31話 帰っておいで

 翌日も、本部には重い空気が漂っていた。会議室には団長、副団長、総務部長の永善さんを中心に、精鋭特務部隊や側近たち、そして僕、琉晴、鳴海、風華、さらには霞月さんも集まっていた。

全員の表情や佇まいには戦闘の疲労が色濃く残っていたが、それ以上に緊張と不安が漂っていた。

「皆、集まってくれて感謝する」永善さんが口火を切った。その顔には、いつもの冷静沈着さが感じられたが、言葉に込められた重さは一層深く感じられた。

「昨晩の大敗を受け、我々総務部はこれまでの出来事を調査し、幕府が妖冥を支配していたと思われる証拠をまとめた。これにより、我々が直面している現実の一部が明らかになった」

永善さんは手元の資料を見つめながら、ゆっくりと話を続けた。「まず第一に、これまでの妖冥討伐が幕府にとって大きな損害であったことが判明した。妖冥は、単なる怪物ではなく、幕府が意図的に支配してきた兵器だった。その目的は、人口調節・他国からの襲撃を防ぐ抑止力・そして、日本の安寧を保つためだったのだ」

この言葉に会議室内はざわついた。全員が信じられないような表情を浮かべている。僕も言葉を失い、ただ永善さんの次の言葉を今か今かと待ち続けていた。

「飢饉や疫病の流行、さらには戦乱の終結まで、全てが妖冥の存在によって調整されていた。飢饉の際は妖冥で人口を減らし、疫病の際は感染者の多い地域を妖冥によって襲撃させ、戦乱の際は戦力の強い方へ災害級を送り込み、壊滅させる。これにより、幕府は国の支配を強化し、国内外の脅威を抑制してきたのだ」永善さんの声は重く響いたが、その後ろには彼自身の怒りと悲しみも感じられた。

「それじゃあ、俺たちが戦ってきた妖冥ってのは、全部幕府の・・・・」翔之助さんが絞り出すように言った。その目には怒りが滲んでいる。

「そうだ」永善さんが頷いた。「そして、我々が妖冥を討伐することは、幕府にとって甚大な損害を与える高位だった。つまり、神隠団の活動は幕府の支配にとって妨害そのものだったんだ」

この言葉が発せられた瞬間、会議室は一層の緊張感で包まれた。神隠団の活動が、知らず知らずにうちに幕府と対立していたという事実が、全員の胸に重くのしかかった。

「冗談じゃねぇ!」三浦さんが拳を叩きつけた。「妖冥なんかに国を守らせて、それが平和だってのか?馬鹿も休み休み言えよ!そんな平和、間違ってるに決まってんだろうが!」

三浦さんの怒りに呼応するように、他の団員たちも感情を露わにし始めた。風間さんも口を開いた。

「確かに、妖冥によって日本が守られていた部分はあるかもしれない。しかし、それが正しい方法だとは思えない。妖冥の存在に頼る平和など、根本的に間違っている。確かに恐怖という感情は人を動かすうえで最も効果的だが、恐怖によって人民を支配するのが政府の正しい形ではない」

「そうだ!俺たちは、そんな平和を守るために戦ってるわけじゃねぇ!」翔之助さんも声を上げた。「俺たちが目指すのは、人間が人間らしく生きられる国だ。妖冥の恐怖に怯えることなく、安心して生活できる国を作るために、俺たちは戦っているんだ!」

僕はその言葉に深く共感した。戦場で見たあの光景を思い出し、妖冥に脅かされる人々の恐怖と悲しみが頭をよぎった。あんな感覚を、人々に味わわせていいはずがない。

「団長、我々はどうすべきでしょうか」陽一さんが静かに問いかけた。

団長は黙って全員を見渡した後、ゆっくりと口を開いた。「皆の言う通り、妖冥に頼る平和など、我々が守るべきものではない。だが、我々は今、強大な敵と対峙している。それは、幕府という国家そのものだ」

全員が息を呑んだ。

「しかし、だからこそ我々は戦わねばならない。妖冥に支配された国ではなく、人間が自らの力で未来を切り開ける国を作るために。我々は、神隠団としてその使命を全うする」団長の決意に満ちた言葉が、会議室に響き渡った。

「団長、俺たちが何をすればいいか、命令をください」霞月さんが真剣な表情で言った。

「我々はまず、損害を最小限に抑えつつ、再び力を結集する。そのために、全員が各自の任務に戻り、次の戦いに備えよ。そして、幕府の動きをさらに探り、彼らの計画を阻止する策を講じる」団長が厳かに指示を出した。

「御意!」全員が一斉に返事をした。


家に戻る途中、僕は自分の体の異変に気がついた。

「ん・・・・?」僕は足を止めた。

「どうした?」鳴海が聞く。「いや、なんでもない。大丈夫」

僕の腕の一部が、硬化したまま元に戻っていなかった。

おかしいと思ったが、少し休めば大丈夫だと言い聞かせ、鳴海たちには伝えなかった。


その後家に帰り、夕飯を食べている最中にまた異変が起きた。

箸を持っている右手が突然硬化したのである。動揺で僕は手が止まった。

「どうした?さっきから様子おかしいぞ」琉晴が言った。

「ん、いや、なんでもない」僕はごまかした。

さっきからおかしいな・・疲れが溜まってるのかもしれない。


 数日後、僕たちはまた再び任務に向かっていた。撤退の後も神隠団は立て直しを図り、次なる妖冥討伐のために行動を再開していた。

どうやら、本拠地周辺のいたるところに妖冥が配置されているらしい。これはもう幕府の作戦に違いないな・・と思いつつ、僕たちは現場へ向かう。


「こんなときだからこそ、しっかり役割を果たそうぜ。油断はできねぇな」鳴海が言った。

現場に到着すると、妙な静けさが広がっていた。普段は鳥や虫の声が聞こえるはずの森も、まるで息を潜めているかのようだった。僕たちは慎重に歩を進め、妖冥の気配を探りながら進んでいった。

突如、前方の茂みから黒い影が飛び出した。その瞬間、全員が武器を構え、戦闘態勢に入った。

「来やがったな!」鳴海が叫び、刀を抜いて前へ飛び出した。彼の刃が妖冥の首元を狙い、鮮やかに閃いた。

僕もすぐさま硬化能力を発動させ、妖冥の攻撃を受け止めた。鋭い爪が僕の腕に打ち込まれるが、硬化した皮膚はびくともしない。そのまま反撃し、拳を妖冥の腹に叩き込んだ。

「いいぞ、楓」琉晴が隣で言った。「そのまま一気に片付ける!」

しかし、その時だった。僕の体が突然、熱を帯びたように感じ始めた。硬化した皮膚が異常に熱くなり、胸の奥から何かが湧き上がってくる。

「な、何なのこれ・・」僕は息を荒げながら、自分の体にまたしても異変を感じた。

その異常な感覚が一瞬で全身に広がり、硬化能力が制御不能に陥った。硬化が極限まで進み、皮膚がまるで岩のように変質していく。動こうとしても、体が重すぎて動けない。そして、次の瞬間、僕の視界が一気に暗転し、全ての感覚が消失した。

気がつくと、視界が赤く染まっていた。何が起こったのか理解できない。ただ、目の前にいる者たちが敵であるかのような錯覚に陥り、僕は無意識に拳を振りかざしていた。鳴海の姿が視界に入り、その瞬間、僕は彼に向かって全力で攻撃を仕掛けていた。

「楓、何をしてる!」鳴海の叫び声が遠くから聞こえたが、僕はそれを理解することができなかった。自分の意思とは関係なく、僕の体は仲間たちを攻撃し始めた。硬化した拳が鳴海に迫り、彼は間一髪でそれを避けたが、地面に衝撃が走り、大きな窪みができた。

「楓、やめろ!俺たちだ!」琉晴が必死に叫び、僕に向かって走り寄ってきた。だが、僕の意識はすでに混濁しており、彼を認識することさえできなかった。次の瞬間、僕の拳が琉晴に向かって振り下ろされた。


      *


 楓の拳が俺に向かって迫る。その瞬間、全身の筋肉が緊張し、時間が止まったかのように感じた。昨日からおかしいとは思ってたが・・こいつの力がこれほどまでに暴走しているとは思いもよらなかった。

「どうしちまったんだよ、楓・・!」俺は必死に叫びながら、とっさに身を翻して拳を避けた。楓の拳がまたしても地面に激突し、巨大な窪みが生まれた。その破壊力に、一瞬、戦慄が走った。

「完全に暴走してる・・」風華が呟いた。

俺は冷静になろうと努めながらも、心の中で焦燥感が広がっていった。楓の能力が制御不能になるとは・・まさか、俺達に攻撃するとは思っても見なかった。

「楓!落ち着け!お前は自分の力に飲み込まれてんだよ!!」鳴海も加勢し、楓を制止しようと試みるが、二人では抑えきれない。

もう、駄目だ。大切な仲間だが、背に腹は代えられない。

「鳴海、風華!力づくでいい!楓を抑え込む!!」

三人で楓を取り囲み、一斉に楓に向かって飛びかかった。風華が楓の腕を抑え、鳴海が彼の足を固めた。俺は楓の背後に回り込み、彼の動きを封じるように全力で抑え込んだ。

「ぐっ・・・・」泣きそうな声を出しながら、楓は鳴海の腹を蹴飛ばした。鳴海は血を吐きながら後ろに倒れる。

「鳴海!!!」今すぐ助けたいが、楓を放すわけにはいかない。

しかし、楓の様子を見ると、必死に何かへ抗っているように感じる。鳴海を蹴るときも泣きそうだったし、全力で蹴っているようには見えなかった。

「楓!!目を覚ませ!!お前も本当はこんなことをしたくないのは分かってる!!!」俺は目を見て必死に叫んだ。

「俺は大丈夫だ、とにかく楓を助けてやんねえと・・」鳴海は起き上がってすぐさま妖冥をズタズタに切り裂き、こちらへ戻ってきた。もはや、妖冥など二の次だと思っていたので助かった。

「ごめんね、楓・・」俺と鳴海が抑えている間、風華が小さくつぶやき、手をかざし、静かに呪文を唱え始めた。楓の周囲に結界が軽視されていく。その光は優しくも力強く、まるで楓の暴走を優しく包み込むかのようだった。

楓はまだ力を振り絞って抵抗しようとしていたが、風華の術が徐々にその力を奪い、動きを鈍らせていった。楓の硬化した体が、結界の中で次第に元の柔らかさを取り戻していく。

「これで、少しは楽になれるはず…」風華は自分に言い聞かせるように呟いたが、心の中には重い苦悩が渦巻いていた。自分は、味方を縛りつけるために術を会得したわけではない。同時に、この出来事がどれほど楓にとって屈辱的であるかを、彼女は理解していた。

楓の暴走が完全に収まったことを確認すると、俺と鳴海はようやくその腕を解放した。あざのできた手のひらを見つめる鳴海の顔には疲労と痛みが色濃く残っていた。そして楓が苦しんでいることを、誰よりも俺たちは理解していた。

「すまない、楓・・こんなことをしたくはなかった」俺は楓の顔を見つめ、声を絞り出した。だが、楓の意識はまだ戻っていなかった。

鳴海は黙ったまま楓を抱え上げ、彼の体を優しく支えた。「帰ろう、風華。このままじゃ楓が危ない。早く本拠地に戻らねぇと」彼の声には、冷静さと共に深い悲しみが滲んでいた。

風華は頷きながら、術を維持しつつ楓の後を追った。俺達の心は痛みに満ちていたが、今は楓を安全な場所に戻すことが最優先だった。

道中、楓の無意識の体を抱えながら、三人の心は重く沈んでいた。仲間である楓をこんな形で拘束することが、どれほど残酷なことかを誰もが理解していた。しかし、それでも一歩一歩を踏みしめながら、本拠地への帰路を急いだ。

「楓が戻ったら、何かできることはあるのかな・・」風華は自分に問いかけるように呟いたが、答えは見つからなかった。今はただ、楓が無事であることを祈るしかなかった。

そして、本拠地が見えてきた頃、ようやく俺達は安堵の息を漏らした。しかし、その安堵の背後には、これから迎える現実の厳しさが影を落としていた。楓の暴走は、今後の彼らの戦いに大きな影響を与えるだろう。そして、それが楓自身にどれほどの苦しみをもたらすかを、三人は痛いほどに感じていた。


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