51話 理解
霞月さんが全員を連れて主殿へと向かっていった。この場に残ったのは僕だけ。相手はニ体の強力な妖冥。どう考えても勝てる状況ではない。
でも、それでいい。僕は勝つためにここに立っているわけじゃない。そう、敵を倒すことだけが、勝敗を決める方法ではないんだ。ここで時間を稼ぎ続け、相手が撤退するのを待つ。硬化と鍛え上げてきた体力があればできるはず。
その後、実に30分ほど僕は蛇媚、弦無と戦い続けた。体質によって毒は無効、弦無の刀は全て硬化で防ぐ。しかし防戦一方ではいつか隙が生まれるので、時に反撃を交えながら戦い続ける。
蛇媚は毒の霧を吐き出し続けて何度も攻撃を試みるが、僕の耐久力に徐々に苛立ちを見せ始めていた。
「‥どうなってるの?一体、どれだけ耐えるつもりなの?」
「お前が特別だということはよくわかった。だが、流石にしつこすぎだろう」弦無もまた、苛立ちを隠しきれずに僕の腕を狙って何度も刃を振り下ろしてくるが、そのたびに硬化で弾かれてしまっている。
「しつこいのはあなたたちですよ。そろそろ諦めることをおすすめしますけど」攻撃を受け流しながら、静かに息を整えて言った。
蛇媚は表情を歪め、毒の霧をさらに濃く放つ。効かないんだってば、と思いながら僕は拳を蛇媚の方に振り下ろした。蛇媚は寸前でかわしたが、顔には些かの焦りの色が見えた。
「‥っ、もう!いつまでこんな小僧相手に時間を無駄にすればいいのよ!」蛇媚が段々と焦り始めた。
「しぶとさだけは認めてやるが、いい加減に‥」弦無が刀を握りしめた。
その時、遠くから地響きと共に蹄の音が響き始めた。続いて、広場の奥にある道の方から神隠団の隊士たちが次々と現れ、駆け込んでくる。隊士たちは馬上筒を構えながら瞬時に陣形を整え、僕を囲うように配置した。
「楓さん!無事ですか!」先頭に駆けつけた隊士が声をかけてきたが、僕の疲弊した様子を見て驚いた顔を浮かべた。僕はうっすらと笑みを浮かべて頷く。
「みんな‥助かったよ」僕は肩の力を抜き、少しばかりの安堵を覚えた。
駆けつけた別の隊士が鋭く弦無と蛇媚を睨みつけ、銃口を構えながら叫んだ。
「妖冥ども、我々がこの本拠地で好き勝手やらせると思うなよ!お前らの命もここまでだ!!」
蛇媚は焦りを隠せぬまま目を細める。「‥まさか、増援を待ちながら粘っていたっていうの?」
「そうだよ」僕は疲労の中で静かに答えた。「ここで時間を稼ぐことだけが、今の僕にできることだったんだ‥!」
その瞬間、隊士たちの中のひとりが大きな声を上げた。「みんな、神隠団の誇りを見せるぞ!一斉に撃て!!!」
その掛け声とともに、無数の馬上筒か銃弾が一斉に発射された。轟音と共に弾丸が飛び交い、ニ体の妖冥を襲い続ける。弦無は素早い動きでいくつかの弾を避けるが、数発の銃弾が肩や腕に命中し動きが鈍っていく。
「ぐっ‥卑怯な真似を‥!」弦無は肩を抑えながら、なおも僕を睨みつけている。
「君たち以上に卑怯な存在はいないと思うけど。というか、さっさと死んでくれない?人間様の邪魔だから」
再び隊士の一人が叫ぶ。「負けるな!一発でも多く弾を叩き込め!撃てえええ!!!」
次々と銃弾が浴びせられる。蛇媚の衣服が破れ、腕や腰にいくつもの銃弾が命中する。彼女は必死に退路を探し、弦無に叫んだ。
「これ以上はまずいわ‥撤退するわよ、弦無!」
「‥わかった。だが、これで終わりだと思うなよ、人間ども‥!」弦無はそんな捨て台詞を吐きながら逃げていった。ニ体はそのまま森の奥へと姿を消していく。
僕はその場に腰を落とした。体力の限界だ。そんな僕のもとへ先頭にいた年配の隊士が歩み寄り、笑いながら肩を叩いた。「お前‥よくこんな状況で粘ったな!よくぞ耐え抜いた!」
「ほんとだよ!一人であのニ体相手に30分も戦い続けるなんて、どうかしてるぜ!」別の若い隊士も、どこか誇らしげに笑っていた。
「いや‥ただ、逃げられなかっただけで‥」と僕は控えめに答えた。
近くにいた隊士が笑い声を上げて、「謙遜するなって!自分がどれだけ凄いことをしたか分かってんのか?」と言った。
「そんなことより、あいつらはここに置き土産をしていったからそれを見にいかないと」僕がすっと立ち上がると全員が驚きの表情を浮かべたが、別に怪我をしているわけでもない。大丈夫だ。
「楓!お前がこの地を守り抜いたんだよ!」「お前は凄いよ!楓!」隊士たちが次々と声を上げて、僕を称賛する。
「‥ありがとう。ここを守れたのは、みんなが来てくれたおかげだよ」僕は微笑みながら手を振り、主殿へ向かって歩き始めた。
夕暮れが迫る中、主殿前には精鋭特務部隊や暁班の数名が並んで横たわり、医療部の団員たちが負傷した身体を懸命に処置していた。特務部隊の隊員たちは、顔に血や汗を滲ませながらも耐えるように目を閉じ、痛みを堪えている。
僕が現場に到着すると、治療を指揮している永善殿が僕の存在に気づき、すぐに声をかけてきた。
「楓か‥無事だったようだな。かなり手こずらされたようだが、よくやった」
僕は軽く頭を下げた。「しかし、隆鬼以外のニ体は取り逃がしてしまいました。不甲斐なく存じます。精鋭の皆様は大丈夫でしょうか?」
永善殿はため息をつきながらゆっくりと頷いた。「深手を負った者もいるが、命に別状はない。だが、かなりの消耗だ。応急処置を終えたらしばらく安静にするべきだろう。あと‥」
「あと?」僕が尋ねると、永善殿は苦い表情で「弦無によって、竜仙は殺された」と呟いた。
僕にはそれが信じられなかった。彼は強く、優しい人だ。あんな捻くれ者の妖冥に負けるなど信じたくない。悲しみと怒りと憎しみでどうにかなりそうだったが、永善殿が僕の肩に手を置いて言った。
「この状況で君に言うことではないが‥君には、かたきを討って欲しい」悲しげな表情の永善殿を見て、僕は頷いた。
「もちろんです。倒すべき妖冥がまた一体増えましたね‥」
口ではそう答えたが、内心では隊士を辞めたいとまで思っていた。知恵があり、災害級よりも厄介な妖冥が今後再び本拠地に襲撃にやってくる可能性がある。そして、神隠団である以上そいつらと対峙する義務と責任がある。それを放棄はできない。
「精鋭特務部隊が9人となったわけだ。竜仙は最年少かつ才能に溢れた剣士だったが故に、この損失はあまりにも大きい。しかし神隠団は前を向かなければならない。君たち暁班はこの戦いをも生き抜いた。全員が10代であるこの4人がここまで活躍すれば、神隠団の未来も明るいだろう。君以外の三人は負傷しているが、戦線復帰は時間が経てば可能だろう。今後は精鋭特務部隊と共に、君たち暁班が団の柱となるのだ。冷酷な言い方になるが、竜仙の死を嘆いている時間は我々にはない」
僕は深く頷き、視線を主殿の正面に向けた。そこでは、首だけが残された隆鬼が仮の拘束台に固定され、医療部に監視されていた。僕に気づくと、隆鬼は微かに笑みを浮かべ、瞳を輝かせた。
「油断はするなよ。再生は止まっているようだが、これからまた暴れる可能性もある」永善殿が言った。僕は首を縦に振り、隆鬼の目をじっと見つめた。
「もう暴れることなどできない。蛇媚と弦無は俺を置いて撤退し、俺には力も残されていない。どうだ。俺をここまで追い詰めて気分がいいだろう?」
隆鬼は皮肉を込めた口調で僕を見上げる。
「あなたがここを襲撃した理由を教えて欲しい」僕は冷静に答えた。
隆鬼は少しの沈黙の後に口を開いた。「貴様らをこの地から消し去るためだ」
僕は問いを重ねた。「何故そこまで執拗に、神隠団を狙うんですか?」
「お前たちが邪魔だからだ。我らが求める新しい世界に人間は不要。特に、妖冥の討伐を目標としたお前ら神隠団の存在がな」
「新しい世界?」僕が聞き返すと、隆鬼は少し目を細めた。
「‥俺が死ぬのは時間の問題だだろう。どうせならば教えてやる」隆鬼はゆっくりと語り始めた。
「妖冥というの存在は突然、この地球に現れたわけではない。『七凶』と呼ばれる原初の妖冥七体から始まった。七凶は同じ目的に基づき行動をしているが、性格や能力の違いから衝突する場面も少なくない。特に、好戦的な性格の者と冷静沈着な者の間にはたびたび緊張が生じている。ただし、七凶は栄狂の「人間を排除し、世界をあるべき姿に戻す」という理想に共感しており、この目的のためならどんな犠牲も厭わない。また、栄狂を選ばれし者として深く敬愛しており、彼の指示には基本的に従う。目的においては結束しているが、戦闘や行動においては互いに干渉せず、独立して動くことも多い」
原初の妖冥‥江戸幕府の使役する妖冥はそれの下っ端なのか?七凶から枝分かれしていって妖冥が日本中に広がっていったのか?疑問が絶えなかった。
「栄狂ってのも七凶のうちの一体なの?」僕が聞くと、隆鬼は頷いた。
「ああ。栄狂様こそが七凶の統率者であり、全ての妖冥の頂点に君臨している」
もしかして僕ら、とんでもない奴を目の当たりにしてたってこと‥?
「ひと目見ただけで異質だとわかるあの妖冥は、日本に発生した妖冥の元凶だったということだ」永善殿が呟いた。
「その七凶を倒さない限り、妖冥は絶滅しないってこと?」僕が聞くと、隆鬼は嘲笑するように「人間には無理だ。七凶の強さはまるで別次元で、人間の力で勝てるはずがない」と言った。
「でも、放っておいたら日本どころか世界が滅ぶんでしょ?」
隆鬼が頷く。
「妖冥に対抗できる組織は神隠団しかない。悪いが、我々が七凶とやらの理想を尊重することはない。お前たちが人類を滅亡させるのなら、我々はそれに抵抗するまでだ。何もせず絶滅を待ってやるほど、人間というものは潔い生き物ではないのだ」永善殿が腕を組みながら語った。
「せいぜい抵抗するがいいさ」隆鬼は力なく笑った。
「それで、七凶の居場所は?日本のどこに隠れてるの?」僕が問い詰めるが、隆鬼は答えようとしない。
「教えてって言ってるんだけど」僕は刀を抜き、隆鬼の目元に刃先を近づけた。
「仲間に見捨てられたとはいえど、栄狂様には恩がある。ここで貴様らに全てを教えることはない」隆鬼が言った。
「教えることはない、じゃなくて。教えろって言ってるの。これは質問じゃなくて命令」僕は刀から鉄砲に持ち替え、銃口を隆鬼の額に当てた。
「こんなに挑発して大丈夫なのでしょうか‥?」団員が不安そうに言うと、「聞き出せるのなら、脅迫してでも聞き出すべきだ。それに、もう抵抗する力はないようだしな」と永善殿が返した。
「知ったところでどうする?特攻しても全滅するだけだ」隆鬼がぼそぼそと喋る。すると、永善殿が「楓、少し下がれ」と言って前に出た。
「‥人間は、言葉を並べれば何でも思い通りにできるとでも思っているのか」
隆鬼は忌々しげに吐き捨てた。
「‥君の言う通りかもしれないな」永善殿は静かに頷き、隆鬼に向かって話し始めた。
「だが、私たちはここまで君の仲間たちを恐れ、幾度も傷つけられてきた。それでも‥我々人間は、ただ屈しているわけにはいかないんだ」
隆鬼は視線を逸らし、「くだらん」と言わんばかりに首を振った。「貴様らがどう思おうと関係ない。人間ごときに、この世の本当の姿を取り戻すことの意味がわかるはずがない」
永善殿は諦めず、まっすぐに隆鬼の目を見つめ続けた。「それでもだ。君のような存在が今の人間をあれほど激しく敵視するというなら、私たちにも何か学ぶべきところがあるのかもしれないと感じている」
ほんの一瞬、隆鬼の眼が揺らいだように見えたが、すぐに眉をひそめる。
「‥貴様ら人間には、理解できないだろう。世界がどうあるべきかなど、何も見えていないのだからな」隆鬼が呟いた。
永善殿は頭を垂れて語った。「君たち妖冥も、私たちと同じように仲間を想い、主を敬い、必死に何かを守ろうとしている。だからこそ、君たちが求めるものを知り、そして‥私たちが向かうべき真実を知りたいと思うんだ」
隆鬼の目が揺れ、歯を食いしばったように口を引き結んだ。目に微かに悔しさと怒りが浮かぶ。
「‥ふざけるな。私たちは主のために、誇りを持って生きている。それを貴様らが変えることなどできるはずがない」
永善殿はそっと目を伏せ、言葉を続けた。
「君たちが誇りを捨てていないと知って、安心している。だからこそ、私も今、君にこうして頼んでいるんだ。‥どうか、七凶のことを教えてくれ。私たちは君の意志を侮辱しない。敵として戦うとしても、それがどれほど強い意志なのかを知りたいんだ」
隆鬼は一瞬、言葉を失って視線を落としたが、やがて苦しげな声で囁くように口を開いた。
「‥俺も、本当は‥」
隆鬼は遠くを見つめている。「本当は‥誰かに理解してほしかったのかもしれない。お前ら人間には、主に尽す意味なんてわからないと思っていた‥だが、もし‥それを理解する者がいるのなら‥」
僕は、隆鬼の声から感じられるかすかな哀愁に気づき、永善殿とのやり取りをただじっと見守っていた。
永善殿が寄り添うように声をかける。「君たち妖冥が尽くす主への誇りも、そのために戦う姿も、私たちはこれまで何度も目にしてきた。だからこそ、君がその誇りをかけて守ろうとするものが何であるか知ることで私たちもまた、戦いの覚悟を決められる」
隆鬼は深呼吸した。そして、苦しげにつぶやいた。
「主のために俺たちは、絶対の忠誠を捧げてきた。‥しかし、俺は‥いや、俺たちは、栄狂様にすがっているだけなのかもしれない」
その言葉に、僕らは静かに耳を傾けた。
隆鬼は、目にわずかに潤みを浮かべながらも必死に語った。「もし‥お前らがその覚悟を持って、我々の前に立つというなら‥七凶について知るがいい。お前らが全滅する覚悟であろうとも‥それが、お前たち人間の『誇り』というのなら‥」
「僕たちの覚悟は、先刻の戦いでわかったんじゃないかな」僕は隆鬼を見て言った。
「‥そうだな。お前のような優しい青年が命を捧げ、弦無のような強者と30分以上戦い続ける‥覚悟がなければ出来ないことかもしれない」隆鬼が呟いた。
「妖冥に沢山の人が殺されているけど、僕は妖冥に生かされてると思ってる。君らがいなければ僕がこんなに熱い気持ちになることはなかっただろうし、こんな強い意志も持てなかったと思う。そう意味では、感謝してるよ。僕の人生を良くも悪くも変えてくれたからこそ、敬意を込めて君たちと戦いたい」
隆鬼は頷き、「わかった」と返した。
「七凶について、知っていることを教えよう」
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