29話 神隠し

 江戸城の内部、薄暗い廊下を進む徳川秀忠が、重々しい扉を開け放つと、彼を待ち構えていた数人の家臣が一斉に頭を下げた。


「上様、お待ちしておりました」先頭に立つ重臣、井伊直孝が頭を下げ、秀忠を迎えた。


「皆の者、顔を上げよ」秀忠は厳かに言い、広い部屋の中央に設けられた座に腰を下ろした。彼の冷静で厳格な表情は、その場の空気をさらに引き締めた。


「上様、計画は順調に進んでおります。神隠団は、彼らが差し向けた妖冥の大群によってすでに混乱に陥っております」直孝が報告した。


「うむ。だが、油断は禁物だ。神隠団は単なる兵士の集まりではない。奴らは妖冥を討つためだけに鍛え上げられた連中だ。必ずしも簡単には倒せんだろう」秀忠の声には、冷静さの中にわずかな緊張が滲んでいた。


「御意。しかし、上様のご指示に従い、我々は既に予備の妖冥を江戸の周囲に配置しております。神隠団がどれほどの力を持っていても、二度三度と襲撃を繰り返せば、いずれ力尽きるでしょう」家臣の一人、堀田正盛が進言した。


「確かにそうだが、きになるのは奴らの連携と精神力だ。神隠団はこれまで多くの戦いを潜り抜けてきた。普通の兵士ならばとっくに心が折れているだろうが、奴らは違う。何度も立ち上がるだろう」秀忠の目が鋭く光った。


その瞬間、彼の表情が少し和らいだ。


「妖冥・・この化け物どもは、我が幕府にとっては貴重な兵器だ。人口調節、他国からの襲撃を抑制するための道具として、我々は長きに渡って妖冥をある程度支配し続けてきた。だが、それをことごとく潰してきたのが神隠団だ」


家臣たちは、秀忠の言葉に静かに耳を傾けた。彼の声には、過去の苦悩が微かに滲んでいた。


「神隠団の存在は、我が計画の最大の障害だった。妖冥を道具として使うことで、この国の安定を保ってきたが、奴らはその妖冥を次々と討ち取り、我々の戦略を揺るがしてきた」秀忠は少し間を置いて続けた。


「我らが手を出せないうちに、奴らがこの国の勢力を脅かす存在になりつつあった」


直孝が慎重に口を開いた。「上様、それゆえに神隠団をどう処理するか、長年悩まれておりましたが・・」


「そうだ、直孝。しかし、ようやく契機が訪れた。妖冥の大群が奴らを襲撃するその瞬間、それが奴らを消し去るための絶好の機会だ。この機会を逃すわけにはいかん」秀忠の目は冷たく光り、決意に満ちていた。


「その点についても策は講じております」今度は、重臣の一人、松平信綱が口を開いた。「江戸の町民には、神隠団がすでに壊滅したという偽情報を流す手はずです。民の動揺が広がれば、奴らの士気も下がり、戦意を失うはず」


秀忠はしばし黙考した。部屋の中は、緊張と重圧に満ちた沈黙が漂った。


「よかろう。その計画で進め。だが、最後の一手を忘れるな」秀忠は、冷ややかな微笑を浮かべた。


「最後の一手、とは・・?」直孝が慎重に問いかけた。


「奴らの心臓を狙うのだ。神隠団の中枢にいる者たちを、直接狙い撃つ。全員が疲弊しきった頃合いを見計らって、我々が誇る精鋭部隊を送り込むのだ」秀忠の声は低く、冷徹だった。


「承知いたしました。全ては上様の御意のままに」直孝をはじめとする家臣たちは、深く頭を下げた。


「これでよし。神隠団を潰せば、この国の未来は我らの手の中にある。もはや障害となる者はおらぬ」秀忠は満足げに頷き、家臣たちに解散の命を下した。


家臣たちは一人一人、静かに退室していく。最後に残ったのは井伊直孝だけだった。


「上様、これほどの策を練られたのは、すべてこの国の安寧のため。神隠団は確かに強敵ですが、必ずや滅ぼしてみせます」


秀忠は微笑み、直孝に頷いた。「頼んだぞ、直孝。全ては、この国の未来のためだ」


直孝が深々と頭を下げた後、部屋は再び静寂に包まれた。秀忠は一人、江戸城の窓から遠くの街並みを見下ろし、神隠団の滅亡を心の中で確信していた。




      *




 江戸の街に響く妖冥の咆哮が、空を裂くようにこだました。街の広場には、妖冥の大群が集結していた。その数は、想像を遥かに超えており、どこを見渡しても黒い影が蠢いている。その中で、僕は刀を握り締め、呼吸を整えながら、自分の鼓動を感じていた。


「これが・・幕府の策謀か・・」雅さんの唇はわずかに震えていたが、目は鋭く、決意に満ちていた。


「裏切ったんですか?幕府が・・」


「最初から仲間だなんて思うべきじゃなかった、かもしれねぇな」勇作さんが言った。


風が舞い上がり、妖冥の腐臭が漂う中、神隠団の仲間たちも一斉に武器を構えた。一瞬の静寂が広場を包む。だが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。


「楓!来るぞ!」鳴海の叫びが響き渡ると同時に、目の前の妖冥たちが一斉に突進してきた。その巨体が地面を揺らしながら迫ってくる様子は、まるで地獄からの死者が解き放たれたかのようだ。




僕は一息に間合いを詰め、最前列に居た獣冥の一匹に向かって刀を振り下ろした。刀が深く肉に食い込み、鮮血が飛び散る。だが、獣冥はその傷をものともせず、僕に牙をむいて襲いかかる。僕は瞬時に反応し、身をひるがえして攻撃をかわす。


「くっ・・数が多すぎる・・!」僕は再び身を翻しながら、次々と襲いかかる獣冥たちの攻撃をかわしていく。だが、その数の多さに、徐々に体力が削られていくのが感じられた。周囲を見回すと、仲間たちも必死に応戦していたが、少しずつ追い込まれているのがわかる。


「こっちの数が圧倒的に少ない・・これじゃ、持たない・・!」弓を力いっぱいに引きながら風華が言った。


その時、琉晴の声が耳に飛び込んできた。「楓、下がれ!」琉晴が僕の背後から飛び出した。


「疾雷閃華」竜仙は妖冥の頭部に一閃を浴びせ、周囲の数体の妖冥は一瞬のけぞり、倒れ込む。


琉晴は僕に近づき、「持ちこたえられるか?」と問いかけた。


僕は苦笑いを浮かべながら答えた。「まだ大丈夫・・だけど、これじゃいつまで持つかわからない」


その瞬間、天から何かが落ちてくるのを感じた。


「上だ!!」僕は反射的に叫び、上空を見上げると、巨大な妖冥が街の上空を飛び越え、再び地面に着地して、衝撃波を発した。その力により、周囲の家屋が崩壊し、街の一部が破壊される。


「クソ・・俺たちを潰すためなら江戸の街を壊してもいいってのかよ・・!」一郎さんが刀を振りながら言った。


「こんなやつまで・・」僕は息を呑んだ。これまで戦ったどの妖冥とも違う、異様な存在感がその場に漂っていた。


「楓、油断するな!このままじゃ全滅だ!」琉晴が叫ぶが、彼自身も疲労が見え始めていた。


「その妖冥は俺たち精鋭特務部隊が引き受ける!お前ら、退散しろ!!!」三浦さんが大量の妖冥を切り捨てながら走ってきた。


「はっ!」鳴海たちは離れていったが、僕はこの場に残った。


「楓、下がれ!」琉晴の声が耳に届いたが、僕は首を横に振り、その場を離れることを拒んだ。


過酷な任務には、自分も参加しなければならない。




巨大な黒い影が、夕焼けを背にして立ちはだかる。異様なまでの力を感じさせるその妖冥は、まるで恐怖の感情が具現化したかのようだった。僕の刀はわずかに震え、冷たい汗が背筋を伝った。


「来たか・・」竜仙さんが鋭く目を細め、ゆっくりと刀を抜いた。


「みんな、気を引き締めろ!こいつはおそらく一級、もしくはそれ以上の存在だ」晃明さんが言った。


美鈴さんは冷静に状況を見極め、素早く動き出した。「そうっすね、楓さん、背後は任せたっす」彼女は異常なまでに早く、まるで風のように軽やかに動きながら、周囲の敵を切り伏せていく。僕は彼女の背中に一瞬の安心感を覚えたが、それも束の間だった。


「陽一、前衛を頼む。俺は風を使って援護する」風間さんが冷静に指示を出し、その手で風邪を操り始めた。彼の風が巻き上がり、周囲の瓦礫や塵が巻き上がる。その瞬間、僕は風の勢いに乗って、再び刀を振りかざした。




陽一さんはその指示に頷き、影を操って自らの周囲に偽の影を作り出した。「影の防壁を展開する。これで少しは時間を稼げるはずだ」彼の声は冷静で、この状況を冷静に分析しているようだった。だが、彼もまた、この戦いが尋常でないことを理解していた。


「翔之助、熱量を制御しろ。無茶はするな」三浦さんが警告の言葉を放った。翔之助さんは炎を纏い、その手で火の刀を握りしめる。彼の目には決意が宿っていたが、同時に不安も滲んでいた。


「了解だ兄貴。でもな・・こいつには捨て身の戦法じゃないと勝てないかもしれねぇんだ」翔之助さんは唇を噛み締め、敵に向かって突進した。その後姿に、僕は若さと情熱を感じたが、同時に無謀さも感じずにはいられなかった。


戦場は瞬く間に混沌に包まれた。巨大な妖冥はその圧倒的な力で、次々と攻撃をかわし、反撃を繰り出してくる。僕はその一撃一撃を必死に受け止めながら、何度も倒れそうになる自分を奮い立たせた。


「竜仙、ここで退けば俺たちは終わりだ!」三浦さんが大声で叫びながら、巨体を駆使して妖冥に打撃を与える。その強力な一撃が、妖冥の鎧のような皮膚に食い込む。しかし、妖冥はまるで何も感じていないかのように立ち上がり、反撃を開始した。


「奴の皮膚は鉄よりも硬い・・」陽一さんは呟きながら、冷静に次の攻撃のタイミングを計っていた。だが、その瞬間、妖冥が急に姿を消し、次に見えたのは、彼の背後に現れた影だった。


「危ない!」僕は叫びながら駆け寄ったが、妖冥の攻撃は既に放たれていた。僕の目の前で竜仙さんは大きく飛ばされ、地面に叩きつけられた。僕は必死に駆け寄り、竜仙さんの無事を確認しようとしたが、その時、再び妖冥が僕に襲いかかってきた。


「三浦、そっちだ!」翔之助さんが叫びながら炎の一撃を放ち、妖冥の動きを止めようとした。しかし、炎は妖冥の厚い皮膚に弾かれ、全く効果を示さなかった。


「クソッ・・」翔之助さんは歯噛みしながら、再び攻撃を試みたが、その瞬間、妖冥が彼の元へと突進してきた。


「逃げろ!」陽一さんが叫び、影を操って翔之助さんの身を守ろうとしたが、その影もまた妖冥に破られた。


僕は、自分の無力さを感じながらも、がむしゃらに戦い続けることしかできなかった。 だが、その戦いも次第に限界が近づいてきた。仲間たちも次々と倒れ、戦況は圧倒的に不利だった。


「美鈴、どうだ!」風間さんが声を上げたが、美鈴さんもまた、妖冥の攻撃を受けて膝をついていた。


「無理っすね・・これ以上は・・」美鈴さんの声は震えていた。だが、その目にはまだ諦めの色はなかった。


戦場は、完全に妖冥の支配下に置かれていた。神隠団の精鋭たちは、力を振り絞って戦い続けたが、次々と倒れていく。


その時、副団長は悟った。このままでは、全滅してしまう。


「退却だ!」副団長が叫んだ。その声に応じて、仲間たちは散り散りになって退却を開始した。


僕もまた、仲間たちと共に退却を余儀なくされた。妖冥の咆哮が背後で響く中、必死に走り続けた。戦場から逃げ出すという屈辱感が胸を締め付けたが、今は生き延びることが最優先だった。


最終的に、神隠団は壊滅的な被害を受けながら、辛うじて敗走した。 僕は倒れた仲間たちを助けながら、何とか無事に逃げ延びたが、心の中には深い無念と悔しさが残っていた。


「このままじゃ…終わらない…」僕は心の中で誓った。




幕府がどんな事を考えているのか、あの妖冥の大群は本当に偶然やって来たのか、それともすべて幕府が絵を描いていたのか・・


いずれ、情報が本部から発表されるはずだ。それを待つことしか、僕にできることはない。




      *




 江戸城の一室で、徳川秀忠とその側近たちが集まり、神隠団の状況について話し合っていた。


「・・奴らが逃げた、だと?」秀忠の声には抑えきれない苛立ちが混じっていた。


顔には軽く歪んだ表情が浮かんでいる。予想外の展開に、彼の自信に満ちた態度が一瞬揺らいだ。


「はい、殿。神隠団は壊滅状態に陥りながらも、辛うじて全滅を免れました」側近の一人が慎重に言葉を選びながら答えた。「しかし、あの状態では再び立ち上がるのは難しいでしょう。彼らの士気は大きく損なわれたはずです」


秀忠はその言葉に一瞬考え込むような仕草を見せた。神隠団を完全に消し去ることはできなかったが、彼らの力は確実に削がれた。それでも、彼の心には一抹の不安が残っていた。


「ふん・・だが、まだ決着がついていない。奴らが逃げ延びた以上、いつかまた我々に牙を剥いてくるかもしれん。油断は禁物だ」秀忠は険しい表情で言い放った。


「おっしゃる通りです、殿。しかし、今の神隠団は瀕死の状態。次の一撃で確実にとどめを刺す機会が訪れるでしょう」別の側近が口を挟んだ。「奴らが再び立ち上がる前に、我々の計画をさらに進めるべきです」


秀忠はゆっくりと頷き、再び冷静さを取り戻した。「そうだな。次こそ、奴らを完全に潰す。だが、とにかく慎重に駒を進めなければならん。今は焦ることなく、奴らが次にどう動くかを見極めることが先決だ」


「御意、殿」側近たちは一斉に頭を下げた。


秀忠の目には、決して消えることのない冷酷な光が宿っていた。彼は神隠団が逃げ延びた事実を受け入れつつも、次なる一手を考え始めていた。すべてが計画通りには進んでいない。しかし、それでもなお、彼の野心は揺るがない。

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