恥のない戦いをしなければならない。
‥上等だ。
「やらせてください」僕は頭を下げた。
「お前、本気か‥!?」蒼真さんが目を丸くする。
「絶対に気づかれないようにします」
こんなこと、人生で一度きりに違いない。やらないなんてもったいない選択は僕にはできない。
「では、任せたぞ。楓」
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