子守 五

「母ちゃんはね、もとは多摩の出でね」

「ほぉ、そりゃ遠くまでご苦労なことだな」

「うん、で、身分はその商家でも侍でもなく」

「あ、なるほど、つまり」

「うん、百姓の娘さ」

「はぁ、大根洗いか」


 太平の言葉に、ひなの顔が曇る。しかし、太平は気にせず続けた。

 

「で、おめぇのババアはってのは、それが気に食わない、と」

「うん」


 まったく、俗っぽいババアだぜ。


 太平は、声を出さずに胸中で悪態をついて溜息を吐く。


 というのも、たしかに江戸っ子の間では百姓を大根洗いと蔑む風潮はあるが、それはいわゆる洒落をきかせた符丁というもので心の底から百姓を下に見ているものは少ない。だからこそ、あからさまに百姓を下に見るそのババアが珍しくも苦々しいのだ。


 江戸の街は、うまい食いもんでもってるんだぜ。


 太平は心中でつぶやいて続けた。


「田舎の出は、根が正直で朴訥で、奥に座るにゃいい女だと思うがねぇ」

「でも祖母様は、帳場がこえ臭くなるって」

「くはぁ、因業なババァだ」


 今度は口に出して少し笑いながらそう言うと、ひなもまたそれを聞いて笑った。


「ほぉ、笑えばべっぴんじゃねぇか」

「失礼を言うんじゃないよ、笑わなくてもべっぴんさ」

「こりゃすまねぇ、じゃぁ、続けな」


 ひなの物言いに、太平は笑ってそう言うと、顎先をしゃくってで続きを促した。

  

「あたしが知る限り、それでもおっかあは別にいじめられてたわけじゃないんだ、おっかぁの家はその、お上と繋がって力があったから」

「ああ、そりゃ豊前屋に嫁ぐんだ、名のしれた庄屋か何かだろうさ」

「うん、でも」


 ひなはそう言うと、ぐっと自分を抱きしめるように腕をくんだ。

  

「とおちゃんが死んで、全て変わっちまったのさ」

「ああ、なるほどな」


 太平は、さもありなんと頷く。


「おっかあはおっとうが大好きだったから、見る間に痩せちゃってね」 


 ひないわく、父親が死んでからというもの、母はずいぶんとやつれたらしい。


「今となっちゃ、それがお祖母様のつけ込む隙だったのかも知れない」

「いや、しかし、おめぇのおっかあの家は力のあるお家なんだろ? 亭主が死んだからと言って、老母ごときにそこまでの無体ができるものじゃないだろうに」


 太平の言う通り、そもそも、亭主が亡くなったとはいえ豊前家の女主おんなあるじはひなの母。であれば祖母ごときに亭主が死んですぐにひなの母をいじめ抜くなんてことはできない。しかも、若くして大黒柱を閻魔に引き抜かれた豊前屋の行く末は決して安泰じゃない。

 

 ひなの母親の実家の力は、喉から手が出るほどほしいはずだ。


「うん、そうさ、お祖母様一人じゃ大根一本買う事もできなかったんだ、最初はね」

「だろ? 亭主が死んだんだ、むしろ婆さんの力は弱まるはずだぜ」

「うん、何もかもいうとおりだよ、でも、あの男が来たのが潮目でさ」


 ひなの言葉に、太平は「はぁぁ、忘れてたぜ」と盛大に溜息をついた。


「駱駝帽子かい」

「うん」


 そう、そこに顔を出したのが、時田宗十郎だったのだ。


「そっからは、もう、おっかあの毎日は生き地獄さ」


 そう言うとひなは、天井を見上げて唇を噛んだ。


 太平からは見えなかったが、涙をこらえている、ようだった。

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