子守 七


「……てめぇが斑の太平かい」

「いきなりその名で呼ばわらねえでくださいよ、駱駝帽子さん」

「けっ、そっくりそのまま言葉をかえすぜ」


 ったく、それが侍の口ぶりかよ。


 なんとも似合わない帽子を髷の上に乗っけた、うすらでかい時田宗十郎の顔を見つめながら、笑顔のままで太平は心中ひとりごちる。と、その貼り付けたような笑顔の真ん中から心胆寒からしめるような声を発してたずねた。


「ここに来てその名を出すことの意味はわかってんだろうな、駱駝」


 しかし、時田もまた、その程度ではひるまない。


「士族にその口聞きは感心しねぇな、斑の」

「やかましい、博打打ばくちうち崩れが抜かしやがる」

「ハッハッハ、博打打ち崩れたぁ士族も低く見られたもんだな」

「残念ながら、侍の親玉の公方様はご隠居召されたぜ」

「ケッ」


 時田はそう舌打ちすると、今度はすっと真顔になって口を切った。


「娘は、どうした」


 やはり、ひなの居所を嗅ぎつけてきたらしい。


「さぁて、俺はまだ独り身でね、娘なんざこさえた覚えはねぇな」

「ふざけてんじゃねぇ、真剣なんだよこっちゃぁ」

「やかましい、答える義理はねぇってことだよ」

「てめぇ」


 ひと声かけて、時田が上がり框に足をかける。が、そんなことを太平が許すはずもなく。


 すっと、沈むように体が動いた。


「やめときな、それ以上踏み込むと膝の皿が割れるぜ」


 見れば、拳に握り込んだ寸鉄が膝の横っ面にくちばしをつけている。


「その気になりゃ、眉間でもいけるんだぜ、駱駝さんよ」

「てめぇ、本気か? こっちは後ろに……」

「後ろになんだってんだ? 聞かせてもらおうじゃないか」

「ぐぅぅ」


 豊前屋だろ?


 太平はそんな表情で時田を見つめるも、時田は太平の落ち着き払った様子を見てその名を口にするのを控えたようだった。そう、その落ち着きによって、今、太平の後ろになにか大きな物がついているように、時田には見えているのだ。


 そのじつ、その背中には膏薬の一つもついていないのだが。


 悪党としての、格が違う。


「いいか、ここには娘はいねぇ」

「本当だろうな」

「本当か嘘かなんぞお前に関わりはねぇ、お前が知っておくべきは」


 そう言うと、太平は鼻がくっつくほどに時田の顔に近づいて唸った。


「俺がそう言った。ってことだけだ、わかったな」


 そう、意味があるのはそこだけだ。


 というのも、これで、始末屋として名高い斑の太平がこの一件に関わっていることが豊前屋の老母にも伝わることになったからだ。そうとなれば、今現在豊前屋に取り残されているであろうひなの母親に危険が及ぶことは、とりあえずなくなる。


 なぜなら、斑の太平がひなについたという事は、その母親もまた太平の側の人間という運びになるからだ。


「俺と、正面切ってやり合いたいかい?」

「おめぇ、どこまで知ってやがる」

「さぁてね、おしゃか様にでも聞いておくんなせぇ」

「どうしても娘とは会わせねぇか」

「ああ」


 上がり框を挟んでにらみ合う二人。


 とうとう根負けしたのか、時田の顔の緊張がふっと緩んで案外優しい声で言った。


「居るか居ねぇかわからねぇ娘に伝えてくれ」

「なんでぇ」

「かあちゃんが心配してるぞ、とな」


 その一言を、太平は心底嫌悪した。


「伝えねぇな」

「居るか居ねぇかわかんねぇのに、断言するかい」

「うるせぇ帰れ」

「はは、邪魔したな」


 そう言って出ていったとき他の背中を見ながら、太平は子こ路にい屋な引っ掛かりを覚えていた。そう、言うまでもなくそれは。


 あの野郎、なんで最後笑いやがった。


 太平は、ゴクリと生唾を飲む。


 二の手があるのか?


 状況は、あまりのんびりできるものではない。太平はそんな心持になりつつあった。

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