子守 四

「祖母様は、浅草は観音裏の口入れ屋で……」

「待て待て待て」


 身の上を話しはじめたひなを、太平は慌てて止めた。


「観音裏の口入れ屋ってぇ、まさか豊前屋じゃぁねぇだろうな」

「ご名答だよ」

「はぁぁぁ」


 浅草観音裏の口入れ屋、豊前屋といえば、浅草一体の働き口を差配する言わば江戸の三千両の一つを仕切る顔役。何なら、そこいらの木端大名であれば頭の上がらぬと言っていいほどに、財も力も持ち合わせた大店中の大店。


 できれば相手にしたくはない。

 

 しかも、だ。


「残念だが、豊前屋と俺に付き合いはねぇ」


 とんでもねぇところに正体が知られてやがるぜ。


 太平は、げっそりとした顔で胸中に言葉を落とす。


「穴の空きどころはどこだい、まったく」

「ああそれなら、祖母様の男、時田宗十郎だよ」

「時田だと? ぬぼぉっと背の高い、間抜け面の?」

「うん、そうだよ、いまはお祖母様の腰巾着をやっていて、あたいの前で斑の太平の名前を出した男さ」

「はぁぁぁ」


 ひなの言葉に、太平はまたぞろため息を吐いて腕を組んだ。


 ちぇっ、まったく良い噂を聞かねぇやつだぜ。


 そう心中でひとりごちる太平。


「知ってるの?」

「ああ、いやというほどな」


 というのもその時田という男、もともとは博徒でありながら丁半で追い詰めた侍から黒鍬株を買ってご一新直前に滑り込んで士分になった、芯はごろつきでありながら上っ張りは士族という非常に厄介な立ち位置の男。


 しかも、その厄介さを頼みに町道場の用心棒から強請ゆすたかりの手伝い、果ては太平と同じく始末屋稼業にまでも手を出している節操のなし。その性酷薄にして粗暴粗野の権化のような男なのだ、そうだ。


 まあ、太平も直に知っているわけではないのだが、間違ってはいないだろう。


「嫌いなの?」

「ああ、あいつぁ粋じゃねぇ」

「あら、最近は舶来の帽子を被っているよ」

「知ってら、あいつの通り名は駱駝帽子。嫌われもんの通り名さ」


 異国との付き合いが忙しい新政府の影響で、近頃流行りだした南蛮頭巾、つまり帽子は、たしかに粋なものであると最近は粋人の間ではやっている。しかし、太平の知る限り、時田が帽子を被っている理由は一つ。


「嫌われもんの駱駝だろ、遠くからでも顔が見えりゃ人は逃げてくんだ。で、顔を隠すために、長崎帰りの商人から巻き上げた帽子を目深に被っているってぇわけだ」

「へぇ、ねえ、駱駝って何?」

「知らねぇのかい、よだれを垂らして云うことを聴かねぇ生きもんでな、乱暴な嫌われもんのことそういうのよ」

「ああ、ぴったりだね」

「だろ?」


 と、そこまで言って太平はぽんと膝を打った。


「いやいや、そんなこたぁどうでもいい、話を続けてくれ」

「うん」


 こうして、身の上話は核心へと近づいていったのである。

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