48話 美
黒々とした山奥、古びた祠の周囲に立ちこめる不気味な霧。その中央に、冷ややかな眼差しを持つ妖冥「栄狂」が佇んでいた。祠は既に廃れ、辺りに漂う陰鬱な気配は人を寄せ付けない。
栄狂はその場所を拠点とし、彼の命令で集められた妖冥たちがその周りにひそひそと動き回っている。
栄狂は静かに手を挙げ、周囲の妖冥たちに冷たい声で語りかけた。
「人間が、この世を無益に穢している‥。奴らが存在する限り、この世界は本来あるべき姿に戻ることはない」
その声は深く、低く、祠の奥まで響き渡った。冷静な口調で放たれる言葉には、残忍さや果てしない憎悪が隠れている。
周囲に控える妖冥たちはそれぞれ異なる姿をしていたが、どの妖冥も栄狂に従順だった。
その一体、狐のような姿をした妖冥が一歩前に進み出て、静かに言葉を発した。
「我らに命じよ、栄狂様。人間どもを滅ぼすためながら、何でもいたします」
栄狂は冷たい表情でその妖冥に視線を送り、頷いた。「良い心がけだ。だが、まずは人間どもに恐怖を刻み込むことが必要だ。幕府の使役する妖冥とは格が違うのだと教えてやらねば。奴らがどれほど無力であるかを知り、絶望する姿を見届けねばならぬ。急いで滅ぼすのではなく、ゆっくりとな‥」
祠の周囲に立つ妖冥たちは、その言葉を一言も漏らさず聞き入れていた。彼らもまた栄狂と同じように、人間を憎悪している者が多い。長い年月をかけて封じられ、追い詰められてきた彼らにとって、人間への報復は何よりも待ち望んでいたことだ。
「栄狂様、人間どもは神隠団とやらを頼りに、わずかな秩序を保っております。奴らが‥邪魔でございます」
また別の妖冥が言葉を投げかけた。骸骨のような細身の姿をした妖冥が、栄狂の隣に寄り添い、静かに睨むような視線で前を見据えている。
「神隠団など、人間どもの中で無駄に力を持つ物たちにすぎぬ。奴らも、幕府も同じく愚かだ」栄狂は鼻先で冷笑しながら、凍りつくような目で遠くを見つめていた。「神隠団、江戸幕府──両方とも人間の枠から逃れられぬ。そのような者が、我らに抗うなど滑稽でしかない」
狐の妖冥が再び口を開いた。「では、栄狂様のご命令に従い、神隠団も一つずつ削り落としてまいりましょう。どんな力があろうと、我らには敵うまい」
栄狂はしばらく黙り込んでいたが、やがて冷徹な微笑を浮かべた。「そうだ。だが、すぐに手を出す必要はない。奴らの小細工など、すぐに破綻する。そのとき、彼らがいかに無力であるかを理解することだろう」
栄狂は、目を伏せて祠の奥深くへと歩みを進めると、手を軽く上げ指を鳴らした。瞬時に妖冥たちが一斉に膝をつく。その支配力は絶対であった。彼が発する冷たく残酷な意思が、祠の隅々まで染み渡り、闇の中で蠢く妖冥たちの心をさらに掻き立てる。
「人間どもは、この世界の真の姿を忘れておる‥我らが存在することで、自然は再び均衡を取り戻すのだ。人間がいなくなれば、世界は再びあるべき姿に帰る。奴らのいびつな建物や支配など、全て消し去ってしまえば良い」
その信念に、従う妖冥たちは異様な笑い声を漏らしながら頷いた。栄狂の元には言葉を話し彼に従う多様な妖冥が集まっており、それらは常に彼の命令に従って人間たちに攻撃を仕掛けていた。
「神隠団‥奴らの妖冥討伐活動はつまらぬ人間どもの防衛手段に過ぎず、奴らを消し去れば人間どもの抵抗も尽きる。ならば、まずはその拠点に一撃を加え、奴らがどれほど脆弱かを思い知らせるのだ」
言葉を聞いた妖冥たちは、その指示を受けて徐々に不敵な笑みを浮かべて言った。その中で特に屈強な体躯を持つ「隆鬼」が一歩前に出る。
「栄狂様、奴らの本拠地へ押し入り、我が力でその防御を粉砕してご覧に入れましょう。奴らに神隠団を名乗る資格がないこと、痛感させてやります」
栄狂はヒナタの言葉に微笑を浮かべ、次に目を向けたのは「
「‥毒に強い者など、あの神隠団には少ないでしょう。私の毒で本拠地の者たちを絶望の底に沈める‥想像するだけでゾクゾクしてきますわ」
蛇媚は蛇のような体に反して圧倒的な美貌を持っており、直面した人間は恐怖の前に恍惚としてしまう。それは、目撃した神隠団団員が『美しさのあまり刀を抜くことが出来なかった』と語ったほどである。
蛇媚の言葉に他の妖冥たちは小さく笑みを浮かべた。栄狂は控えめに頷く。
「お前の毒は奴らの中に恐怖を植え付ける。どのような精鋭であろうと、毒に侵されては命は短い」
更にもう一体、血のように赤い霧を纏う妖冥「
12年ほど前に対峙した精鋭特務部隊の隊士を一名殺害しているため、神隠団に認知と警戒をされている。
「栄狂様、私にお任せを‥神隠団の者どもが私の幻影と霧に惑わされ、混乱し怯える姿が目に浮かびます。静かに一人ずつ葬り去りましょう」
栄狂はそれを聞いて満足げに頷き、再び三体の精鋭妖冥を見渡した。
「隆鬼、お前は本拠地の防御を破り、そのまま門を押し開けて奴らの守りを無効化せよ。神隠団とやらの防御など、ただの戯れに過ぎぬ。蛇媚はその隙を突き、毒で精鋭を中心に衰弱させよ。そして弦無、暗闇の中で奴らを混乱へと導き、互いが疑い合い、怯える状況を作るのだ」
祠の中で低く笑い声が漏れる。妖冥たちはその指示に肯き、忠誠を示した。
「幕府の保有する災害級妖冥が『最大の脅威』だと勘違いしている神隠団は、じきに目を覚ますことになる」
*
暁班と蒼真さんで江戸の町の復興作業を続けている最中、隊士の一人が血相を変えて駆け寄ってきた。息を切らし、目には焦りの色が浮かんでいる。
「皆様!本拠地が、襲撃を‥!」
朗らかだった蒼真さんの表情が一変する。駆け寄ってきた隊士に鋭い視線を向けた。「とうとう本拠地を狙ってきたか‥規模は?」
隊士は息を整えながらはっきりと答えた。「三体の妖冥が突然現れて本拠地を襲撃しています!現在本殿にて会議中であった竜仙殿、美鈴殿、翔之助殿が応戦しておりますが、勢いが凄まじく‥」
「たった三体?本当か?」琉晴が疑いの目を向けるが、隊士は「その三体は会話も可能で、普通の妖冥とは異なる人間に似た知性を持っています。階級は判別不能ですが、脅威であることは確実です」
「急いで戻る。江戸の復興は他の者に任せるしかない、俺たちは本拠地で迎え撃つぞ!」蒼真さんが周囲を見回してから言った。
「はっ!」僕も続いて本拠地の方角に視線を向けた。
*
陽が高く照る中、神隠団本拠地の主門はいつもと変わらず静かに警備されていた。だが、その門の陰に三体の妖冥──隆鬼、蛇媚、弦無の姿が潜んでいることに、門番たちは気づいていなかった。
昼間は基本的に妖冥が活動しないので、門番は一人である。
蛇媚が微笑を浮かべて二人を見やり、艶やかな声で言った。「ここはまず私に任せてちょうだい。あまりに強引だと、警備が集まってきて面倒なことになるわ」
隆鬼は眉をひそめて不満げに言い返した。「ならば早くやれ。騙すなどという小細工、見ていても腹が立つだけだ」
「そんなに焦らないの。あの門を突破して誰にも気づかれないようにするには、これが一番確実なんだから」
蛇媚は微笑みを崩さないまま、ゆっくりと歩みを進め、姿を人間の美しい女性に変えていった。
「ま、無駄な戦いが減るなら構わんが」弦無は無表情のまま一歩引いて蛇媚を見送る。
蛇媚は門に近づき、警戒している門番に甘く囁くような声で語りかけた。「こんにちは‥あの、少し道に迷ってしまって、この辺りで少し休ませていただけませんか?」
門番は一瞬眉をひそめたが、彼女の美しい顔を見つめると警戒を少し解いた。「ここは神隠団の本拠地です。外部の方が簡単に入れる場所ではありませんので‥道に迷われたのですか?」
「ええ、少し遠出してみたら、どうやら方向を間違えてしまったみたいで‥少し影を貸していただけるだけでいいんですの」
蛇媚は笑顔で門番の腕に軽く触れた。その仕草に、門番の顔が赤らみ、すっかり彼女の思うツボとなる。
「そ、それなら‥少しだけ休んでいかれても‥」門番は完全に惑わされたように彼女に見とれている。
「ふふ‥ありがとう。ほんの少しだけね」
蛇媚は一歩近づき、彼の耳元で囁いた。門番は完全に意識を奪われたかのように無防備になり、注意力が一瞬にして途切れた。
次の瞬間、蛇媚の鋭い爪が門番の喉元に突き刺さる。血の気を失った門番は、無言のまま崩れ落ちた。
「ほら、終わったわよ。どうかしら、少しはこの方法を認める気になった?」
蛇媚が二人に向かって言うと、隆鬼が面白くなさそうに顔をしかめた。
「どうでもいい」
隆鬼は主門を勢いよく押し開け、そのまま悠然と本拠地へ足を踏み入れた。
「手際はお見事だが、ここからが本番だな。騒ぎが広がらないうちに、奴らを恐怖でいっぱいにしてやるとしよう」
弦無が楽しそうに言い放ち、三体はゆっくりと進み始めた。昼の明るさとは裏腹に、神隠団には不吉な影が迫っている。
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