45話 極
龍窟の深い広間には、重々しい空気が漂っていた。いつもは冷静沈着な老中たちの顔にも、今日はどことなく不満や苛立ちが滲んでいる。江戸城の崩壊という前代未聞の事態が発生し、町の復興に向けて幕府がようやく動き出そうとしていた矢先、神隠団が無断で復興作業を始めたという報告が、彼らをさらに憤慨させていた。
「なんという無礼だ!神隠団め、勝手に復興活動を始めおったとは!」老中の本多正純が机を叩きつけるようにして声を上げた。その額には怒りのしわが深く刻まれており、言葉にも抑えきれない怒りが込められていた。「江戸城と城下の再建は、幕府が統制し我々が指揮を執るべきであるというのに、奴らは一体何を考えておるのだ!」
「まったく‥‥」隣りに座っていた土井利勝がため息をつきながら、ゆっくりと口を開いた。「神隠団が、幕府を無視して勝手な行動を取るとは。民のためだとでも思っているのか‥‥いや、あれは単なる自己顕示だ。まるで自分たちが幕府より上であるかのような振る舞いだ」
「そうだ!」さらに別の老中、酒井忠利も顔をしかめ、椅子から身を乗り出した。「我らが計画を立て、町の修復を進めようとしているのに勝手に手を出しおって‥奴らがやることは幕府の威厳を損なおうとしているとしか思えぬ。これでは、まるで我々が無力だと言わんばかりではないか」
「江戸城の再建は、我ら幕府の力を示すための最も重要な事業である。それをもし神隠団が先走って進めれば、民は一体誰に従うと思っておる?神隠団か、我ら幕府か──その答えは明白であろう」
本多正純は憤然として再び声を荒げた。
秀忠はその場で黙り込んでいたが、たがて重い口調で語りだした。「神隠団‥‥奴らはただの妖冥討伐集団に過ぎなかったはずだが、近頃は幕府の権威を侵そうとしている。江戸の民衆にとって、誰が真に守護者であるかを知らしめねばならん。今のままでは我らが不甲斐ない存在に見えてしまう」
「それが狙いなのでしょうな‥‥」土井利勝が低く唸る。
幕府は神隠団が幕府の印象を下げるために行動していると誤解しているが、単に民衆を救いたいという純粋な願いから行動をしているというのが事実である。その食い違いが、後にさらなる面倒事を引き起こすのは言うまでもない。
「民は神隠団を称賛しておる。奴らが先に動けば、我々が後手を踏んでいるように見えてしまう。幕府の権威が民衆に信頼されてこその政まつりごとであるというのに、これでは立つ瀬がない」
酒井忠利も苛立ちを抑えきれず、声を荒げた。「江戸城が崩れたその日にでも動いておけば、こうはならなかったのだ。だが奴らが勝手に手を出したせいで、民は我々を差し置いて神隠団にすがるようになってしまう。これでは幕府の威光など消え去ってしまうではないか」
すると、秀忠の側近がそっと口を開いた。
「もうここから神隠団の復興活動を止めようとしても、こちらの印象が下がるばかりです。今すべきことは江戸城の再建に全ての力を注ぎ込むことではないでしょうか。せっかく、頼んでもいないのに町の復興を進んでしてくれる方々がいるのですから」
その言葉に老中たちは感心する。
「そう‥だな‥」本多正純の表情が冷静に戻る。それどころか、今まで熱くなっていたことへの恥じらいすらも浮かんでいた。
「しかし、町の復興と違って江戸城の再建はほとんど私たちの利益ですぞ。江戸城再建によって民衆が我々に感謝するとは思えませぬ」土井利勝が呟いた。
「もうよい‥民衆からの感謝など」秀忠は少し悲しそうに返す。「もう、よいのだ。今最も大切なのは幕府の力の誇示であって民衆からの感謝ではない。舐められないことが大切なのだ。平和な時代はもう終わってしまった」
秀忠は、初代将軍である徳川家康の作り上げた地盤を崩してしまったことに罪悪感を覚えていた。これまでは妖冥の制御も適切に行われており、今回のような被害が出ることはなかった。
しかし、神隠団の反発という今までにない出来事があったのも原因の一つだ。幕府も神隠団も望んでいるのは国の繁栄。その手段に根本的な違いがあるとはいえ、もっと早くそれに気づくべきだったと後世の人々に指摘され続けているが、その声が彼らに届くはずもない。
*
広場に冷たい風が吹き抜ける。朝もやが残る中、精鋭特務部隊の隊員たちが静かに整列していた。僕、琉晴、鳴海、風華は少し離れた場所からその光景を見つめている。そこに言葉はなく、ただ息を呑むような緊張感が辺りに漂っていた。
そう、精鋭特務部隊の訓練を見学させてもらえることになったのだ。
「‥始めるか」低く響く声は倉橋さんのものだった。特務部隊の中心に立って淡々と状況を見渡していた彼は、他の隊員に目配せをするだけで言葉も合図もなく訓練を始めた。その瞬間、全員が同時に動き出した。素人目でも分かるほど、無駄な動きが存在していなかった。
倉橋さんは一際鋭い動きで、訓練用の標的に向かって飛び出した。身体を低く構えて瞬時に相手の懐に入り込むと、手にした刀をわずかに振る。目で追う間もなく標的は真っ二つに裂け、地面に崩れ落ちた。次の標的にも同じように素早く接近し、息をつく間もなく切り裂いていく。
「速い‥」僕は息を呑んだ。今まで倉橋さんが戦っているところをじっくりと見たことはなかったが、やはり彼も精鋭特務部隊の一員。紛れもなく最高峰の剣術。
白瀬さんもまた、無駄のない動きで標的に向かっていた。彼の剣技は極めて正確で、冷静沈着な姿勢から淡々と標的を仕留めていく。刀を振るたびに、細かい動作一つすら完璧に計算されているかのようだ。彼は感情を一切出さず、ただ自分の動きに集中している。
「あんな動き、誰が真似できんだ‥」鳴海がぽつりと漏らす。一流の料理人は分量も野菜を切る長さも全てにおいてズレを生まない。料理と同様、剣術にも『極めし者』は存在する。彼らが完璧な剣術で敵を圧倒するのは、料理人が絶品料理を提供するのと同じ。
そして、場の緊張がさらに高まる瞬間が訪れた。倉橋さんが手を挙げ、他の隊員たちを呼び集めた。
「手合わせをするぞ」
特務部隊同士の手合わせ。中央には竜仙さんと晃明さんが静かに向かい合って立っていた。両者は無言のまま、ただ相手を見つめる。
「始めろ」短く告げられた倉橋さんの言葉を合図に、二人は同時に動き出した。その刹那、刀が交差し、金属が激しくぶつかり合う音が響く。竜仙さんは瞬く間に距離を詰め、素早い一撃を繰り出す。晃明さんはその攻撃を正確に受け止めたが、その動きは少し遅れている。彼は怪我が治って間もない。腕の動きに若干の硬さが残っていた。
二人の刀は激しくぶつかり合いながら、金属音を訓練場に響き渡らせる。竜仙さんの速度は驚異的だった。刀が視認できないほどの速さで、まるで光のように動く。速度が頭一つ抜けているというだけで、一撃の精密さと威力も疎かにしていない。この三つをすべて高い次元で並立させている竜仙さんの剣技は、通常の人間に真似できる芸当ではない。
しかし、晃明さんが死んでいないということは、この猛攻をすべて凌いでいるということ。
「すげぇな‥あの剣術を見せられてまだ無傷かよ」鳴海が呟いた。
晃明さんも鍛え上げられた剣士であるということは、精鋭特務部隊という肩書が証明している。彼の動きの安定感・冷静さは群を抜いていた。
「さすがだな‥」竜仙さんは息を整えながら言った。その口元には笑みが浮かんでいる。彼の瞳は情熱に満ちており、まだまだ力を残していることが見て取れた。
「怪我明けとは言え、俺はお前より先輩だからな。これからが本番だ」
晃明さんが笑みを返すと、その体にぐっと力が入った。今までの守勢から一転、晃明さんが本気の攻撃を仕掛けた。風を切る音がこちらまで届いてくる。
竜仙さんはその攻撃を刀で受けようとするが、晃明さんの刀の威力が今までと違うことに気づく。瞬間的に竜仙さんは後方に飛び退いた。だが、晃明さんはすぐにその動きを読んで追撃に出た。重い一撃が、竜仙さんを一歩ずつ後ろに追いやっていく。
「さあどうする、若き天才よ」晃明さんが力強い声で呼びかける。
竜仙さんは無言のまま笑みを浮かべた。晃明さんの連撃をすべていなし、反撃に転じる。速度に加えて鋭さが一段と増していた。稲妻が走るかのような速さで、竜仙さんの刀が晃明さんの懐に入る。
「くっ!」晃明さんはすぐに対応しようとするが、竜仙さんの一撃がその防御をすり抜ける。刃先が晃明さんの胸元に軽く触れたところで、二人は動きを止めた。
「‥見事だ、竜仙」晃明さんは微笑んで刀を下ろした。「感謝いたします」竜仙さんは頭を下げ、深く息を整えた。
次に手合わせをする二人が準備を始めると、竜仙さんは僕たちのところへ近づいてきた。
「一緒に見よう」そう言って竜仙さんは腰を下ろした。「君たちも座っていい」
竜仙さんの優しさと気遣いに感銘を受けながら、僕らは腰をゆっくりと下ろす。竜仙さんは激しい戦闘後にも関わらず涼しい表情をしていた。
「次は‥白瀬と風間か」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます