43話 整理

 長い戦いを終え、僕たちはようやく家に帰ってきた。玄関の扉を開けると、懐かしい空気が身体に染み込むようだった。久々の家の香りが、僕の疲れた身体を一気にほぐしてくれるような気がした。


「ふぅ‥やっと帰ってこれたな」真っ先に口を開いたのは琉晴だった。大きく伸びをしながら、靴を脱ぐとそのまま床にドサッと座り込んだ。


「もう動けねぇ‥身体、バッキバキだ」


なんだかこの戦いを通して、すごく琉晴との距離が縮まったように感じる。もともと心は開いてくれていたと思うけど、今まで以上に自然体で話すようになったのが僕はとても嬉しかった。


「本当に‥長い戦いだったね」風華が玄関の外に目をやりながら、ゆっくりとため息をついた。彼女は慎重に弓を壁にかけ、優しく手を添えていた。


「でも、みんな無事に帰ってこれてよかった」その声には安心感があふれていた。


「ったく、無茶しすぎだろ、お前ら‥」鳴海が僕たちの後ろで控えめに笑いながら、軽く肩をすくめている。体格の良い彼のどっしりとした姿は安心感がある。


「俺も人のこと言えねぇけどさ」鳴海は自嘲気味に笑って、そっと荷物をおろした。


「一番無理したのは鳴海じゃないの?意識を失うなんてもうやめてよ‥気が気じゃなかったから」僕が言うと、鳴海は「そうだな」と照れくさそうに頭を掻いた。


「今日はもう何も考えないでゆっくり休もうぜ」琉晴が言いながら、ずるずると居間へと向かっていく。


日常に戻るこの瞬間が、一番心が落ち着く時だった。居間に入ると、風華がすぐにお茶を用意してくれた。温かい湯気が漂う湯呑みが四つ並べられ、僕たちはそれぞれ座り込んだ。


「お茶入れたよー」風華の声が響き、僕は湯呑みを手に取った。「ありがとう、風華。あったかい‥」僕はほっと息をつき、心がじんわりと温まるのを感じた。


「あったけぇお茶ってなんかホッとするよなぁ」鳴海が湯呑みを片手に、ニヤリと笑った。「さっきまで妖冥相手に必死だったのに、今こうやってのんびりしてると、あれ全部夢だったんじゃねぇかって思うよな」


「ほんとに‥あの戦いは忘れられないね」風華は少し遠くを見るように言った。「みんなすごかった。特に楓と琉晴が助けに来てくれた時は心が震えたよ」彼女が微笑みながらそう言ってくれた。


僕は少し照れくさくなりながら、湯呑みの湯気を見つめた。「いや、僕はただ必死にやってただけで‥結局、戦況での判断とかは琉晴に頼りっきりだったよ」


「風華の魔術も大したものだったが。お前の弓がなければ、あの巨体の妖冥には近づけなかったかもしれん」


「ただの援護だよ。みんながいてこそ、あの魔術は力を発揮できる」風華が微笑みながら、そっと手を伸ばして湯呑みを握りしめた。


「琉晴、今日だけで何回疾雷閃華使ったの?心配になるくらい連発してたけど。妖冥を一掃してる時、見てて鳥肌が立ったよ」僕は彼の技を称賛した。


「せいぜい6回程度だ。敵を一掃できたのはただ‥運が良かっただけだ」琉晴は少し小さな声で答えた。その反応に、僕は微笑んでしまう。


「おいおい、謙遜しすぎだろ?」鳴海がからかうように言いながら、琉晴を見て笑った。「暁班は琉晴の速さに毎回救われてるんだよ」


「‥まぁ、みんながちゃんと動いてくれるからだ」琉晴は短く答え、そっと湯呑みを口に運んだ。その仕草がどこか落ち着いていて、彼らしいなと僕は思った。


窓の外には、すでに夕焼けが広がっている。橙色の柔らかい光が部屋に差し込み、僕たちの静かな団らんを包みこんでいた。


「今日はもう早めに寝て、明日に備えようぜ」鳴海が立ち上がり、少し伸びをして体をほぐす。


「そうだな」琉晴も静かに立ち上がり、疲れた体をさすりながら、自室に向かっていった。


僕も湯呑みを片付け、立ち上がった。戦いは終わったけれど、また新たな戦いが待っている。


「おやすみ。またね」僕はそう言って、みんなに手を振った。


「おやすみ、楓」風華が優しく返事をしてくれる。


「また明日な」鳴海も笑顔で手を振った。




 翌朝、早朝の光が差し込む部屋の中で僕は目を覚ました。昨晩の疲れはしっかり取れていて、身体も軽い。いつもと同じように静かな朝だったけれど、今日は重要な会議が控えている。僕たちは、神隠団の次の動きについて話し合うため、主殿に向かうことになっていた。


「楓、もう起きてるか?」隣の部屋から琉晴の声が聞こえてきた。


「うん、今行くよ」僕は返事をしながら、急いで支度を済ませる。


廊下に出ると、すでに風華が待っていて、穏やかな笑顔を浮かべていた。「おはよう、楓。今日は会議だから、準備はきちんとね」


「わかってるよ、ちゃんとしたよ!」僕は少し照れながら返した。


「行くか~」最後に鳴海がゆっくりと部屋から出てきて、僕たちの後に続いた。


外に出ると、朝の清々しい空気が気持ちよく、庭の草木が静かに揺れている。僕たちは四人で主殿へと向かいながら、昨日の戦いが遠い出来事のように感じ始めていた。


「何が話されるんだろうね‥」僕は小声で呟いた。


「これからの方針だろう。俺たちも、次の準備を怠るなってことだ」琉晴が答えながら淡々と足を進める。




 主殿の扉の前には、すでに案内役の団員が待っていた。


「こちらです、会議がまもなく始まります」団員は穏やかに言いながら、僕たちを会議室へと案内してくれる。


僕たちが一歩ずつ会議室に近づく中、鳴海が小声で言った。「‥緊張するな」


「大丈夫だよ。僕たちここまで頑張ってきたんだから」僕は若干雑に返しながら、心の中で自分にも言い聞かせた。


扉がゆっくりと開かれ、僕たちは静かに会議室に入っていく。普段使われない、広い方の会議室だ。中央には大きな円卓があり、その周りにはすでに数名が席についていた。正面の奥に座っているのは──団長の成河義統殿だ。彼は真剣な表情で書類に目を通していたが、僕たちが入ると、顔を上げて軽く頷いた。


その隣には、副団長の坂口冬馬殿が、すでに待機していた。冬馬殿はいつものように落ち着いた様子だが、その眼差しはいつも以上に鋭い。「よう、来たか」僕たちに軽く手を上げて挨拶をする彼の姿は、やはりどこかとっつきやすい雰囲気がある。




「全員揃ったようだな」冬馬殿が声を上げ、場が一瞬静まり返る。続いて義統殿が顔を上げ、静かに会議の開始を告げた。


「さて、これより会議を始める」


義統殿は一度深く息を吸い込み、ゆっくりと皆を見渡した。彼の鋭い眼差しが、部屋にいる全員を確かめるように捉える。そして、その厳しい顔に、ふと柔らかさが見えた。


「まずは──全員、よくやってくれた」義統殿の静かな言葉が響き、全員の視線が彼に向けられる。


「昨日の戦い、そしてそれまでの幾度にわたる任務‥‥君たちの奮闘がなければ、神隠団の多くの者は行きて帰れなかったかもしれん。皆の働きに、私は心から感謝している」


その言葉には、いつも厳格な義統殿が滅多に見せない、団員への信頼と感謝が込められていた。


「君たち全員が、己の役割を全うし、それぞれが自分の持ち場で最大限の力を発揮してくれた。戦場において、何一つ欠けてはならなかった。だからこそ、我々はこうして無事にこの場に集まれている。


特に今回の戦いでは、全員が互いを支え合い、精鋭としての名に恥じない働きを見せてくれた。個々の力もさることながら、部隊としての結束がなければ、あの激戦は乗り越えられなかっただろう。これこそ、我々神隠団の真価だ」


義統殿の声には力強さと誇りが宿っていた。


「そして、この台本は昨晩、頭を抱えながら冬馬が書いてくれた。皆、彼に拍手を」義統殿がそう言った瞬間、蒼真さんが吹き出した。笑いはどんどん伝染していき、この場の全員から笑いが起こる。


「まぁ冗談はさておき‥本題に入ろう」冗談と言っているが、おそらく台本を書いてもらったのは本当だろう。


義統殿が言葉を紡ごうとした瞬間、琉晴が静かに手を上げた。義統殿は彼を見て、言葉を止める。


「‥‥副団長、団長。今回の災害級妖冥を消滅させたのは、神隠団や我々の力ではありません」


その言葉に、場の空気が緊張を帯びる。風間さんは、頷いて琉晴に続きを促した。


「何‥どういうことだ?詳細を話せ」冬馬殿の声には興味と不安が入り混じっていた。


琉晴は少し間を置いてから説明を続けた。「俺たちが過去に一度遭遇した、栄狂と呼ばれる特殊な妖冥が、災害級妖冥を消滅に至らせました」


「栄狂‥江戸を襲うと宣戦布告し、幕府との対立の引き金となった妖冥か」義統殿が言った。


「それっす。話を聞いた限り、あいつが江戸を滅ぼすつもりだったらしいっすけど、その時に幕府が妖冥大量に使って私たちを潰しにきたんで計画が狂わされたみたいっすよ」美鈴さんが補足する。


「何故栄狂は江戸を滅ぼそうとしているんだ?妖冥は幕府に支配されているのではないのか?」冬馬殿が言うと、「栄狂は幕府の支配下になく、他の妖冥とは全く異質でした。力も理解できないほど強大で、我々の常識を超えた存在‥‥災害級を簡単に抑えつけてしまうほどの妖冥です」と陽一さんが答えた。


「しかし、栄狂が江戸を滅ぼすことを目的としているということは、我々と真っ向から対立する敵ではないような‥」晃明さんが呟いた。


「おいおい、神隠団の存在意義は幕府を倒すことじゃねぇだろ?江戸と日本を守るために存在してんだから、栄狂は真っ向から叩き潰すべき敵に決まってる。本来の目的を見失うな」倉橋さんが怒りを含んだ口調で言った。


「うむ、倉橋の言うとおりだ。我々は栄狂を討伐する必要がある。しかし、栄狂がどのような意図で動いているか、我々の側で確かめる術がないのが問題だ‥」義統殿が語る。


「奴の意図がどうであれ、現実として栄狂によって災害級妖冥が消滅させられ、江戸の町は大きく崩壊した。その責任を負うべきかはともかく、我々は今後の戦略を練らなければならない」冬馬殿が力強く語り、会議の議題を次に進めた。


「栄狂の調査が最優先だ」義統殿が決断を下すように言った。「奴の出現がこれで終わるとは思えない。再び現れる可能性も高い。幕府が支配する妖冥とは異なる存在であるならば、どのように対処するかを早急に決定しなければならん」


「だが‥栄狂について我々が知っていることは限られている。どこから現れ、何を求めているのか、どんな力を持っているのかも完全には理解できていない」永善殿が言った。


すると、風華が静かに言葉を挟む。「現状では、奴の行動を予測するのは難しいです。単純に敵として対峙すれば、我々のちからでは抑えきれないかもしれません‥」


義統殿は厳しい表情で頷いた。「その通りだ。栄狂がどのような行動を取るかは予測できない。だが、それに向けて備える必要があるな」


「だが、時間は限られている」冬馬殿が即座に言葉を続ける。「調査は必要だが、それと並行して、我々の戦力の再編成が急務だ。昨日の戦闘、そして先日の幕府との負け戦によって多くの犠牲者が出ている。さらには、江戸城と町が崩壊したことで、民心も動揺している。幕府もこの混乱を放っておくことはないだろう。次の一手を打ってくるはずだ」


義統殿が再び口を開く。「ああ。幕府は江戸城の再建に多くの力を割くはずだ。再建が完了するまでの期間は大きな行動を起こしてこないと思うが‥」


「しかし、その期間は逆に栄狂の動きが活発になると思います」僕が手を挙げた。「そうだな‥」と永善殿が頭を掻く。


「俺と楓で、幕府内に諜報員を四人送りました。若年寄の四人を脅して寝返らせたので、定期的に内部の情報を入手できるかと」琉晴が言うと、会議室内にざわめきが広がった。


「諜報員?」永善殿が尋ねる。「はい。江戸城の地下室にいる四人を説得し、内部で情報を集めるよう指示しました」琉晴が淡々と答える。


「良い判断だ。これで、内部の動向を追える」義統殿が頷いた。


「楓、琉晴、その諜報員の信頼度はどうだ?寝返らせたといっても、裏切られる可能性もあるだろう」冬馬殿が僕らに視線を向けた。


「彼らも人間です。命が惜しければ、そのようなことはしないでしょう」僕は自信満々に答えた。


「随分と悪趣味な脅し方をした様子だが‥細かい部分は追求しないでおこう」

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