42話 戦果

江戸から少し離れた山岳地帯に、龍窟と呼ばれる地下要塞がある。幕府の幹部が非常時に避難するため、密かに築かれた場所。外部からの侵入を防ぐため、複雑な通路や罠が施されている。


そこに集まったのは、徳川秀忠を中心に、本多正純、土井利勝、酒井忠利、安藤重信、そして京都所司代の本多忠朝といった幕府の中枢を担う幹部だ。


彼らは、今まさに信じがたい報告を受けていた。長らく幕府が制御し、最強の盾であり矛である災害級妖冥が、消滅させられたという知らせだった。


間の空気は異様に重い。各々が報告書を手にし、誰もがその事実を飲み込めずにいる。


「‥‥災害級が、消滅しただと?」


発言したのは徳川秀忠。冷静であるはずの彼の声は、抑えきれない驚愕と苛立ちを孕んでいた。彼は報告書に再度じっくりと目を通し、重苦しい沈黙の中、他の幹部たちを睨むように見回した。


「神隠団ごときが、あの妖冥を討ったというのか‥?」秀忠は繰り返す。


老中の一人、本多正純が冷静に答えるが、その口調にも焦りが滲む。


「仰せの通りにございます、将軍様。間違いございませぬ。神隠団の精鋭部隊が直接戦ったとのことで、被害はほとんどなかった模様‥‥全員が無事であったと」


その言葉が場に広がると、幹部たちの間に驚愕のざわめきが広がった。


あの場には神隠団員もしくは幕府の支配下にある妖冥しか存在しないと思うのが当然だ。


第三の勢力、『栄狂』の仕業であることを、幕府は知る由もない。


「馬鹿な‥!」


老中・土井利勝が声を荒げる。「あの災害級妖冥が、討たれたというのか?幕府が操るあの力は、1つの部隊でどうこうできるものではなかろう。ありえぬ!」


彼の顔には、不安と怒りが浮かんでいる。


続けて、酒井忠利も頭を抱え口を開いた。「そうですとも。あの妖冥は、ただの怪物ではありませぬ。我らが長年、巧みに制御してきた存在。もし神隠団が災害級を討つ力を持っておるというのであれば、奴らの影響力は計り知れませぬ」


「そういえば以前もありましたな..災害級が神隠団の新人団員に討たれたという事例が」本多正純が呟く。「やはり、何か大きな力が現れたのやもしれませぬ」


若年寄の安藤重信が、沈んだ声で重々しく言う。「このままでは、民もまた神隠団に心を寄せましょう。災害級妖冥を討てるとなれば、奴らは一介の討伐団ではなく、民衆にとって希望そのものと化すやもしれませぬ。幕府の権威を揺るがす大きな脅威‥‥」


「そればかりか‥」今まで静かにしていた本多忠朝が、眉間に深い皺を刻みながら言葉を続ける。「災害級妖冥は、我らが大名を統制するための強力な駒でありました。その駒を失ったことで、各藩が動揺し、統制が効かなくなることは必定‥既に、あちらこちらで騒ぎ始めておるとの報せも入っております」


秀忠は苦々しい表情を浮かべながら、机を強く叩いた。「くっ‥‥神隠団め‥!ここまで我らに逆らうか。妖冥を操るこの幕府の威光を見くびったな!」


本多正純は重く頷き、秀忠の苛立ちを受け止める。「しかし、殿。正面から神隠団を討つわけには参りませぬ。奴らの行動を見れば、民衆にとっては英雄の如き存在となりつつある。幕府が手を下せば、逆に我らが悪とされかねませぬ‥‥。ここは1つ、慎重に策を練るべきかと存じます」


「そうだ‥‥」秀忠は腕を組み、しばし考え込んだ。「奴らをこのまま放置すれば、さらなる損害が出ることは明白。だが、正面から討つわけにもいかんとなると‥‥」


「まずは、災害級妖冥の消滅は極秘といたしましょう。そして、神隠団の動きをより厳しく監視せねばなりませぬ」土井利勝が進言する。「神隠団の次の出方を見定め、その隙を突く策を講じるべきかと」


安藤重信も頷く。「左様。内部にて奴らの動きを鈍らせる策も考えねばなりませぬな。表向きは関与せぬよう、裏で巧みに操るべきかと」


秀忠は鋭い目を光らせ、頷いた。「よかろう。奴らの力を過小評価してはならんが、だからといって我ら幕府がこのまま手をこまねているわけにはいかん。神隠団にはじわじわと揺さぶりをかけ、最終的には叩き潰す。それまでに策を練るのだ」


会議はそれだけでは終わらなかった。江戸城自体が、先頭で大きな被害を受けたことが、さらなる問題を引き起こしていた。


安藤重信が一歩前に出て、深々と頭を下げる。「恐れながら、殿。江戸城の件に関して、早急に決断を仰ぎたく存じます」


秀忠は険しい表情で安藤を見やった。「‥江戸城下。今や、あの城は我らの象徴であるはずの要害が、無惨にも崩れ落ちているのだな‥。あの妖冥が暴れたときの破壊は、想像を超えていたか」


本多正純が静かに報告書を手に取り、冷静な声で補足する。「殿のおっしゃる通りにございます。天守閣の一部が崩れ、石垣も大きく損傷しており、城全体の防御力が大きく削がれております。周辺の民家や城下町にも被害が及んでおりますが、まずは城の再建が急務かと存じます」


「むぅ‥‥」秀忠は苦々しい表情で頷いた。「確かに、今のままでは江戸城が象徴として機能せぬ。だが、再建には莫大な費用と時間がかかるであろう」


土井が意見を述べる。「将軍様、江戸城は幕府の威厳そのものでございます。ここで迅速に再建に取り掛からなねば、諸藩からの信頼が揺らぐ恐れがございます」


「左様ですな」酒井も同意する。「我らが支配下に置く妖冥が崩壊を引き起こしたとなれば、江戸の民衆にも不安が広がりましょう。この機に神隠団に希望を抱く者も増えるやもしれませぬ」


秀忠は険しい顔で天井を見上げ、一度大きく息を吐く。「確かに、城が崩れたままであれば、民と諸藩も不安を抱くことになるであろう。だが、あまりに拙速に進めれば、幕府が焦っていると見られるやもしれませぬ」


本多忠朝がそのやり取りに割って入る。「江戸城の修復にあたり、諸藩に協力を仰ぐのも一案かと存じます。特に忠誠を誓う譜代大名に手を貸させることで、幕府の権威を強調できましょう」


本多正純もこれに賛同し、続ける。「仰せの通りにございます。諸藩からの人手と資金を募れば、再建が早まるばかりか、幕府の威光を再度知らしめる機会ともなりましょう。江戸城の再建は、単なる建物の修復ではなく、我らの力の誇示でもあります」


「諸藩の協力か‥」秀忠は腕を組みながら、深く考え込んだ。江戸城の再建は単なる修復ではない。これは幕府が依然として絶対的な力を持っていることを内外に示す象徴的な事業である。焦れば、逆に弱みを見せてしまう恐れがある。


「ならば、再建は慎重かつ着実に進めねばならぬ。だが、あまりに長くかけてはならぬ。諸藩に協力させ、江戸城の再建を手早く行う一方で、我ら幕府の威光を再び内外に示すのだ」


安藤重信が深々と頭を下げ、進言する。「殿、恐れながら、再建の過程で民にも恩恵を示す策を講じては如何でしょう。民の家屋もまた妖冥によって被害を受けております。彼らに幕府が直接手を差し伸べることで、民衆の心を再び我らの方へ引き寄せることができましょう」


秀忠はしばし熟考し、ゆっくりと頷いた。「なるほど。再建のみならず、民の被害も救うことで、幕府がただ権力を誇示するだけではないことを示せるか。よかろう、その策を採用する」


土井利勝が口を開いた。「殿、早速準備に取り掛からせていただきます。諸藩への通達と、再建の段取りは速やかに進める所存にございます」


「うむ。速やかに動け。だが、敵に隙を見せるな。あくまで我らが主導しているのだと知らしめよ」秀忠は鋭い目つきで命じた。


「仰せの通りに」本多正純、土井利勝、そして他の老中たちも一斉に頭を下げた。




「江戸城は再び輝きを取り戻す。だが、同時に我らの敵も増えていくことを忘れるな……」秀忠は誰にともなく呟き、その視線を遠くに向けた。




      *


 


「行くぞ!」冬馬殿が鋭く叫ぶと、彼の刀が光を放つように振り上げられた。圧倒的な気迫と共に、先頭を切った冬馬殿が妖冥の群れに突撃する。その剣筋は一閃、空を裂き、前方にいる妖冥たちの巨体を一気に両断する。


「俺たちの力、思い知れ!」冬馬殿の声は戦場全体に響き渡り、彼の動きはまるで嵐のように勢いを増していく。


しばらく前線に立っていなかったにも関わらずこの速さ、この強さ。やはり副団長は兵士としても精鋭中の精鋭。


僕は冬馬殿に続き、刀を握りしめて走った。


「琉晴、行こう!」僕は琉晴に声をかけ、同じく突き進んでいく。「分かってる」琉晴は頷き、刀を低く構えた。


「疾雷閃華──」彼の体が一瞬沈み込むような姿勢を取ると、そのまま閃光のような速度で前へと駆け抜けた。刃が妖冥たちの体を一瞬で貫き、彼が駆け抜けた後には、ただ斬られた妖冥の体が崩れ落ちていく。


「さすが‥!」僕はその速さに感嘆しながら、自分も刀を振り、目の前の妖冥を切り伏せていった。僕の剣術は決して派手ではないが、源治さんと同様に堅実に敵の急所を狙う。


「風よ、我が力となれ!」風華が呪文を唱えながら、弓を構えていた。彼女の矢は妖冥の頭上高くから放たれ、青白い風の流れを伴いながら、空を舞っていく。その矢が一体の妖冥に突き刺さると、すぐにその体は風に巻き上げられ、宙に舞い上がって四散した。


「もう一度‥‥!」風華は次々と矢を放ち、そのすべてが正確に敵を捉えていく。彼女の矢は、まるで点からの裁きのように次々と妖冥を撃ち倒していった。


「楓、大丈夫?」風華が僕に声を掛ける。「まだ、硬化を使うまでもないよ」僕は彼女に応えながら、前にいる敵に再び刀を振り下ろす。


「全軍、突撃いいいいい!!!」冬馬殿の掛け声に、控えていた兵士たちが一斉に声を上げ、前進する。彼らの槍が整然と揃い、一斉に突き出されると、前方にいた妖冥たちが押し流れるように倒れ込んでいく。


「押し切れ!」副隊長が叫び、兵士たちはさらに力を込めて、妖冥たちを次々と貫いた。


「我らに負けはないぞ!」兵士たちの士気は高まり、その力は恐ろしいほど一体感を持って妖冥たちを追い詰めていく。


僕は再び前方に目を向け、刀を構えた。目の前に立ちはだかる巨大な妖冥──その赤い目がじっとこちらを睨みつけている。災害級や一級を何度も目の前にした今、この程度の妖冥に恐れなどない。


「これで‥終わらせる!」僕は全力で刀を振り抜いた。その瞬間、僕の身体が軽くなり、空をかけるような感覚が襲ってきた。刀の切っ先が妖冥の巨体を捉え、その瞬間、鮮やかな光が敵の体を裂いた。妖冥は悲鳴を上げながら倒れ、僕は勝利の手応えを感じた。


「よくやった!」冬馬殿がすぐに駆け寄り、僕の肩を叩いた。「お前の一撃で、奴らは崩れたぞ」


琉晴も駆け寄り、笑いながら言った。「やるじゃねぇか」


「琉晴もね」僕は笑い返しながら、刀を納めた。


風華は弓を下ろし、穏やかに息を整えながら微笑んだ。「もう‥残りはわずかね。これで、終わり」


兵士たちも歓声を上げながら、最後の妖冥を討ち取り、戦場はついに静寂に包まれた。


「終わったな‥」冬馬殿が静かにつぶやき、刀を鞘に納めた。


「よくやった、皆!」彼の声が響き渡り、僕達はその勝利を噛み締めた。




「全員、無事か!?」冬馬殿が周囲に声をかけ、僕たちも改めて息を整えた。


琉晴は肩を軽く回しながら、「ちょっとつかれたがな。どうにか無事さ」と笑ってみせた。


「よかった‥」風華も安堵の表情を浮かべ、弓を背中に背負い直す。


僕たちは勝利を噛みしめながら、精鋭特務部隊の陣営へと戻っていく。その場所には、すでに戦いを終えた精鋭たちが待機しており、部隊の指揮を執っていた隊長や団員たちが一人ひとり、僕たちの姿を見ると微笑んでくれた。


「おお、帰ってきたな!」翔之助さんは僕たちを見つけ、笑顔で駆け寄ってくる。「いやぁ、お前たち、すげぇじゃねぇか!ぶっちゃけ、お前らが戻ってくるか不安だったぜ‥」


精鋭部隊の他の団員たちも次々と僕たちのもとへ集まり、その眼差しには感謝と称賛が込められていた。


「本当によくやってくれた。あれほどの数の妖冥を一掃するとは、見事だ‥!」晃明さんが僕たちに歩み寄り、僕たち一人ひとりの顔を見て誇らしげに頷いた。


「素晴らしい戦いぶりだった」風間さんが僕たちを見つめながら小さく頷いている。


「精鋭特務部隊の皆さんがあってこそです。僕たちは、ただ皆さんの助けになれたのが嬉しいです」僕は素直な気持ちを言葉にした。


すると、翔之助さんが大げさに肩を叩いてくる。「何言ってんだ、お前たちも俺らの立派な仲間だ!今日の戦いでそれは証明されたぞ!」


「暁班の活躍は目を見張るものがあった」竜仙さんが言った。


すると、少し遠くから美玲さんの声が聞こえた。「ちょっとー、鳴海起きたっすよー。少しは心配してやってくださいっす」


「鳴海!!!」僕、琉晴、風華がすぐに駆けつけた。「大丈夫!?」僕が声をかけると、鳴海は「何がどうなってる?」と呟いた。


「その説明はまた後だ」と琉晴が返し、僕らは冬馬殿のもとへ戻った。


「さて、全員、これからは撤退準備だ。傷を負っているものも多い。最低限の休息を取ったら、速やかにこの場を引き払うぞ」


晃明さんはすぐに動き始め、「各自、撤退の準備に取り掛かれ!」と隊に向けて指示を飛ばす。


物資を整理し、負傷者の手当をしながら、全員が整然と動き出していく。僕たちもその流れに従い、撤退の手筈を整えた。


「琉晴、諜報員たちのところに行かないと」僕が言うと、琉晴は「忘れてた。行こう」と苦笑いしながら言った。


冬馬殿にその旨を伝え、僕らは地下へ行き10分程度で話を済ませてきた。しっかりと役に立ってくれることを願う。


「結局、主要幹部はどこに潜んでたんだろうな」倉橋さんが吐き捨てるように言った。


「本拠地へ戻り、一日の休息を挟んでから情報整理の会議を行う。皆、十分に頭も身体も休ませてやれ」


冬馬殿が優しく言い放ち、僕らは江戸城周辺を周って兵士たちを拾った。


「遺体の回収はこれで完了か」陽一さんが少し浮かない表情で言った。


大荷物を持ち、僕らは帰路についた。


「俺が通ったときよりも随分妖冥が減ってるな‥」霞月さんが呟いた。「僕と琉晴で減らしたんですよ」僕は自慢げに返す。


「にしても、どうやって災害級妖冥を倒したんだ?」

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